シュレディンガーの猫に霊があるならば非道な実験を許すか

 ある日、シュレディンガーの猫は人間に捕まえられ、密室に閉じ込められた。必死で抵抗するも出口は開かず、また居心地も悪くなかったのでそこで大人しく座っていることにした。ところがそこには恐ろしい仕掛けが施されていた。ごく弱い放射線源と放射線検出器、それに連動した毒ガス発生装置が仕掛けられており、検出器が放射線源からの放射線を検出した途端、毒ガスが発生して密室に流れ込むように仕込まれていたのだ‥‥。

 

 量子力学的には、放射線源を構成する放射性元素の崩壊現象は確率的にしか論じることができない。そしてさらに、量子力学では確率を重ね合わせて議論することができる。ゆえに今この瞬間密室に閉じ込められたシュレディンガーの猫は生きて大人しくしている状態と毒ガスで死んでピクリとも動かない状態の重ね合わせなのである‥‥、なんて滑稽な話があるわけがない、ゆえに量子力学はまやかしの理論であり、物理学の分野として認められるべきではない。

 

 という量子力学への批判を行ったのは生涯量子力学を認めなかったアインシュタインだったと私は思っていたが、ウィキペディアの記事によるとこれは量子力学のプロモーター側の立場だったシュレディンガー自身による主張、あるいは思考実験だったらしい。確かにアインシュタインの主張であれば後世それは“アインシュタインの猫”と呼ばれていただろうから、これはシュレディンガー自身の主張ということで間違ってないのだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%8C%AB

 

 誰の主張だったかはともかく、この主張が大きなインパクトを持っていたがために、後世量子力学の不可解さを説明する際には必ず持ち出されることとなった。だが、よく考えてみると何かがおかしい。とても分かりやすい話に思えるのだが、実はそうではない。この主張が正しいのか間違っているのか誰も明言しないからだ。そしてそれは実のところ、ほとんど誰もこの主張の真偽を分かりやすく断言できないからなのだ。だが、私にはできる。私はこの主張(思考実験)が“誤り”である、すなわち「猫の生死が重ね合わされることはない」と断言できる。ただ、それを簡単に説明することは難しい。その説明には、以下に続く長ったらしい文章を最後まで読んでもらう必要がある。

 

 物理学と数学の違いとして、物理学は「原理」を持つことが挙げられる。例えば、特殊相対性理論は「光速度不変の原理」に基づき構築されている。日本語で「原理」などというといかにも正しそうだが、実のところこれは「仮定」「前提」という方が正しい。「特殊相対性理論は『光速度が不変である』という仮定を前提として構築された理論である。」正しくこう書かれていれば、100年以上にわたって途絶えることなく現れる“相対性理論は間違っている論者”の声高な主張はきっと聞かれなくだろう。だって事実この仮定は正しくなく、ゆえに特殊相対性理論も言うほど正しくないのだから。そして、その“正しくなさ”を補うためにアインシュタイン一般相対性理論を導き出したのだから。

 

 近代物理学のもう一つの雄である量子力学にもやはり原理がある。「不確定性原理」という。「すべての主体(;粒子だけでなく、電磁波などの波も含む)はある種の不確定性を持ち、そのために私たちは主体の状態を確率的にしか知ることができない。」定性的にはこのように説明される命題である。量子力学ではこの不確定性原理を前提とし、ゆえに電子などの基礎的粒子を古典的な粒のイメージで記述することをあきらめ、代わりにその存在確率を導く波動関数で記述する。ここまでは、大学などで多少量子力学に取り組んだ者であれば誰もが認めるところである。その中の大部分の者が分かっていないのは次の点、「不確定性原理」の不確定性と「確率的にしか分からない」とは別物だという点だ。

 

 まずは「確率的にしか分からない」について考えよう。私たち一人ひとりの人間はもちろんのこと、同じように作られた工業製品にもそれぞれの個性があり、全く同じものはただの一つもない。一方、素粒子や原子・分子などの基礎的な粒子にそのような個性はなく、私たちにそれらを区別することはできない。「確率的にしか分からない」というのは、この命題と等価である。シュレディンガーの猫を殺すトリガーとなる放射線源中の放射性元素にも個性はなく、「線源の中にいくつの原子が含まれているか」を知ることができるとしても、「その中のどれが次に崩壊して放射線を出すのか、またそれはいつのことか」を知ることはできない。なぜならばそれら原子はみな等価であり、区別できないからだ。そこで私たちは仕方なく、原子の崩壊を確率的に議論する。そしてその結果原子の崩壊頻度は指数関数的な現象挙動を示すことが導き出され、この結果を利用して太古の遺物や岩石が作られた年代をかなりの精度で推定することができる。これも量子力学の一分野である。

