ベトナム中部旅行記(1/7) ;交易都市ホイアン

この9月に丸一週間の休みを取り、前後の休日と合わせて計10日の長期旅行に出かけた。
(これでも)これほどの長期旅行は初めてで、
なるべく1か所の拠点を中心に滞在する旅行にしようと考えた。
いくつか考えた候補地の中から最終的に選ばれたのが、ベトナム中部の古都フエ。
その周辺にも魅力的な観光地があり、時間をかけてじっくり周れると考えたからだ。
 
ベトナムは南北に長く、面積にして日本の9割ほどの国土は
細い「接続部」によって北部と南部がつながっているような形をしている。
この「接続部」は長さが300kmほど、幅は50kmほどしかなく、
両側を海と山岳(ラオス国境)によって挟まれている。フエはその南端に位置している。
文化・風俗はほとんど中国南部と同じと言っていい。
一見中国っぽく見えないのは、この国が漢字の使用を放棄したからだ。
現在アルファベットを基にした独特の表記法「クォック・グー」が用いられているが、
これは漢字で書くと「国語」となるのだとか。
かつてGHQが日本を統治した際、日本語をアルファベット表記にしようと試みた
という話があるが、それが実現したのに近い状況が今のベトナムなのだろう。
 

古都フエについては別の項に譲るとして、まずは交易都市ホイアンから。
ホイアンはかつて「海のシルクロード」の中継基地として栄えた都市で、
当時の商人たちが建てた古い伝統的な街並みが今も残されている。
街の中にいくつかあるチケット売り場で5回分の回数入場券を購入し、
街の中に散在する寺院、テーマ別のちょっとした博物館、
それに今なお人が住んでいる伝統的な民家・商家などを見て周る。
入場可能な施設・建築物は20軒以上あり、券が切れたら次のを購入するシステムだ。
ここは街全体がコンパクトながら観光地としてかなり洗練されており、
日本の彦根城下町(滋賀県)や飛騨高山に近い印象だった。
最も有名なものが来遠橋、通称「日本橋」で、
地球の歩き方ベトナム版」の表紙にも描かれている。
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かつて江戸初期までは日本人がこの地にも交易のためにやってきており、
日本人街を形成していたらしい。ただし現在の観光客の大半はヨーロッパ人で、
カフェやレストランは西洋風のスタイルにできていた。
チケットで中に入れる古民家の多くは、今なお住民が住んでいる。
みやげ物を販売しており、入場者にお茶を一杯出してくれたりもする。
時間が許すのであれば、応対してくれる住民からいろいろ話を聞くのがいいだろう。
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拠点としたフエからホイアンへの遠出は、一泊二日で行った。
事前にインターネットですべての日程分フエのホテルを確保していたが、
ホイアンでの一泊分は現地の飛び込みで宿を確保しなければならない。
市街のはずれに小さなホテルの並ぶ通りがあり、そのうちの一軒に入ってみた。
一人一泊10ドルと言われ、あまりの安さに当惑しながら部屋に案内されると、
外に面する窓が一つもない部屋だった。
こういうバックパッカー・スタイルの旅行は初めての体験である。
しかしこの安ホテル、床や内装は近代的でベッドや水周りの清潔さも完璧、
家電設備による快適さはホイアン旧市街の伝統家屋よりもはるかに上を行くだろう。
 
ホイアンは海から小さな河を数km遡った場所に位置している。
その海岸線は現在ビーチリゾートとしても開発されているようだ。確かに、
ホイアンから近隣の大都市ダナンへ続く道路から見た海岸は、きれいな砂浜だった。
別荘地として開発しようとしている地区もあったが、大半は手つかずのままだった。
一方内陸側の近郊はほぼすべてが水田地帯である。
日本と同じでちょうど今頃(9月)が収穫期のようで、
稲穂の垂れる田んぼに赤とんぼが舞う様は全く日本の田園風景そのままだった。
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ただ大きく違うのは、刈り取り後の田んぼに牛がいること。
骨ばった茶色い牛、象のような色で巨大な角を持つ水牛が何頭も立っている。
ひこばえの稲や雑草を食べさせているらしい。
…もう一つ日本と違うのは、あちら(ベトナム北部)では二毛作で米がとれること。
この後10月から雨期に入り、その後また田植えが始まるのだそうだ。