銀河系の形成(1/3) 自由な宇宙に生じる束縛状態

 宇宙物理学において、銀河系形成のメカニズムは一つの大きな謎である。径方向の回転速度分布が不自然でそれを説明するためにダークマターの概念が導入されたことはよく知られているが、それ以外にも、中心部に超巨大ブラックホールが存在するとされていること、いかにして無数の星々が円盤形に分布するに至ったかを合理的に説明することは難しい。それ以前に、銀河系全体が自身の重力による束縛状態にあることがそもそも大きな謎である。それよりも大きなスケールで見ると、あるいは宇宙全体でみると、質量は自身の重力による束縛状態にあるのだろうか。いや、宇宙全体は今なお広がり続けているのだから、宇宙全体でみると質量は自由な状態でなければならないのだ。にもかかわらず局所的にはほぼすべての質量が束縛状態にあるのはなぜなのか。熱力学的に矛盾していないだろうか。これが謎の本質である。逆にこの謎を解明できれば、他の謎を解決する糸口が得られる可能性もある。
 
 銀河系の形成メカニズムを考えるにあたり、まずはビッグバン後の質量の様子から考えなければならない。ビッグバン直後の混とんとした状況には立ち入らないこととして、(明らかな)質量の大部分が陽子と電子、そしていくつかの中性子を含むヘリウム原子核からなる時点から考える。明らかでない質量としてダークマターニュートリノが存在していた可能性もあるが、とりあえずそれらについては無視をする。はじめ超高密度・超高温だったそれらの荷電粒子は、宇宙の膨張に伴い冷却されていく。ここで重要なのは、冷却は(空間の拡張による)断熱膨張によるのではなく、電磁波の輻射によるという点である。輻射により放出されるエネルギーの強度は温度の4乗に比例するのに加えて、輻射は荷電粒子同士の衝突により生じる現象であってその頻度はおおよそ粒子濃度の2乗に比例することから、超高密度・超高温だった時期に最も多くの電磁波の輻射がなされる。
 
 これらの電磁波は粒子同士の衝突の際に再吸収されることもある。けれども光子単体のエネルギーが宇宙の膨張に伴ういわゆる宇宙論赤方偏移によって低下するため、平均的にみると電磁波の再吸収により回収されるエネルギーは輻射により放出されるエネルギーよりも少ない。こうして荷電粒子は徐々に冷却されていく。実はこの点こそが一つ目の重要なポイントである。古典的な熱力学を考える限り、外界から完全に隔絶された系を冷却することはできない。エネルギー保存則を考えればこれは自明である(第1法則及び第2法則)。しかし宇宙論ではそうはならないのである。事実背景放射は放射された当初と比べて明らかに冷却されており、系全体もそれに呼応して冷却されてゆく。
 
 ところで、これと関連するもので「宇宙の晴れ上がり」という概念がある。はじめに電離していた陽子と電子がどこかの時点で再結合し、それにより電磁波の吸収率が激減して宇宙が透明になったことを表す概念である。この再結合の際に放出された電磁波が今日観測される宇宙背景放射になった、という主張をしばしば見かけるが、これは明らかな間違いである。宇宙背景放射黒体輻射に由来するスペクトルを示しており、再結合に由来する痕跡は見られない。黒体輻射は電球の光、再結合の輻射はLEDの光であり、これらのスペクトルは明らかに異なっている。このスペクトルから分かることは、宇宙背景放射は陽子と電子による再結合が始まるよりも前の時点で電離した状態の荷電粒子により輻射されたものだということである。その様な電磁波が宇宙に満ち溢れていたころ、陽子と電子が再結合してもすぐに電磁波によって再分離させられたことだろう。背景放射が宇宙論赤方偏移によって十分に低エネルギー化した後でも、荷電粒子の再結合は比較的長い時間をかけてゆっくり進行したと考えられる。
 
 透明度という観点については、荷電粒子と中性分子とでは確かに違いがある。電荷の有無にかかわらず粒子が電磁波を吸収するためには粒子同士が衝突しなければならない。この衝突とは何らかの相互作用により素粒子の世界では遠隔的に実現されるが、荷電粒子同士の衝突はクーロン相互作用によって、中性分子同士の衝突はファンデルワールス力(ハードコアによる斥力を含む)によって実現される。そしてクーロン相互作用のほうがはるかに大きな散乱断面積を持つために、中性分子同士であればニアミスで終わるような場合にも荷電粒子同士であれば衝突に発展し得る。そのため電磁波を吸収する確率は荷電粒子のほうが高い。ただしこの時期は宇宙の膨張によって粒子自体の濃度が低下し続けており、それによる空間の透明化もある。という事情まで考慮すると、荷電粒子の再結合は殊更に特別視するほどの重要な要素ではないように思われる。
 
