ロシアSt.P.旅行記(2/4) ;芸術の街
(前回の続き)
そんな中で私が今回取り上げるお気に入りの一枚には、
19世紀フランスの画家コンスタン・トロワイヨンの「On the Way to the Market」を選ぶ
(下記アドレスでエルミタージュ美術館公式HPから閲覧可能)。
http://www.hermitagemuseum.org/fcgi-bin/db2www/descrPage.mac/descrPage?selLang=English&indexClass=PICTURE_EN&Query_Exp=%28WOA_TYPE+%3D%3D+%22Painting%22%29+AND+%28WOA_AUTHOR+%3D%3D+%22Troyon%2C+Constant%22%29&PID=GJ-3966&numView=1&ID_NUM=2&thumbFile=%2Ftmplobs%2FZNIF0K2KPGBRHEE06.jpg&embViewVer=last&comeFrom=browse&check=false&sorting=WOA_AUTHOR%5EWOA_NAME&thumbId=6&numResults=3&author=Troyon%2C%26%2332%3BConstant
いや、私が撮影したピンボケ気味の写真のほうが、
私の見たときの感動を忠実に再現してくれているように見える。
この画家は動物の絵を得意としていたというだけあって、
動物達が白い息を吐きながら朝日を浴びている様子は
本当に目の前で展開されている光景であるかのようにリアルだ。
中でも目を奪われるのが、右下で牛にじゃれ付いている犬の躍動感である。
じゃれ付いている犬の瞬間を本当にきれいに切り取っている。まるで写真のように。
そんな中で私が今回取り上げるお気に入りの一枚には、
19世紀フランスの画家コンスタン・トロワイヨンの「On the Way to the Market」を選ぶ
(下記アドレスでエルミタージュ美術館公式HPから閲覧可能)。
http://www.hermitagemuseum.org/fcgi-bin/db2www/descrPage.mac/descrPage?selLang=English&indexClass=PICTURE_EN&Query_Exp=%28WOA_TYPE+%3D%3D+%22Painting%22%29+AND+%28WOA_AUTHOR+%3D%3D+%22Troyon%2C+Constant%22%29&PID=GJ-3966&numView=1&ID_NUM=2&thumbFile=%2Ftmplobs%2FZNIF0K2KPGBRHEE06.jpg&embViewVer=last&comeFrom=browse&check=false&sorting=WOA_AUTHOR%5EWOA_NAME&thumbId=6&numResults=3&author=Troyon%2C%26%2332%3BConstant
いや、私が撮影したピンボケ気味の写真のほうが、
私の見たときの感動を忠実に再現してくれているように見える。
この画家は動物の絵を得意としていたというだけあって、
動物達が白い息を吐きながら朝日を浴びている様子は
本当に目の前で展開されている光景であるかのようにリアルだ。
中でも目を奪われるのが、右下で牛にじゃれ付いている犬の躍動感である。
じゃれ付いている犬の瞬間を本当にきれいに切り取っている。まるで写真のように。
彼は美術史の中では「写実主義の画家」と分類されているらしい。
なるほど、彼の作品を見ればそれは確かに納得できる。
日本では写実的な絵は比較的好まれているようだが、今日の美術の世界では
写実的な作品はあまり高い評価を得られない。つまり流行らないという事。
それはおそらく、写実性という観点では誰もカメラに敵わないからであろう。
人間は、人間にしか描くことのできない内なる美を作品として表現すべきである、と。
なるほど、彼の作品を見ればそれは確かに納得できる。
日本では写実的な絵は比較的好まれているようだが、今日の美術の世界では
写実的な作品はあまり高い評価を得られない。つまり流行らないという事。
それはおそらく、写実性という観点では誰もカメラに敵わないからであろう。
人間は、人間にしか描くことのできない内なる美を作品として表現すべきである、と。
彼が画家として活躍した19世紀中葉にも、既に写真技術が存在していた。
しかしそれは、動きある光景を切り取ることができない代物だったらしい。
それより少し後の時代、日本では幕末から明治にかけて、
位のある武士や西洋に通じた通人気取りの紳士が自身の肖像写真を残したような物だ。
彼はこのような写真機を馬鹿にしつつ、
心の奥では密かにあせりを感じていたのではないだろうか?
