"棒読み"の意図を考えた

先日、映画「風立ちぬ」を見てきた。
自他共に認める評価通りこれは大人向けの映画であり、
子供が見てもなにが面白いのかよく分からないだろう。
その理由は二つ。
一つ目は、ストーリーとして扱われるのが短期間の"できごと"ではなく、
数十年単位のスパンにわたる"一人の人物の半生"であること。
もう一つは、分かりやすいテーマや主張が見当たらないこと。
映画の内容をざっくりと二行に要約するなら、
「才能にも環境にも運にも恵まれた、そしてたぶん時代にも恵まれた一人の男の、
 憧れていた飛行機設計に携わった半生」
となるだろう。
 
  ;以下、ややネタバレあり
事前にこの映画の特色を聞いて「えっ」となるポイントがいくつかあるが、
まず最初に来る「えっ」が、「どうして混ぜちゃったの?」
言うまでもなく、この映画の主人公のことである。
ゼロ戦の設計者である堀越二郎氏と、同じ時代の小説家である堀辰雄氏の二人を
混ぜた人物が主人公となっている。私はこの二人とも全然知らなかったが、
知っている人からすれば「えっ」となるほど共通点や接点のない人物だったらしい。
しかしまあ、宮崎駿の映画を知っていれば、混ぜた理由は大体分かる。
その一番の理由は、映画を「ドキュメンタリー」にしたくなかったからだろう。
 
二つ目の「えっ」は、効果音である。すべて人が口で音まねをやっているのだという。
この話は事前に知っていたし、飛行機のエンジン音などはそれとすぐに分かる。
事前には心配されていたようだが、これはそう悪くない試みだと思う。
たぶん子供などはそれが音まねだと分かると喜ぶのではないだろうか。
ただし、宮崎駿の意図は別にあると思う。それは「飛行機という存在の非現実化」だ。
映画の観客は、最終的に開発される飛行機が「ゼロ戦」という戦闘機であることを
知っている。 ;実際劇中で開発されるのはそれよりも前の世代のものらしいが。
劇中にも「飛行機は呪われた存在だ」というセリフがあった。
しかしそのことを(忘れないまでも)意識の奥へ追いやるために、
非現実的でコミカルな感じのする口の音まねを効果音として使ったのではないだろうか。
飛行機以外にも汽車やバスが出てきたが、これらの効果音は非常にリアルだった。
"実物"かと思っていたが、これらもどうやら口の音まねだったらしい。
だとすれば、飛行機の効果音のみがすぐにそれと分かるコミカルさを含んでいたのは
制作者が何らかの意図を込めてそうしたという証拠であろう。
 
そして三つ目の「えっ」は、主人公の棒読みである。
彼の声優は本業ではなく、庵野秀明という監督だ。
ネット上の反応は酷評ばかりで、制作側の"棒読み"への反応も「えっ」だったらしい。
ただ私が実際に聞いた感じとしては、
これは「演技がヘタ」というのではなくて意図的なものだとしか思えない。
駿は声優の演技にうるさいようなので、これには彼の意図が込められているのだろう。
問題は、「その"意図"が分からない」ということだ。
 
先に書いたように、ストーリーは一人の男の半生のダイジェストである。
それも波乱万丈の半生を2時間で語ろうというのだから、
普通なら感情過多で展開についていけなくなってしまうかもしれない。
それを避けるためだろうか、感情的な部分を意図的に削ぎ落としている感がある。
恋人菜穂子と再開した避暑地でのホテル逗留には
「設計した飛行機の試運転に失敗した失意のうちの傷心旅行」という背景がありながら
その"挫折"の部分はほとんど描かれていないし、
その後渾身の試作機が好成績をたたき出したときも
主人公自身はほとんど喜びの様子を見せなかった。
ネット上の評価で「プロジェクトXのような感じ」という意見があったが、
私はこれは「プロジェクトX」とは全然違うと感じた。
 
渾身の試作機の試運転成功の後、主人公の歩いていった先にあった場面が、
おそらくこの映画の(ストーリー上の)見せ場であり、要点だったと思う。
憧れの先人設計家カプローニに「どうだった?お前の設計家としての10年は。」
と問われ、主人公がそれに答える場面である。
これは、監督が観客に対して
「どうだった?こうやって才能にも環境にも運にも恵まれた、そして
 たぶん時代にも恵まれた一人の日本人として、飛行機とその設計家に憧れ、
 勉強と経験をして実際に設計家となり、恋愛をして、一人の女性に幸せを与え、
 自分のなした仕事が後世絶賛と酷評の的となる人生は。」
と問うていたのだと思う。
 
であるなら、この一編の映画は実はすべてが
客観性と落ち着きを得た老年期の主人公の回想だったのではないか。
回想の中で登場人物たちは色褪せることなく生き生きと感情豊かに立ち回り、
自身も若い姿と声を取り戻してその中で自身の役を演じているものの、
客観性と落ち着き、そして後に起こる出来事の知識を得てしまった以上、
当時と同じ感情をもってその役を演じることはできない。
これが監督の意図した"棒読み"の真相なのだろうか?
だとしたら、前段落の監督の問いに対して私はこう答える。
「それはすばらしき波乱万丈の人生だ。だからもっと感情を込めてもいいんだよ」と。