 ここでもう一つ重要な点を確認したい。空間の膨張により光子のエネルギーは低下するのに対して、粒子のエネルギーは低下しない、ということである。光子のエネルギーは対応する電磁波の波長に反比例し、空間の膨張によってその波長が伸びるとエネルギーは低下する。ただし電磁波の連なり長さ(例えば、レーザーポインターを1秒間空に向かって光らせた時、光速×1秒分の長さのレーザーが空に向かって照射される)も空間の膨張により引き伸ばされるため、電磁波全体のエネルギーは変化しないことになる。そもそもビッグバンを含む空間の膨張は一般相対性理論におけるアインシュタイン方程式から理論的に導かれるものであり、アインシュタイン方程式が宇宙におけるエネルギー保存則を前提として導出されている以上、この現象で生じる変化は必ずエネルギーを保存しなければならない。
 
 エネルギー保存則は当然粒子にも適用され(求められ)、空間が膨張してもその運動エネルギーおよび速度は変化しない。ここで粒子とは、波動関数によって量子力学的に記述されるものという意味である。自由粒子波動関数も基本的には波であり、電磁波同様その運動エネルギーが波長に反比例する。けれども波動関数の波は電磁波とは異なり、空間の膨張に応じて伸びることはなく、その連なり長さも空間膨張の影響を受けない。電磁波は電場や磁場といった実態を持つ場の波であるのに対して、波動関数量子力学的観点からしても実態を持たないものである。量子力学的な実態は波動関数から計算される確率密度であるが、そこに波の要素は見られない。この点からしても、電磁波と波動関数とは本質的な違いを持つのである。
 
 ビッグバン後の宇宙に話を戻すと、宇宙は均質一様な背景放射と粒子で満たされた状態にある。このとき粒子はエネルギー的に束縛されていない自由粒子であり、電磁波と同じ平面波の形をした波動関数で記述される(陽子と電子が結合した水素原子であっても同様で、水素原子としての波動関数は平面波で記述される)。ここから自由粒子がいかにして束縛状態の銀河を形成するに至るかが、一つ目の大きな謎となる。
 
 当初は均質一様であった粒子濃度はしかし、徐々に空間的な粗密を生み出す。エントロピー的に高温状態は均質性を要求するが、逆に温度の低下は空間的な均質性の破れに対して寛容となる。系が経時的に冷却されてゆくのであれば、その過程で空間的な不均一構造が形成されることは理にかなっている。そして、粒子濃度が高いほど粒子同士の衝突が頻繁に起こり、電磁波の形で運動エネルギーを放出して速やかに冷却される。これが正のフィードバックとして働き、ひとたび生じた空間的な粗密は増長・拡大する方向性を持つ。こうして原始的なガス星雲が生まれる。粒子は(全体として電気的に中性であれば)電離したままでも構わないが、以下ではイメージしやすいように中性の水素原子分子のみを考えることにする。
 
 ガス星雲の構成粒子同士の相対速度はかなり低下しているものの、それらが束縛状態に陥っているとはまだ言えない。またガス星雲同士は完全に自由な状態である。けれどもガス星雲同士が衝突すると、その粒子濃度がさらに高くなってエネルギーの放出が進む。相対的な速度の小さなガス星雲同士が衝突すると一体化することもあるだろう。衝突頻度の増加はまた背景放射の吸収も増加させるが、このときすでに背景放射のエネルギーは十分に低下してしまっている。仮にこの時の宇宙のサイズが現在の1/10であったとすれば、背景放射の温度(スペクトル)は30K相当、現在の1/100のサイズだったとしても300K相当であり、それより高温のガス星雲を加熱することはない。
 
 このように、ガス星雲を構成要素とする系を考えても系全体の温度は徐々に低下してゆき、より大きなスケールの系においても系の構成要素であるガス星雲の空間的な粗密が生じる。ただしその形成にはガス星雲が形成されるよりも長い時間が必要となるだろう。このような大スケール化を繰り返せば、銀河より大きなスケールの空間的粗密が形成されるのも時間の問題に思える。しかしここに別の要素が加わってくる。スケールがある程度大きくなると重力の効果が無視できなくなり、粗密のプロファイルがよりはっきりするようになる。そして質量分布が少数のグループに集中し、それ以外の領域には真空の状態が実現される。こうなると質量分布同士の衝突がまれにしか起こらなくなり、系全体での冷却プロセスが進行しなくなる。こうして、結局のところ私たちの宇宙では、ちょうど現在の銀河と同程度の質量分布と真空領域からなる粗密構造が形成されたのだと考えられる。この質量分布は重力による束縛状態に陥っている一方、質量分布同士は自由な状態にあるという一見矛盾する状況が実現することとなる。
 
 けれども話はここでは終わらない。各々の銀河系の中心に存在するとされる超巨大ブラックホールの形成に関する謎をこれから解明していくことにする。