ヘリコプターを飛ばすのは揚力なのか?

 飛行機が空を飛べるのは、飛行機の翼が揚力を生むから。それは誰もが知っている。けれども、この揚力というものをよく理解している人はまずいない。「飛行機が飛ぶことを疑うわけではないが、何百トンもの金属の塊が空を飛ぶことに違和感を感じる」「いつもこの離陸してからしばらくの間が恐ろしくて心の中で祈っている」という人は私だけではないはずだ。平成の初期のころ、テレビのクイズ番組などで、「飛行機が空を飛べるのは『ベルヌーイ効果』が揚力を生み出すから」と説明されていた。しかしこの「ベルヌーイ効果」を説明されてもいまいち納得できず、それゆえに「飛行機を浮かせているのはやはり人には理解しがたい特殊な物理現象のため」だと考えていた。

 実際のところ揚力とはごく簡単なもので、「流れる流体の作用で生じる、流体の流れに直交する方向の力」として定義される。特定の物理現象により特徴づけられるものではなく、状況を整理するための言葉という位置づけである。飛行機の翼を例に考えると、空を飛ぶ飛行機の視点で見ると周囲の空気は後方へ流れていく流体であり、翼はそれと垂直な上方への力を受けて重力を打ち消していることから、翼は確かに揚力を受けていることが分かる。

 ではヘリコプターはどうだろうか。ヘリコプターのメインローターは回転によってその下方へ向かう空気の流れを作り出しており、それが重力に抗う上向きの力を生み出して空を飛ぶ。であるならば、ヘリコプターが上昇する力は周囲の流体と平行な抗力ということになる。けれどもヘリコプターのメインローターに着目すると、それは自身と逆方向に回転する(つまり水平方向に流れる)流体から垂直な上方向の力を受けている。すなわちヘリコプター全体としてみると抗力で浮上しているが、ヘリコプターを浮上させるローターは揚力を受けて重力を打ち消していることになる。扇風機に至ってはさらに困惑させられる。扇風機などどう考えても抗力を利用する装置なのだが、そのファンに着目するとヘリコプターのローター同様に揚力を受けているのだ。

 と言って私たちが困惑する必要はない。上に書いたように揚力とは単なる「状況を整理するための言葉」なのであり、そもそもそうなるように人為的に定義されているだけのことである。私たちはそれを素直に受け入れればよいのだ。‥‥が、それが難しい。何かが引っかかり、素直に受け入れられないのだ。その点をよくよく考えてみて、ようやくその理由に思い当たった。私たちは直観的に、飛行機の翼に働く揚力と扇風機のファンに働く揚力との間に本質的な違いを見出しているのだ。本質的に異なる二つの現象に同じ言葉を与えようとしたため、そこに違和感を感じているのだ。

 私たちにとって最も自然に理解できる力は、作用・反作用の力である。二つの物体が衝突して互いに弾かれたり、あるいは銃を撃った時に受ける反動など、身の回りで考えられる多くの現象がこの分類に含まれる。そこに含まれない力としていわゆる4つの基本的な遠隔相互作用(重力、電磁気力、強い力の源となる量子色力、弱い力)があるが、実際にはこれらの力にも作用と反作用は存在する。したがってこれらと区別するために先に挙げた力を「直接的な作用・反作用の力」と呼ぶことにする。扇風機のファンに働く揚力はこの直接的な作用・反作用の力に分類される。この場合、作用・反作用の主体はファンと空気分子である。

 この直接的な作用・反作用の力にはもう一つの特徴がある。力の強さにその持続時間をかけると作用・反作用の主体の間でやり取りされる運動量となるのである。それが当たり前のようにも思えるが、そうならない力もある。例えば、遠隔相互作用の一つである重力に逆らっておもりをゆっくりと持ち上げる場合。あるいは、圧力差によって対象がゆっくりと浮き上がる場合。飛行機の翼に働く揚力はこれに該当する。先に書いた「飛行機の翼に働く揚力と扇風機のファンに働く揚力との間に本質的な違い」とは、運動量のやり取りがあるかどうかの違いなのである。

 運動量のやり取りを伴う力の働きは私たちにとって直観的に理解しやすく、逆にそうでない力の働きは私たちにとってなじみが薄く直観的な理解を妨げる。事実、ヘリコプターが空を飛べることに対して疑いを感じることはないだろう。だが、ここで逆に疑ってみる。ヘリコプターは本当に気体分子との運動量のやり取りによって浮上しているのだろうか?