 

 次に不確定性原理について考える。不確定性原理の正しさを支持する実験はいくつかあるが、決定的なのはいわゆるダブルスリット実験である。その詳細は割愛するとして概要だけ記すと、2つ用意されたスリット(隙間)の両方を同時に通過したとしか解釈できない基礎的粒子(電子など)の挙動が示されるものである。これは基礎的粒子の経路がどちらのスリットなのかを特定できない本質的な不確定性が現に存在していることを示すものである。このような本質的な不確定性はトンネル・ダイオードやジョセフソン素子として工学的に応用されてもいる。SFではこれが拡大解釈されて宇宙船のワープ航法に利用されたりしているが、それはあり得ない。なぜならば、不確定性の大きさには上限があるからである。ごく小さな基礎的粒子にとってその上限は無視できない大きさのものだが、人間や宇宙船のような大きなものにとってその上限はないに等しいほど小さく、したがって古典的な力学が十分に正しく成立するのである。原子を構成する電子が大きく、原子核が点のように小さいのもこの不確定性の上限によるものである。

 

 けれども、すべての性質に不確定性があるわけではない。量子力学では、古典的な交換関係が成立しないパラメータの間にのみ不確定性が存在すると解釈される(ハイゼンベルグの解釈)。やはり詳細は割愛しなければならないが、「古典的な交換関係が成立しないパラメータ対」はそれほど多くない。位置と運動量、時間とエネルギー、そして角運動量の各成分同士くらいである。私が知らないだけかもしれないが、他にあったとしてもマイナーで、テストには出ないから心配しなくてもよい(;他に生成消滅演算子など運動量を含む演算子なんかもそうです。テストには出るのでご注意)。先述のダブルスリットの実験は位置と運動量の間に生じる不確定性を示すものである。位置とか時間とか、単一のパラメータだけに不確定性が生じるわけではない。したがって上で述べた「確率的にしか分からない」とは別物なのであり、シュレディンガーの猫の生死が“原理的に”不確定なわけではないのだ。私たちは密室の中の猫の生死を確率的にしか知ることができないのだが、今この瞬間に猫が生きているか死んでいるかは猫の魂の有無にかかわらずはっきりと確定しているのである。

 

  このように「不確定性」「確率的にしか分からない」という二つの言葉はそれぞれ異なる事象を表している。けれども見方によっては、「確率的にしか分からない放射性原子の崩壊現象」は個々の原子における崩壊発生時刻の不確定性による、あるいは「不確定性原理」のために測定される素粒子の位置と運動量が確率的にしか分からない、という解釈もできる。特に後者は量子力学の基本原則として学生に教え込まれるため、これらの二つの言葉が同じ事象を表すものとして混同されてしまうのである。この点まで踏まえて考えると、「量子力学における『確率的にしか分からない』という表現は実は異なる二つの意味を含んでいる」と書くべきなのかもしれない。そのことをシュレディンガーの猫が私たちに語ってくれればよいのだが。

 吾輩は不思議な感覚に襲われ、そして突如としてすべてを悟った。今は居心地の良いこの密室には毒ガスが充満する仕掛けが施されており、その仕掛けが作動して吾輩は死んだ。殺されたのだ。けれどもそれを知覚する生きた吾輩が今ここにいることもまた事実である。したがってこの部屋に備えられている毒ガスの仕掛けはまだ作動していない。吾輩を殺した主犯を決して許しはしないが、しかし許さないという吾輩はまだ殺されていない。吾輩の生死は未だ不確定なのだ。さて、吾輩はその主犯を憎むべきなのか、それともこのような不可解な状況を作り出した世界こそ吾輩に憎まれるべきなのか。などと考えていると密室の扉が開き、まぶしい光が差し込んできた‥‥。