ロシアSt.P.旅行記(1/4) ;エルミタージュ美術館

このGWにロシアのサンクト・ペテルブルグを旅行してきた。
世界の博物館巡りの一環としてエルミタージュ美術館を訪れることが一番の目的だ。
旧共産圏の国としては既に何度も中国を旅行しているが、
ソビエト連邦の一角(というかその中核)であった国を訪れるのは今回が初めてである。
現地旅行社に結構高額な送迎費を支払わなくてはならなかったり
旅行の二日前までビザが取れなかったり、といった苦労はまだ序の口。
ネット上で見かけた「ロシアの警官は白昼堂々と賄賂を要求してくる」という話には
心底恐怖を感じた。
貧しい国のぼったくりは日本人に対して本当にひどいことをしようとは思っていない。
が、ロシアの警官ならば外国人など(自国民も?)虫けらの様に思っていることだろう。
どんなひどいことをされるか分からない。最悪、強制収容所送り、という可能性も…?
 
ロシアの首都は今も昔もモスクワ。
ただし、今から300年前の帝政時代、
新たな首都としてサンクト・ペテルブルグがゼロから建設された。
その後ソビエト共産革命ののち首都がモスクワに戻され、
ソビエト時代にはモスクワが主役として発展してきている。逆に言うと、
サンクト・ペテルブルグは帝政時代のロシアを最もよく表す都市だということになる。
帝政時代は皇帝と貴族の時代。豪勢な彼らの宮殿が現在その主要な観光地となっている。
今回の旅行では、メンシコフ、エカテリーナ、エルミタージュの3つの宮殿を訪れた。
メンシコフはピョートル大帝の側近で、その宮殿は彼の私邸、
あとの2つはその後の時代の女帝が建(増)築したいわば王宮で、
3つのうちではメンシコフ宮殿が一番小さい。
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またエカテリーナ宮殿は夏の間の別荘的な存在であるため、
エルミタージュ宮殿が3つのうちでは最大である。
私は幸運にも上記3つの宮殿を小さい順に訪れたため、
失望感も食傷感も味わわず新鮮な驚きのみを味わえた。
 
実際エルミタージュ宮殿(美術館)の大きさは圧倒的である。
新旧3つの棟からなっており、メインの宮殿は3階、残りの2棟は2階まで展示室がある。
いずれも2階はそれだけで通常の建物の2階分はあろうかという高さがあり、
そこに上下複数段にわたって絵画が展示してある。
上段に掲げられた絵画はもはや近づいて見ることもできない。イメージ 2
美術品や工芸品に混じって、巨大な石製の壺(カップ?)も数多くあった。
人の背丈ほどもある孔雀石やラピス・ラズリである。
石好きの私としては、美術品にも増してそれらに注意が向かざるを得ない。
…が、よく見ると小さな石の破片を張り合わせて作られたモザイクだった。
とはいえ、それらは石の模様が自然になるように組み合わせを考えて作られていた。
だからこそ私の眼が(近づいて見るまで)「単一母岩の削り出し」と騙されたのである。
これらはただの大味ではない。
製作者、それにおそらくは依頼者も、ちゃんと鉱物の美しさを分かっている!
 
エルミタージュ美術館の開館は朝10:30で、その1時間前には入場待ちの行列(個人
入場者入り口)ができている。私もその行列に並んで開館1番に入場し、
昼食をとることなく閉館ぎりぎりの18:00まで館内を見て回った。
それで全体の9割くらいは回れたと思っているが、
もちろん個々の美術品をじっくりと観賞して回れているわけではない。
それほど時間がかかってしまったのには、実はわけがある。
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新館1階は古代ギリシャから近代までの彫刻の展示用に当てられているのだが、
これらの彫刻が昨年購入した3Dカメラの被写体としてうってつけだったのだ。
面白がって写真を撮っているうちに、気がついたら正午を過ぎてしまっていた。
写真3枚目の彫刻は今回一番のお気に入り、名付けて「やっちまった!」だが、
3Dカメラだとこれが立体的に飛び出して見える。
 
絵画の展示品については、意外にもロシア本国の画家によるものは全くない。その理由は
「ロシア人画家による作品は(少し離れた)ロシア美術館に分けて展示しているから」
なのだが、背景には
「かつてロシア皇帝や貴族が西欧の画家の作品を好んで購入・収集したから」
という事実も確かにある。
ピカソマチスといった20世紀の画家の作品も多く展示されている。(続く)
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