 ヘリコプターが浮上する状況を具体的な数値で検証してみる。小型のヘリコプターを想定し、機体・乗員を合わせた総重量を2.0t=2,000kgとする。また、メインローターの1本の長さを2.5mとする。メインローターの回転で描かれる円の直径は5.0mとなり、浮上時はこの内側に下向き一様風速の風が生じるものとする。メインローターが回転していないときにはこの領域が無風状態であることを考えると、この下向きの風が持つ運動量を作り出す上向きの力をメインローターが受けていることになる。メインローターの回転円の面積をS、その中に生じる下向きの風速をv、空気の比重をmとすると、時間tの間に生じる下向きの風の持つ運動量PはP=mSvt×v=mStv^2と表せる。これを時間tで割ったP/tが、メインローターすなわちヘリコプターが上向きに受ける力の大きさとなる。ここで地上の空気の比重はおよそ1.3kg/m^3、メインローターの回転円の面積はおよそ20m^2で、これらを代入するとP=26v^2、その単位は[kgm/s^2]=[N]で力の単位となる。

 一方、総重量2,000kgのヘリコプターを重力に抗って浮上させるためには最低2,000kg×9.8m/s^2=19,600Nの上向きの力が必要であり、先ほどの下向きの風から受ける力でこれを賄うために必要な風速は27.4m/sと計算される。メインローターの下には機体が邪魔をしていることを考えると、実際に必要な風速はこれより少し大きく30m/s弱となるだろう。これは台風の最大風速に匹敵する風速で、発電用の風車も発電を停止するほどの強風である。とても遭難者の救助などやってられるものではない。水面上に浮上するヘリコプターの映像から察するに、その下に生じている風の風速はせいぜい20m/sというところではないか。だとすると、浮上させられる重量は1.0t程度となり、上記設定の半分となる。風速の正確な数値が分からないとはいえ、ヘリコプターに作用する揚力についてもそのすべてが運動量のやり取りを伴う力ではなく、上下の圧力差による力も一定量含まれていると考えるほうが合理的であろう。

 メインローターが回転すると、扇風機のファンと同じようにしてその軌道上にある気体分子を下方に飛ばす。するとその下方では気体分子密度が増加し、圧力が上昇する。逆にその上方では気体分子密度が低下し、圧力が低下する。そう考えればこの結果も特に不思議なものではない。仮に下向きの風の存在が圧力に影響を及ぼすとしても、ローターの上と下では同じ風が生じており条件は同じである。圧力差が生じるという結論には影響しない。この結論は、私にさらなる疑問を抱かせる。実は飛行機の翼に働く揚力もこれと同じで、上下の圧力差による力だけでなく運動量のやり取りを伴う力も一定量含んでいるのではないか?

 打ち上げられた直後のロケットは100%運動量のやり取りを伴う力で浮上している。逆に熱気球や飛行船は100%圧力差による浮上力で浮上している。だがこれらは「揚力」で浮上しているのではない。ヘリコプターや飛行機の浮上原理と性質が異なっていて当然である。逆に考えると、同じ「揚力」で浮上するヘリコプターと飛行機は同じ浮上原理を共有しているほうが自然なのではないか。さらに考えを発展させるならば、飛行機の翼の上下に圧力差が生じるのもヘリコプターのローターと同じ原理なのではないか? (続く)