(続き)「ベルヌーイの定理」との格闘

 飛行機の翼の上下に圧力差が生じるのもヘリコプターのローターと同じ原理なのではないか? この問題提起に立ちふさがるのが「ベルヌーイの定理」である。曰く、「流速が速いほどその流体の圧力が低い。」事実、飛行機の翼の上下で気流の速度を測定すると、翼の下側よりも上側のほうが速いという。そのため翼の上側が下側よりも低圧となり、翼は下側から上側に押されてこれが揚力となる。

 このベルヌーイ効果の仕組みが分からなかったので調べたところ、18世紀の半ば(1738年)にベルヌーイによって発表されたオリジナルの定理は単なる流体のエネルギー・エンタルピー保存、それも非圧縮性を想定して流体の圧縮・膨張を考慮しないものであった。熱力学的なエンタルピーをそのまま考えてしまうと頭を抱えることになるが、直観的には分かりやすい。流速の持つ運動エネルギーは熱力学的なものでないため熱エネルギーには変換されず、非圧縮性によって仕事にも変換されないとなると、エンタルピーのpV項に変換されるしかない。さらに体積Vにも制約がつけられると、流速の変化がエネルギーを保存するためには流体の圧力pを変化させるしかない。

 しかし、注目すべきは「非圧縮性」である。水をはじめとする液体は非圧縮性流体として扱われることが多いのに対して、空気は簡単に圧縮できる。つまりこのベルヌーイの定理は空気に対しては適用できないのである。ウィキペディアベルヌーイの定理」の項↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86
を見ると、圧縮可能な気体に拡張されたベルヌーイの定理も記されてはいるが、それはオリジナルとはかけ離れた形になっている。これを読み解いても「流速が速いほどその流体の圧力が低い」というシンプルな託宣を得ることはできない。

 ベルヌーイの定理について、現代の航空力学の専門家の意見はどういうものであろうか。今手元にある「飛行機物語」(鈴木真二;ちくま学芸文庫)の中には、「ベルヌーイの定理は,エネルギーが保存されるから成り立つと説明されるが,(中略)むしろ圧力を下げて流体を吸い込むと流れが加速されると考えた方がわかりやすい.」という記述がある。慎重な書き方がされており、ベルヌーイの定理と飛行機の揚力との関係を否定してはいない。が、この書き方は裏を返せば「(非圧縮性が想定されなければ)流れの速い流体では圧力が低いと考えることには無理がある」というように読める。いずれにせよ、書かれているように因果関係を逆転させてしまっては、「ベルヌーイの法則が飛行機に揚力をもたらしている」という定説が成り立たなくなってしまう。

 以上の事実が指し示すところは明白だ。私たちは平成のクイズ番組により科されたくびきから解放され、ベルヌーイの定理から離れて飛行機の揚力を考えるべきなのである。そのための道しるべは既に得られている。ヘリコプターのローターが揚力を受ける仕組みを一般化して飛行機の翼に適用するのである。ヘリコプターのローターは積極的に空気を下方に送り出すことで反動の浮力を得、それに付随する形で圧力差による浮力も得ていた。しかし反動の浮力を得る際に空気抵抗による抗力を受けてしまい、これがエネルギー効率の低下をもたらす。ならばローターの形状を工夫することで抗力を小さくできないか。その結果反動の浮力も低下してしまうが、圧力差の浮力がそれを補ってくれればよいのだ。

 飛行機の翼はローターよりもはるかに面積が大きいので、圧力差を効率的に浮上力へと変換することができる。ローターのように下側の空気を下方に押し出せば、翼の下側に高い圧力を作ることができる。逆に上方の空気を翼の形状に沿わせて下方に引き込めば、翼の上側の圧力を下げることができる。大型旅客機が目的地近くで着陸態勢に入ると、翼の後方に設けられたフラップが降ろされてくる。これにより翼はより効果的に受け止めた空気を下方に押し下げる形となる。着陸態勢に入った飛行機は徐々に減速し、それに合わせて揚力が低下するため、より大きな揚力が得られるように翼を変形させるのである。ヘリコプターのローターや扇風機のファンに近づくものと解釈できる。その代償として空気抵抗による抗力も増大してしまうが、そもそも減速したいのだからむしろウェルカムである。

 では、圧力と流速の関係についてはどうだろう。定性的な推定は可能だろうか。低圧領域と高圧領域にそれぞれ同じ量の流体(気体)が流入/流出する状況を考えると、定性的に低圧領域では流れが速く、高圧領域では流れが遅くなる。これはエネルギー保存ではなく質量保存から得られる帰結であり、非圧縮性とは関係なく空気にも適用できる。翼の上側と下側にそれぞれ低圧領域と高圧領域が形成されるのであれば、これと同じ流れが生じるだろう。「同じ量の気体が流入してくる」という点を満たすかどうかだが、低圧/高圧領域が翼の直上/直下に扁平な形で形成されるのであれば、その表面積が同じになることで満たされる。

 あるいは積極的に翼の上に高速の流れを、下に低速の流れを作りだしても、上述の議論の逆の説明で翼の上側を低圧に、下側を高圧にすることは可能である。これは(エネルギー保存ではなく質量保存に由来する点で)オリジナルとは全く異なるベルヌーイの定理の気体版となり得るが、飛行機の翼にこの仕組みを適用すべきではない。翼の下側に低速の流れを作り出すためにはその場の空気に飛行機の進行方向の運動量を与えなければならず、これは飛行機の天敵である空気抵抗そのものである。それよりは翼の下側の空気に下向きの運動量を与えて圧力差を作り出すほうが効果的であろう。

 いや、そもそもの問題は、仮にベルヌーイの定理によって流速の差が圧力差を作り出すことを保証したとしても、翼の上下に流速の差が生じる仕組みを誰も説明しない点ではないか。「翼の上側が盛り上がっているために流路長が長くなり、その結果として上側の流速が速くなる」といういわゆる「同着の原理」(「原理」という言葉は「仮定」の意味で用いられる)が間違いである、という説明はしばしば目にする。が、その“対案”が示されることはない。大抵は「流速の差が生じるのは観測事実である」という説明で片付けられている。「そのために圧力差が生まれ、翼は浮上力を得るのだ」と。

 だが、私たちが求めているのはそんなことではない。巨鳥が大空を飛ぶことも、紙飛行機が安定して飛ぶことも私たちは知っている。観測事実として受け入れている。求めているのはその根拠なのだ。ベルヌーイ効果がその根拠だというのであれば、最後までそれを徹底してほしいのだ。しかし観測事実を説明することができないのであれば、私たちは早々にベルヌーイの定理を見限るべきだったのだ。

 もっとも、ベルヌーイの定理を見限り、直接的ではないにせよ翼が空気に下向きの運動量を与えることが翼を浮上させる根本的な作用であることを認めたとしても、私たちが飛行機に対して感じる不振や恐怖を振り払うことはできない。なぜならば、直接的に反動の浮力を利用しているロケットやヘリコプターのほうが飛行機よりも不安定で、墜落事故を起こす確率が高いからである。逆に反動の浮力を全く利用しない熱気球や飛行船のほうが飛行に関しては安定している。事故という観点からは安心できないものの、浮上の仕組みが直観的に理解できるという点では一番安心できる空の乗り物だ。昨今ロケットやヘリコプター型ドローンの開発の話ばかりが注目されているが、乗客の“安心”の追求・乗り物としての飛行船を追求する方面があってもよいのではないか、とも思う。