モロッコ旅行記(4/4) ;スークの商人

ロッコでは、市場は「スーク」と呼ばれる。
マラケシュメディナ(旧市街)の北半分はこのスークによって占められている。
簡単な加工を行う作業場を併設した建物を伴う店舗からなる商店街もあれば、
露天商が商いをするための広場もある。
客層は、観光客よりも地元住民の比率が高かった。おそらく周辺地域から買い付けに
来ている地方の小売業者もいたのだろう。その賑わい方は日本の商店街の比ではない。
まず目に付く特徴は、どの店のどの商品にも値札が付いていないことである。
これは、売り物の値段が交渉によってはじめて決まることを意味している。
日本人は大抵ぼられるので、正直面倒くさい。
しかし、地元住民もいちいち交渉しながら必要なものを買っているのだとしたら、
ここは一つ商売の勉強のつもりで、交渉の成り行きを検証してみてはどうだろうか?
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まずは砂漠ツアーの帰途にトイレ休憩で立ち寄った民芸品の店舗。
「あーぁ、こういうところは雰囲気で買わされるから居心地が悪いな。」
「お、日本人ですか。『ドモ、アリガト』。この箱の中にいろいろありますよ。」
「いやー、それよりも、そこの壁にかかっているやつのほうがきれいかな。」
「それも同じ値段ですよ。一つ500DH(=\5,000)。」
その半額から値段交渉を始めたがほとんど負けようとせず、
結局400DHで銀製のブレスレットを購入した。
「ファティマの手」と握手できるデザインは気に入ったが、買い物は何だか気に入らない。
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続いてはマラケシュ新市街の公園にあった、みやげ物屋のテント村にて。
「アトラスの大地」で書いた「着色されたジオード」が欲しくて、売っている店を探した。
ジオードをたくさん売っている店を見つけ、店先の箱にごろごろと入れられていた
ジオードを一つ一つ開いて中を調べていると、若い白人の店員が近づいてきた。
「その大きさのは一つ200DHですよ。」
「待って、今いいのを探しているから。…これなら150DHでどう?」
「…170DH」「OK」「これ170で彼に売っていいですか?」
(店の奥に座っていた砂漠の民風の老人)「…。」(黙って首を横に振る。)
「…すみません、私のボスが200でないとだめだって…。」「じゃあ200DHでいいです。」
砂漠の老人はなぜここで値引きをしないほうがいいと分かったのだろうか?
それは、私が自分から幾つかある商品を調べて、気に入ったものを選んだからである。
人間、自分で選んだものには愛着が生じるため、多少値段が高くても買う。
まして自分から進んで調べるということは、彼がそれを欲しがっているという
明らかな証拠である。そこで値引きをするのは愚か者。
そうか、だから先の民芸品店の主も客に箱の中の装飾品を手にとらせようとしていたのか。
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こういうテクニックは、ビジネス・営業の世界でも通用するに違いない。
たとえば車を売るのであれば、同じ車種で様々な色のラインナップをそろえておく。
客は欲しい車のスペックがあらかじめ決まっていたとしても、
あとから店で色を選ぶことによって、その店の車に対して愛着を持ってしまう。
ロッコは商人の国。はるかな昔から交易で栄えてきた土地である。
今で言う「輸送」を主な業務としていた交易商人ばかりが歴史の中で目立っているが、
その陰に隠れて消費者への小売を生業とする「スークの商人」も確かにいた。
彼らは言葉の通じない異国の商人とも商売をしなければならなかったため、
長い歴史の中で有効なセールス・テクニックを培ってきたのだろう。
スークの商人、おそるべし。
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旅の終わりがけに、メディナのスークで宝飾品を商う店に入った。
「この渦巻状の縄の模様には何か意味があるのですか?」
「これには『持ち主に幸運を招く』という意味がある。これを見てくれ。
 お前のブレスレットの模様はみな同じ。同じ型から作られている。
 しかしこれは一つ一つ模様が違う。古い時代に作られた、手作りの首飾りだ。」
「確かに。あれ、その周りにある管状の青い石は?」
「これはアズライト。アフガニスタンで採れ、ここまで運ばれたものだ。」
「古い時代というのはどれくらい昔ですか?きっと高いのでしょう。」
「これは65~70年前に作られた。だからアンティーク物というわけではなく、
 それほどは高くない。400USドルでどうか?」
この店主は意外と値引きに応じてくれ、結局この首飾りを250USドルで購入した。
正直、この値段が妥当なのかどうか分からない。
これを自分で何かに使えるわけでもなく、こんなものを欲しがる女性もいそうにない。
しかし先の民芸品店での買い物とは異なり、この買い物は気に入っている。それに店も。
何が違うかといえば、ずばり店主の誠意、誠実さだろう。
この宝飾店の店主は、私の質問に対して納得のいく詳しい本当らしい説明をしてくれた。
お互い片言の英語で意思疎通がかなり困難だったにもかかわらず、である。
商売の極意、それは小手先のセールス・テクニックよりも、つまるところでは
誠意と製品知識、そして「自分はよいものを商っている」という自負である。
そう真のスークの商人から教えられたのだとしたら、
私は今回の旅行で砂漠の財宝を得て帰ってきたと言ってよいのだろう。