ロシアSt.P.旅行記(4/4) ;共産主義と貴族主義

ロシアはかつて共産主義の元締めソビエト連邦の中核国家だった。といっても
それは20年も昔の話で、平成生まれの若者にその認識は通じないのかもしれない。
そのころを知っている世代にしても、共産主義について詳しく知る人は多くないだろう。
共産主義に対立するもの、
それはここロシアでは「資本主義」ではなく「貴族主義」である。
かつてレーニンが主張したところでは、
時代の流れと共に社会は「封建主義」→「資本主義」→「共産主義」と変化する。
しかしロシアでは他の西欧諸国と比べて貴族中心の社会が長く続いたため、
資本主義の段階を経ることなくロシア革命共産主義社会となってしまった。
共産主義革命の当事者達は、その矛先を当時の権力機構、すなわち帝政を維持していた
皇帝とその取り巻きの貴族達に向けたのである。
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エルミタージュ美術館の収蔵品は、主にロマノフ王朝時代の皇帝(女帝)たち、
および同時代の貴族達が収集した美術品である。
それゆえ、その収集の歴史は20世紀の初頭で止まっている。
ピカソマチスなど20世紀に活躍した画家の絵画ばかりを集めたエリアもあったが、
彼らの晩年の作品はそこにもなかった。
ではロシア人画家の作品ばかりを集めたロシア美術館ではどうだったかというと、
やはり多くが19世紀以前の作品だった。
ロシア革命以降の作品もあったのかもしれないが、正直覚えていない。
ニューヨークのMoMA(近代美術館)などにあるような、
新しさ、オリジナリティを感じさせる作品がなかったからである。
共産主義を掲げてきたソビエト連邦のオリジナルといえる芸術・文化は一体なんだろう?
ソビエト連邦が芸術をないがしろにしていたかというと、そんなことはないはずだ。
オペラやバレエ、音楽などの芸術はロシア革命以降に発展してきている。
共産主義の社会にあっては、これらはショービジネスやエンターテインメントとして
発展してきてはいないはずで、やはりその目指すところは芸術である。
しかし、バレエやオリンピック種目になるような肉体系の演目はともかく、
それ以外の芸術分野で世界的な知名度を得ているソビエト連邦発の作品があまりない
という事実は、やはり共産主義と芸術の相性がよくないことを表している。
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芸術とは、ある意味個人的な情熱と酔狂によってもたらされるものだ。
それをもたらす「個人」とは、芸術家であり、そのスポンサーたる金持ちである。
飛び抜けた金持ちはその時代の常識人たちが理解できない芸術家を見出し、
スポンサーとして育成し、新たな芸術の種を播く。
その苗がある程度広がって育った後は、小金持ちたちが引き継いで果実の収穫を行う。
こうしてその文化圏にオリジナルの芸術が生み出され、
その文化に新たな奥行きがもたらされる。
「新たな芸術の種を播く」という段は、大衆や国家ではうまくできない。
「個人的な酔狂」が平均化されて薄っぺらくなり、
あるいは普遍性を追求することで科学・工業技術に転化されてしまう。
ソ連の場合は後者だったのだろう。
こんにち私達がソ連と聞いて連想するのは、スプートニクソユーズ宇宙船、
そして大陸間弾道ミサイルICBMである。
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ロシアは、もう少し後まで貴族の時代を引きずるべきだった。
ロシアの貴族達が民族意識に芽生え、独自の文化を欲するまで。
自国内にいたであろう独創的で風変わりな自称芸術家達の作品に美を見出し、
それを文化として育てるまで。
自国内の小金持ちばかりでなく、諸外国の新興成金たちがうらやましがって、
あるいは将来性ある投資先としてそれらの作品群を欲しがるようになるまで。
その後は、自国内のブルジョア資本家でもプロレタリアート代表の革命家でもだれでも、
それをイコンに続くロシアのオリジナル芸術にまでもって行くことができたはずである。
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侵略者から自国を守るための攻撃兵器は、場合によっては自国を窮地に追い込む。
しかし洗練された独自文化にそんな力はない。
その一方、洗練された独自文化は他国の侵略・同化を困難にするばかりでなく、
国際社会における地位を向上させてもくれる力を持つ。
ソ連の崩壊からわずか20年でここまでの奇跡的な経済発展を遂げたロシアの国民には、
ぜひともそのことを分かってもらいたいと思う。
そして、今なお軍事力に頼って存続しているいくつかの独裁者国家の国民にも。