メキシコ旅行記(1/4) ;銀鉱都市

今年の夏休みはメキシコに行ってきた。
メキシコは世界的に有名な観光立国でありながら、
私はこれまで一度も行ったことがなかった。
日本からメキシコへ行くのにビザの取得は必要なく、飛行機も週に2便直行便がある。
欧米人、とくにアメリカ人がカリブ海沿岸地域のビーチへ行く
というのがメキシコにおける主要な観光事業であるようだが、
実際に行ってみるとそれ以外にも見る価値のある観光スポットが多くあった。

今回の旅行は主に首都メキシコシティを拠点としていたが、
そのハイライトは自動車で行く一泊二日の中央高原都市ツアーだった。
日本の旅行代理店で手配してもらった現地ツアーだったが、ふたを開けてみると
ツアー参加者は自分一人で、実質的にガイド兼運転手の貸切個人旅行であった。
メキシコの国土は面積が日本の3倍あるそうで、土地の感覚が大陸的である。
このツアーも「一泊二日」にしては移動距離が長かった。
メキシコシティから目的地であったグアナファトまでは直線距離にして300km以上、
日本で言えば東京から名古屋まで自動車で移動するようなツアーだ。
ちなみにメキシコでは都市間を結ぶ鉄道網がなく、庶民は移動に路線バスを用いる。
そして、どうやらメキシコ国民はかなりの車好きのようである。
自国で石油が採れてガソリンが安いからなのか、それとも隣国アメリカの影響なのか。

途中の街に立ち寄ったりもしたが、このツアーのメインは一泊したグアナファトの街。
日本では全く知られていないが、この街はかつて世界的な銀山の街だった。
世界一有名な銀山は南米(ボリビア)のポトシ銀山だが(メキシコにも
ポトシ銀山」があるようで混乱させられる)、
18世紀末に本家のポトシ銀山で銀の産出が先細って以降、
グアナファトをはじめとするメキシコ中央高原の銀山が世界の銀生産の主役となり、
最盛期には世界の銀生産の1/3を占めていたという。

銀山を中心に栄えたというだけあって、街は山の斜面に形成されている。
その外観は石造りのヨーロッパの古い街並みそのまま、いわゆるコロニアル様式だ。
各所に品の良いきれいな公園があり、中心部には古い大学や荘厳な劇場が建ち並ぶ。
山の上から見下ろす風景は圧巻で、小さくてきれいな家々が斜面に密集している。
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特筆すべきは、その家々が青やピンク、緑などのカラフルな色に塗られていること。
家や街の形は昨年見てきたスペイン南部のそれとよく似ているのだが、
色彩的にはスペイン南部の村落が「白い村」と呼ばれているのと対照的だ。
メキシコシティのランドマークであるラテンアメリカ・タワーから街を見下ろしても、
眼下には赤っぽい家々の屋根が見えるばかり。
それに対してグアナファトの街並みは結構な斜面に形成されているため、
その壁の色彩が街を見下ろす者の目の中に飛び込んでくるのである。

銀鉱山の入り口は、それよりもっと山の上にある。
現在銀鉱石は枯渇しており、100年ほど前にすべての銀山が閉山したそうだが、
今でも坑道内部が観光地として維持・管理されている。
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坑道は入り口から水平に掘られ、トロッコを走らせるレールが敷かれている。
その先に真の入り口である立坑があり、
かつてはここを”人力エレベータ”で降りてそれぞれの採掘現場へ行ったのだという。
現在”人力エレベータ”は解体されており、誰も下に降りることはできない。
案内していた少年ガイドの話では、その立坑の深さは200~300mあるとのことで、
中に石を投げ入れてその反響音を聞かせてくれた。
ただ、その音から推測するに深さはせいぜい20~30mという感じ。
立坑が多層に形成され、すべてを合わせると200~300mになるということだろうか。

銀の鉱山といっても、山が重金属的な岩でできているわけではない。
坑道の壁は深成岩もしくは圧力性の変成岩で、意外と変化に富んでいた。
実際周辺の山からは水晶、方解石、石膏、蛍石などの多種多様な鉱物が採れるようで、
それらをみやげ物として売る店・露天商が結構いた。
メキシコシティではよく見かけた黒曜石のみやげ物をこちらで見なかったこと
を考えると、これらの鉱物は実際この付近で採れたものだとみてよさそうである。
売る側も割と確かな鉱物の知識を持っているようだった。
メキシコ人は英語が全く通じないのだが、
鉱物名はほとんどが英語のスペイン語読みだったため、売り手と直接鉱物の話ができた。

グアナファトは鉱山労働者たちの街、鉱山労働者が建設したからか、
他では見ることのできないユニークな一面がある。
街の地下に複雑で広大なトンネル網が形成されているのだ。
かつて銀を採掘していた坑道ではなく、
それよりも浅いところに自動車のための道路網が築かれているのである。
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もとは自然の川を通すための坑道、あるいは下水道を掘り抜き、
やがてそれらはさらに広く掘られて自動車道路になったらしい。
ここによく来るはずのガイド兼運転手氏も、
自分の知らない地下道路がまだ多くあって下手をすると自分も迷子になりかねない
と言っていた。
土地の狭い、あるいは交通量の多い日本ですら、
現在東京の一部でそうなっている程度であることを考えると、
メキシコは案外侮れないインフラ建設大国であるのかもしれない。
…ただ、地上の道を自動車が全く通らないわけではない。
店の商品を運ぶトラックや巨大な路線バスが狭い石畳の道をそろそろと走っており、
歩行者だけでなく運転する側にとっても気の休まる街ではなさそうだ。
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18~19世紀にかけて、グアナファトなどで産出する銀のおかげで
メキシコは世界的な地下資源大国だった。
ゆえに、グアナファトをはじめとする中央高原の鉱山都市は
メキシコの中でも重要で高い地位を占めていた。
18世紀末のフランス革命を経てナポレオンがヨーロッパ全土を席巻し、
ヨーロッパ世界は大きく混乱した。スペインでは王室が倒されてしまった。
その余波は、当時「ヌエバエスパーニャ(ニュー・スペイン)」と呼ばれていた
ここメキシコにも当然大きな影響をもたらした。
1810年、メキシコの独立運動がこの地から始まったのである。

何人もの独立の英雄がこの地で生まれ、彼らにまつわる史跡も多く生まれた。
メキシコ独立を日本の明治維新に例えるならば、
ここグアナファトは薩長の鹿児島・萩にあたることになる。
鹿児島や萩出身の歴史好きならばいくらでも維新の英雄について話したがるように、
われらがガイド兼運転手氏も相当な歴史好きのようで、
メキシコの独立運動について延々と話を聞かされた。
ツアーの中継地だったケレタロでは、ただ1か所、他の観光スポットを差し置いて
ご当地偉人たちの墓所へ連れて行かれ、そこで彼らの説明を延々と聞かされた。
その中のだれ一人として知らないし、今はもうその誰も覚えていないけれど、
でもあんたの熱意ははるか極東に生まれた旅人に伝わった、とは言っておくよ。