安保法案の顛末を見て(前編)

今週のテレビのニュース番組はどこもいつも安保法案関連の話ばかりだったし、
ネット上でもよく話題になっていた。
週末にはついにその安保関連法案が衆参両院を通過して成立した。
ここは一国民として私も何か書いておいたほうがよさそうだ。

まず事実関係をはっきりとさせておくと、
今回国会で成立した法案というのは10の条項(法案)からなるものであり、
そのなかで最も特徴的なものは、従来日本の領域を自衛するだけだった自衛隊
「日本の自衛にとって重要だと判断されるとき、
 同盟国の領域もしくは軍を守るための行動をとることができる」
とするもの(いわゆる「集団的自衛権」)。
「特定の国と戦争をする」「憲法第9条を廃止する」「徴兵制を敷く」
などの内容は一切含まれていない。
正直に白状すると、その内容について綿密に調べたわけではないので、
上記の内容には細かい誤りや過不足があるかもしれない。
が、本法案に反対の立場をとるマスコミの主張(のうち信用できそうなもの)を
基にした認識なので、大きく間違っているということはないだろう。

この法案を推進する側の主張としては、要約すれば日本を取り巻く状況の変化への対応
ということになるだろう。
かつて日本の安全を脅かす示威行動を繰り返していた仮想敵国は
一時その陣営が崩壊して危険性がなくなったかのように思われたこともあったが、
近年再び領土への野望、軍事力を背景にした他国領土への侵略の意志を新たにし、
その危険性が失われていないことが明らかとなった。
あるいは別の大国は、
かつては貧しく現実的な日本の脅威にはならないと考えられていたが、
近年急速に経済力と技術力を高め、
さらには軍事力を背景にした他国領域への侵略の意志を明確にしている。
またこの国は一方で内政に不安定さを抱えており、
軍や指導者の一部が暴走して破滅的な行動に出る危険性も高まっている。
さらに、かつては頼りにできると考えられていた近隣国で”最も重要な国”は、
政府レベルでも国民レベルでも日本と同じ価値観を共有していないことが明らかとなり、
このところその同盟国との対立を打ち出す大国への急接近を図っている。
ちょっと信じられないことだが、これだけの変化がわずか数年で生じているのである。
日本は、自分自身のためだけを考えても
これらの変化から目をそらすことなく的確に対応しなければならない。

もう一つ、記しておかなければならない”客観的な事実”がある。
テレビ、新聞などの大手マスコミの多くがそれに対する反対の態度を明確に示している
ということである。
元来日本のマスコミは、先の大戦の機運を煽った反省に立ち、
特に政治的な報道に際しては中立の立場を維持するのではなかったか?
そういえば最近、日本のマスコミは「ジャーナリズム(の精神)」ということを
言わなくなったな。
客観的な立場から見れば、法案成立によってではなく
日本のマスコミの偏った報道姿勢によって、日本は戦争に近づいているのかもしれない
とも感じる。

とはいえ実際のところ、それが必ずしも悪いことだとは言えない。
民主主義の観点からすれば、多数派である法案推進派の主張が通るべきである。
が、民主主義は”より優れた組織の在り方”ではあっても
”理想的な組織の在り方”ではない、という事実もある。
それは私がここで百の議論を尽くすよりも、
”最も重要な隣国”の現政府が民意を体現した真の民主主義国である事実
を想ってもらうほうが、より実感できるのではないかと思う。
国民に本来あるべき判断能力が喪失しているとき、
あるいは国民が現在ばかりを見て未来のことを考えられなくなったとき、
国民はその国にとって不適切な判断を下し、国を誤った道に進ませることもある。
そのことを指摘できる人物・勢力があるのであれば、
たとえ多数派の主張に反してでも敢えてその”偏った指摘”を肯定的に報道し
国民に対して警鐘を鳴らす、というのもマスコミの役割としてはあると思う。

では、今回の安保法案の反対派の主張とは、一体どのようなものなのか?
今回の顛末において最も問題だったと思われるのはおそらくここ、
反対派の主張がまるで分らなかったことである。
反対派が今回の安保法案に反対する根拠は、まったくないわけではない。
私が見た限り、根拠として成立するものが二つほどあった。以下の指摘である。
憲法第9条に反している 〇法案内部にいくつか不備がある
一つ目に関しては、今後も議論していかなければならないだろう。
ただし、日本国憲法は日本国民の幸福のために存在しており、
それに反する状況になったとき憲法は改正されなければならない
という事実をしっかりと認識した上で、柔軟かつ論理的に、である。
二つ目に関しては、それらが修正されれば成立しても構わないということなので、
ここで取り上げる必要はないだろう。いや本当は一番大切なところなのかもしれないが。

それだけ。
あとは、「戦争反対」「首相は悪」といった論理性を持たない感情論だけだった。
いやもしかすると、それも実は巧妙に仕組まれた世論誘導の策謀だったのかもしれない。
事実今の私たちの反対派に対する意識は、大半が「支持できない」だろう。
私たちがそのように感じたのは、
テレビなどのマスコミが報道する国会前のデモ隊の人々の様子、
それと法案に反対する野党議員たちの見苦しい態度を見てのことだ。
野党議員たちはともかく、国会前のデモ隊は、法案推進派が用意した
反対派の印象を貶めるためのいわゆる”プロ市民”だったもかもしれない。
その様子を連日報道していたのは、
その計画の片棒を担ぐ推進派寄りの御用マスコミだった、のかもしれない…。
デモ隊の代表者(?)がテレビ番組に出演し、民主主義を真っ向から否定した挙句
彼への質問や指摘には何ら回答も反論もできなかった、という。
そしてその人物が国会内部に呼ばれ、予想された通りの主張を展開したという。
これなどは、反対派の印象を貶めるための喚問・人選だと思われても仕方ないだろう。
あるいはもう一つの解釈は、あまり民主化されていない外国の政府が彼らを先導し、
その様子が日本国内でどうみられるかは気にせずに
自国内での反日意識増長のためのプロパガンダ映像として利用しようとした
といったところか。

社是、党是が「自民党、安保法に反対する」となっているマスコミ、政党があることを
私は知っている。
彼らがそれに従って行動するのは構わない。
日本には言論・思想の自由があるのだし、私は信仰の自由を尊重する立場である。
だがしかし、すべての反対野党が彼らに同調し、
見苦しい無駄な抵抗を行うのはいかがなものか。
私のような、論理性を重視する一般国民は今回の反対派の態度を支持できない。
見苦しい無駄な抵抗を支持できない。
今後選挙があるとき、候補者の背後に今回の反対野党の党名を見たとき、
私は今回の見苦しい態度を思い出すだろう。
彼らは今回の国会で何がしたかったのか?これが今後の支持につながると考えたのか?
間違いなくその反対の結果が出るだろう(というか地方の前哨選挙で
すでにそのような結果が出ている)。

今回の安保法案に本気で反対だったのであれば、
まずは自分たちへの支持を集めて与党となり、そのうえで民主主義の原理に則って、
反対する現行の法制を改定もしくは廃止すればよいだけのことである。
憲法ですら改定できるのである。いわんやその下に位置する法制をや。
これくらいのこと、野党議員にも分かるはずだ。
彼らには、与党になって自らの信奉する理想を日本の政治に実現させよう
という気概はないのだろうか?
それとも、それを分かった上で今回の反対パフォーマンスを展開したのだろうか。
今回の一件で最も強く非難されるべきは、
おのれの醜態と気概のなさをさらした野党議員たちである。
 (後編に続く)