富に関する考察(後編) ;バブル経済の正体

 経済学の理論的な観点からこんにち最も興味深いテーマの一つとして、ビットコインに代表される暗号通貨が挙げられるだろう。その技術的な側面もさることながら、ビットコインの運用開始が2009年でそれ以前に存在していなかった富が現在(2021年1月)では数兆円の規模に成長しているところが人の関心を引く。実現された錬金術、もっと分かりやすく言えば魔法だ。だが、一見巨額に見える“数兆円”も国家やグローバル大企業が扱う金額の規模から見ると大した額ではない。なんなら日本国はその数倍の額の国債を毎年発行することで実質的に新たな通貨を作り出しているとみることもできる。それなのにビットコインがもたらすような富や豊かさを日本人が実感として享受できないのはなぜなのだろうか。

 ビットコインは本来、ネット上や国際的な少額決済、すなわち金銭のやり取りに用いるのに便利な通貨として“発明”されたものだという。ただし投機的な価値という側面も見据えられていたようで、現在ではそちら側ばかりが注目されている感がある。ここで、「通貨」という言葉は意味的にあいまいなものであるという。政府が統計データを調査するために定められた通貨とされるものが具体的に列挙されており、それらだけで意味的な再定義を行おうとするとうまくつじつまが合わせられないのだという。

 政府の定める通貨として第一に挙げられるのは、日本円としての価値を与えられた硬貨と紙幣である。そして次に来るのが銀行の預貯金。これは紙幣とはまた別の通貨とされている。すなわち、他者とやり取りできる金銭だけでなく、蓄積できる財産もまた通貨であるとされる。けれども不動産やビットコインは通貨としては扱われない。これはおそらく、価値が時間的に大きく変化しやすいためだろう。「統計データを調査する」という目的からすると、それらは扱いづらく不適格なのだ。日本ではこうされるべきなのかもしれない。けれども前回書いたように中国では普通の人々でも不動産で資産を形成・運用しており、不動産を正しくカウントしないと実態が把握できなくなるだろう。

 富に関する人々の大きな欲求の一つに「資産の保有」がある。ここでいう「資産」とは通貨とは関係がなく、直接的な実用を想定しないけれどもできるかぎり多く保有したい、と人々が考えるものである。適切な運用がなされるかどうかも関係ない。中国人が多く保有しているという2軒目以降の不動産にしても、それを賃貸しするわけではなく、また売却しない限りそこから資金をねん出することもできないのだから。将来的な値上がりを期待しているのかもしれないが、それも含めて“保有”が彼らにとっての直接的な欲求となっている。ちなみに日本では、不動産を資産として保有したいという欲求は生じにくい。土地の方はともかく、建物の価値が経年劣化(低下)してしまうからである。ならば土地だけ持とうとすると、日本の法律では固定資産税が高くついてしまう。「土地は貴重だから遊ばせないで活用してね」という法律の狙いが奏功し、日本では不動産は資産として保有するものとはされずに活用されている。

 資産の保有が人々の願いであるならば、保有資産となる対象を多く作り出せばよいのではないか。しかし日本円に関しては大量に発行するとインフレを起こすことを恐れてか、国債発行には否定的な意見が付きまとう。いわゆる通貨には本来法人や自治体の活動資金としての役割があるのであり、預貯金の過剰な増大はその役割に差し障る。要するに経済や社会活動を低迷させてしまうのである。あるいはその目的に最も適っているのがビットコインをはじめとする暗号通貨なのかもしれないが、ビットコインにも本来の“通貨”として期待されている役割があり、投機対象とするのに反対する意見が出てくるのだろう。一方、現状中国で不動産が保有資産としての機能を果たしているとしたら、中国における不動産の建設は実は人々に資産保有の願いをかなえさせる夢の事業であることになる。現在中国では過剰なまでの集合住宅が建設されているが、そうした観点から見ると日本でも報道される中国各地の「鬼城」(ゴーストタウン)の見え方が大きく変わってくる。

