ヒューゴの不思議な発明

今年のアカデミー賞(正確には作品賞なのか)の「アーティスト」は
かなり敷居が高いし、第一まだ上映されていなかったので、
その対抗馬だった「ヒューゴの不思議な発明」を観てきた。
これも技術関連のアカデミー賞をとってたんだったかな。
 
タイトルや雰囲気からして昨今ハリウッドでよく作られている
CGバリバリの子供向けファンタジーかと思いきや、
いや、これはすごかった。
アカデミー賞の有力候補だっただけのことはある。
まあこういう映画が好きじゃないとか楽しめないとかいう人はいるかもしれないが、
だとしても観ておいて絶対に損はないと思う。文句は観てから言ってくれ。それは聞く。
映画を見る眼、もっと言えば好きとか楽しいとかの基準の肥やしになる。
 
主人公のヒューゴは何も発明しない。
ただ機械が好きで少し手先が器用なのと、やや独りよがりな情熱を持っているだけ。
強い好奇心、そして無知で純粋なおせっかいの心を持つ少女と彼が出会い、
今は失われた映画創成期の謎解きに巻き込まれていく。
先の大戦によって疲弊し人心も荒廃した大都市パリで、
やはり先の大戦で失われた映画創成期の秘話が運命的な偶然によって
次第に明らかになっていくストーリーには、本当に感動して泣いた。
 
映画創成期の牽引役として描かれていたジョルジュ・メリエスは実在の人物だそうで、
おそらく実際には定説通り先の大戦で死亡したのだろう。
ある分野で先駆的な仕事をした人物をその分野の現役が過度に持ち上げるのには
なんか抵抗を感じる、という人も少なくないかと思う。
物理の教科書等で先駆的な学者の業績が敬語で書かれているのを見ると
私でも「え…」て感じになるのだから、
畑違いの分野でそういう場面に出会ったら嫌悪すら感じてもおかしくない。
 
しかしこの映画からはそういう感じを受けなかった。
それは、元手品師だったというジョルジュが、驚き、楽しみ、感動を創り出して
うまく観客に伝えたいという信念に基づいており、
そのための苦労・工夫からもたらされた一つの成果として映画が創成された
というこの映画の主張にあるのではないかと思う。
つまり映画とは観客へのホスピタリティ(もてなしの心)の表現手法であり、
独自の苦労や工夫によりそれを創り得た者は
収益や名声よりもまず先に自己顕示の達成感を得るという点において偉大である
という主張である。これは分かりやすく、また受け入れやすくもある。
ジョルジュの時代は映像技術が稚拙であっても、あるいは女優が美しくなくても(;これは
本編で出てきた話。自分にはそれは判断できない)、
彼のホスピタリティが観客に驚き、楽しみ、感動を伝えたという点で
創成期の映画は成功した偉大な事業だったということである。
「大戦の結果、人々はリアルでない想像の産物から驚きや感動を感じられなくなり、
 彼の仕事は忘れられ消えていった」
という説明の背景で流れていたモノクロ画像の兵士達の小さな顔が、こわかった。
 
時期が遅かったからかこのタイトルの上映は一日に一本しかなく、
字幕版がよかったのだが時間的に吹き替え版しか観られなかった。
しかし、どちらにせよこの映画はぜひとも3D版を観て欲しい。
何が飛び出すべきか、というところまで考えつくされていることが分かる。
早回しのような汚い昔のモノクロ映像が立体的に飛び出して動く様は、
昔の映画に興味がない人にとっても観る価値があると思う。