ホイッスラー展

横浜美術館で開催されていた「ホイッスラー展」を見てきた。
ホイッスラーは19世紀後半の画家で、主にロンドンで活躍していたらしい。
ビビットな女性の絵、特に「これぞジャポニスム」という絵を代表作として描いている。
http://www.jm-whistler.jp/point/
これが「ホイッスラー展」の公式HPのようで(時が経つと消されるかも…)、
ここに挙げられている絵画を見れば「ああ、こういう絵を描く人か」と
思い当たる人もあるかもしれない。
;ちなみに、こちら↓でもいくつか代表作を見ることができる。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/W/Whistler/Whistler.htm

出展されていた作品としては、エッチングリトグラフが多かった。
個人的な経験から言わせてもらうと、細かい線を多く書き込めるエッチングを好む人は
大抵はっきりとした絵を好むのではないかと思う。
逆にパステル絵画や油絵を好む人はもやっとした絵を好みそう。
その観点からすると、エッチング作品を多く残したホイッスラーが
ビビットな女性の絵(ただし油絵)を描いたことは道理にかなっている。
ところが、それと真逆に位置するような絵も彼の代表作として多く存在するのである。
女性の絵にしても、顔はわざとぼかしてはっきりさせず、
どこの誰とははっきりしないけれど、そういう雰囲気の子自分も知ってるわ
てなるのを意図したような作品も結構あった。
;逆に、”ビビットな女性の絵”の大半はモデルが当時同棲していた愛人だと
はっきり特定できるらしい

抽象的な絵、というのともまた違うのだが。
はっきりしない絵としては、風景画のほうが典型的で作品数も多い。
ノクターン」というタイトルの連作で夜の海(もしくは川)の風景を描いた一群の絵が
彼の主要な代表作とされている。
”夜の風景”なので当然はっきりせず、色調もモノトーンに抑えられている。
それでも見る人はその光景をありありと頭に思い浮かべることができる。
その点、これらは抽象絵画ではなくやはり風景画なのだと分かる。
私の感想としては、その「ノクターン」シリーズよりも
バルパライソ」(;南米チリの港町)という絵のほうが印象的だった。
静かな海に浮かんでいる数多くの船が、朝もやに霞んでぼんやりと見える。
眺めていると、水面が波打ち、船がそれぞれに揺れだしそうに見えてくる。
ただ空に浮かぶ灰色の雲だけが、ぼんやりしながらもその場に静止している。
この灰色の雲の雰囲気が本当に見事だと思った。
…ただ、上記のHPを今チェックしたところ、この絵の副題は「肌色と緑色の黄昏」
え、これ朝じゃないんだ…。

しかし本展で私が選ぶ一作は、それではなく「紫とバラ色」である。
前述した”ビビットな女性の絵”のひとつで、
鮮やかな衣装をまとった女性が陶磁器に絵を描こうとしている、そんな絵である。
この絵の主題はもちろん”鮮やかな衣装をまとった女性”だ。
が、何がすごいって陶磁器をこれほどうまく描いた絵を私は他に見たことがない。
特に画面右下に置かれた大きめの壷、その照り具合はどう見ても本物のそれである。
背景の皿の色合いや筆遣いまでまったく手を抜いていないことがよく分かる。
これは実際の風景を絵にしたもの、つまり
いくつか描かれている陶磁器は全て彼のコレクションだと思われるが、
それらがすべて呉須絵だというところがなんともマニアック。
絵の副題(の解説)からこれらは清朝中国の陶磁器であることが分かるが、
当時の中国では五彩や七宝焼きといった
カラフルな絵付けの陶磁器がもてはやされていたはず。
当然ヨーロッパの市場にもそういうものが出回っていたと推測されるが、
彼はあえて呉須絵のものばかりを選んで購入していたのだろう。うーん。
個人的な印象かもしれないが、呉須絵の焼き物は日本のものだという感じがする。
彼もそういう印象を持っていて、「これぞジャポニスム」という感じを出すために
あえて呉須絵ばかりを選んだのだろうか。

いうまでもなく彼は当時の欧米社会を意識して「これぞジャポニスム」な作品を
描いたはずだが、現代の日本人にも受け入れられやすい作風ではないかと感じた。