 もう一つ、人々が保有する資産としてうってつけの対象がある。株式会社の株式だ。資本主義陣営のリーダー的地位を担ってきたアメリカでは、実際国民の多くが株式の形で資産を形成しているという。こちらは通貨と違って人々が貯めこんでも何の不具合もなく、配当や株主優待があるので意義のある投資になるという側面もある。資金が必要となったときの換金しやすさという点でも、株式は保有資産として適していると言える。ただし難点もある。価値が安定しない点である。わずか数か月で価値が2倍に高騰したり半減したりすることもある。それも、株主からしたら全く理不尽でわけのわからない理由によって。これでは老後の貯蓄をすべて株式に回そうと考える人が出てくる方がおかしい。個人的にも、株式の形で資産を保有・貯蓄したいとは思えない。

 人々に貯蓄される財産としてふさわしい性質の一つに、価値の増加がある。詳しく見るとそこには二つの意味があり、一つは単位当たりの価値の増加、もう一つは単位換算での総量の増加である。中国の不動産は今のところこの二つともを満たしており、その点からも財産としてふさわしい。ビットコインもその点を重視して設計されており、一枚当たりの価値が下落しない程度の総量の増加がシステム維持のための労力の見返りとして仕組まれているという。システム維持のための奉仕活動が消費されない財産を生み出し、かつそれを報酬として受け取れる。こんにちこれほどの働き甲斐を得られる職業が他にどれくらいあるだろうか。料理にせよ耐久消費財の製造/販売にせよ、働いて生み出された価値はすぐに消費され、この世界から消えていく。こんな社会がいかにして富の総量を増やしてゆけるのだろうか。

 考えてみれば、株式会社と株式のシステムはこれに近い形態となっている。株式会社の社員と経営者は会社を維持するために働き、その見返りとして給料を得ている。その働きによって直接的に生み出される商品・サービスはすぐに消費されてしまうとしても、その結果として生じた株価の上昇分は富の増加として社会に蓄積される‥‥のだといいのだけれど。今一つ工夫が足りない感がある。最大の問題点は、社員の働きと株価がほとんど連動していない点だろう。株式を買う側にはギャンブルの素養が求められる。

 結局財産として価値を維持もしくは増大させてゆくものは、その国民がそうなるはずだと信じたものだけなのだ。中国人(特に華僑)は伝統的に金(gold)を信じ、しかし今の中国人はそれと同じくらいに不動産の価値を信じ、アメリカ人は自国の会社の株式を信じている。しかして日本人は、今も昔も日本円だけを信じている。貯蓄は銀行の預金のみ。ゆえに、庶民は高級品の消費を楽しめず、若者は起業できず、会社は設備投資ができない。ひたすら節約し、安定した職場で無難に働き、海外移転と人員整理を繰り返し、日本円の貯蓄に励む。

 改めて考えると「バブル経済」とは、無節操な浪費と狂乱の社会状況を指すのではなく、国民が通貨以外の財産の価値を信じている社会状況なのではないだろうか。もし今際限のないインフレが始まったとしたら、私は貯蓄をはたいてぜいたく品を消費しまくるだろう。もはや明日の銀行預金の価値が信じられないのだから。あるいは銀行預金以上に信じられるものがあるのなら、いちいち貯金などしない。逆に安易に融資を受けて何かの事業を始めるかもしれない。個人には難しくても、企業ならばそのように考えるだろう。信じる価値を増やすため、資金を投入して活動を活発にする。そのためには優秀な人材が必要となるし、彼らのモチベーションも必要となる。経済が回り、従業員を含めた国民全体の所得が増大する。過剰な消費による外貨不足の心配もない。なぜならここは「ものつくり大国」なのだから。これが、バブル経済の正体なのではないだろうか。

 人々は働き甲斐と消費の喜びを見出し、そこから生み出される消費財や知的財産が席巻する。これこそ日本人の求めてやまない社会のスタイルではないか。バブル経済よ再び! そしてフォーエバー! 一億総活躍社会はバブル経済の再来によって実現されるのだ。