この稚拙な写真技術がいずれは我々画家の存在を脅かすようになるのではないか、と。
そしてそれに対抗すべく、(当時の)写真には真似できない
躍動感あふれる絵画を描こうと模索を続けた画家だったのではないだろうか。
彼の模索は結局のところ写真技術に追い抜かれ、芸術の世界で打ち捨てられることになる。
が、人間がこれほどの躍動感を切り取って絵画にできた、という驚きは、
少なくともこの作品を見た現代人によって共有されてもいいのではないかと思う。
しかしそれは、動きある光景を切り取ることができない代物だったらしい。
それより少し後の時代、日本では幕末から明治にかけて、
位のある武士や西洋に通じた通人気取りの紳士が自身の肖像写真を残したような物だ。
彼はこのような写真機を馬鹿にしつつ、
心の奥では密かにあせりを感じていたのではないだろうか?
この稚拙な写真技術がいずれは我々画家の存在を脅かすようになるのではないか、と。
そしてそれに対抗すべく、(当時の)写真には真似できない
躍動感あふれる絵画を描こうと模索を続けた画家だったのではないだろうか。
彼の模索は結局のところ写真技術に追い抜かれ、芸術の世界で打ち捨てられることになる。
が、人間がこれほどの躍動感を切り取って絵画にできた、という驚きは、
少なくともこの作品を見た現代人によって共有されてもいいのではないかと思う。
サンクト・ペテルブルグはまた、音楽、バレエ、オペラの街でもある。
ロシアの音楽家として最も有名なチャイコフスキーが音楽を学んだ街(その後は
モスクワに移り住んだらしいが…)でもあり、
街中にバレエやオペラを演奏する大小の劇場、コンサートホールがある。
ここはせめて言葉が分からなくても理解できるバレエを観賞しなければなるまい
と考え、チケットをとるべくガイドブックに載っている劇場を訪ねた。
はじめに行ったのは、芸術広場を取り囲む劇場の一つ、ミハイロフスキー劇場。
カッサ(チケット売り場)は英語も通じ、対応も親切だった。
が、チケットは既に数日先の分まで売り切れとのこと。
大きなところはダメなのかと思い、半日かけて街中にある小さな劇場を訪ね歩いたが、
どこも開いてさえいなかった。小さな劇場は毎日公演を行っているわけではないらしい。
後日、ガイドさんに「街中を探したけどチケットが手に入りませんでした」というと、
「ロシアでは旅行会社や個人のダフ屋がチケットを確保してしまっているからね」
とのこと。そこの旅行会社でもチケットを1枚何とかできるという。
3,000P(~9,000円)したが、それくらいのものではないかと思う。
劇場はエルミタージュ劇場。エルミタージュ美術館の一角に作られた劇場で、
大きくはないものの由緒のある劇場だ。かつては皇帝が私的に使っていたらしい。
演目は「白鳥の湖」。
舞台の前にオーケストラが座っており、誰もが知っている曲をそこで生演奏していた。
劇は主に城内と湖の二つの場面からなっている。
城内の侍女達の踊りは人間的な動きだったが、
それとは対照的に白鳥たちの踊りは非人間的な動きだった。それゆえ印象的でもあり、
だからこそ今日この白鳥の踊りがバレエの代名詞になっているのだろう。
舞台は幕間の休憩を含めて2時間半以上続き、
19時に開演した舞台が終わって外に出られたのは22時近く。
さすがのサンクト・ペテルブルグも夕暮れの時刻だった。
団体客たちが大型バスに乗り込むのを見ながら、歩いてホテルへの帰路に着いた。
大きくはないものの由緒のある劇場だ。かつては皇帝が私的に使っていたらしい。
演目は「白鳥の湖」。
舞台の前にオーケストラが座っており、誰もが知っている曲をそこで生演奏していた。
劇は主に城内と湖の二つの場面からなっている。
城内の侍女達の踊りは人間的な動きだったが、
それとは対照的に白鳥たちの踊りは非人間的な動きだった。それゆえ印象的でもあり、
だからこそ今日この白鳥の踊りがバレエの代名詞になっているのだろう。
舞台は幕間の休憩を含めて2時間半以上続き、
19時に開演した舞台が終わって外に出られたのは22時近く。
さすがのサンクト・ペテルブルグも夕暮れの時刻だった。
団体客たちが大型バスに乗り込むのを見ながら、歩いてホテルへの帰路に着いた。