メキシコ旅行記(4/4) ;幻の湖

現在のメキシコの首都メキシコシティは、
スペイン人がやってくる前のアステカ王国の時代にも首都だった。
その町は「テノチティトラン」と呼ばれ、
「テシココ湖」という湖の上に作られた人工島に建設されていたという。
イメージ 1
しかし16世紀、スペイン人がやってきてアステカ王国を征服すると、彼らは
生贄の血に染まった邪教の都市を完全に破壊し、湖を埋め立て、
その上に新たなヨーロッパ風の都市を建設し、植民地運営の拠点とした。

…という話は、今回メキシコへ行く前から知っていた。うーん、スペイン人は極悪だ。
だが冷静になって考えてみると、それってすごく大変なことなのでは?
「都市を完全に破壊し」:これはできる。大砲がいくつかあれば。
「ヨーロッパ風の都市を建設し」:これもできる。時間はかかるだろうが。
問題は、「湖を埋め立て」:これは大変。
日本でも近世(江戸時代)以降現代に至るまで様々な干拓事業が行われてきたが、
それらの大変さを伝える伝説が今なお社会の授業で語られたりする。
言葉もろくに通じない現地人をいくら動員して働かせても、
数百人程度のスペイン人だけでできることではない。
いやそもそも、スペイン人は新大陸で金と銀にしか興味を示さなかった。
それらを掘るために現地人を奴隷化して死ぬまで働かせた、という話はあり得るが、
労ばかり大きくて目先の金銀にはつながらない湖の干拓事業など、
当時のスペイン人がやろうと企画するはずがない。
そんなわけで私は、「メキシコシティはかつて湖だった」伝説の信ぴょう性を疑った。

メキシコの首都メキシコシティは、標高2,200mの高地にある。
これは日本でいうと、北海道の大雪山や東北の鳥海山とほぼ同じ。
谷川岳磐梯山の山頂よりもはるかに高い場所にあることになる。
そのおかげで真夏でも高原の空気に包まれて涼しく過ごせるのだが、
アルコールを飲むと異常に早く酔いが回ってしまうという難点もある。
高地にあるということは、標高0メートル地帯と違って
特別な要素がそろわないと湖は形成されないはず。
まず一つ目に、水が流れ出ていかないような盆地の地形であること。
ラテンアメリカ・タワーからメキシコシティの地形を見渡すと、
確かに平地ではある。はるか遠くには平地を囲む山々の姿も見える。
イメージ 2
だが、この”平地”が広すぎる。
もしここに湖が広がっていたとすると、それは相当大きなものであったろう。

二つ目は、湖に水を供給する川が流れていること。
ところが、メキシコシティでは全くといっていいほど川を見かけない。ドブ川すらない。
日本であれば、甲府や京都といった盆地の都市にも必ず川は流れているものだが、
メキシコシティでは地図を見ても川を見つけられない。
いや、そもそもメキシコ自体に川が少ない。誰かメキシコの川の名前を言える?
確かにメキシコでは降水量が少なく、メキシコシティの近くは砂漠がちではある。
が、川が流れないほど雨が降らないわけではない。
とくに夏のシーズンは雨期であるらしく、
毎日夕方になると異常に涼しい風が吹き、その直後激しいスコールに見舞われる。
それが1~2時間は降り続くので、降水量は結構バカにならないと思う。
にもかかわらず川が形成されないとなると、考えられる可能性は一つ。
メキシコシティ周辺の土地は、とても水はけがよいのだ。
実際日本でも高地に形成される扇状地のような平地では水はけがよく、
メキシコシティ周辺で扇状地特有の小石の多い土地をしばしば見た。
うーん、やはりこれでは、大きな湖などできようがないのではあるまいか。

そんなメキシコシティには、かつて湖だった頃をしのばせる場所があるという。
世界遺産にも指定されている水郷、ソチミルコである。
これは実際に行って自分の目で確かめてこなくてはいけない。
この水郷地帯は、地元住民にとってはなじみ深い行楽の地であるという。
メキシコシティの中心部からは、地下鉄と路面電車を乗り継いで行く。
路面電車の終着駅からは少し歩かなければならない。
道は分かりづらいのだが、歩いていくと自転車に乗った案内人らしき人物が
声をかけてくることもなく遠巻きにこちらを覗っている。
15分ほど歩いただろうか、ようやく観光用の船着き場に到着した。
ここで船を借り、ソチミルコの水上に繰り出すことになる。
船は木製で動力はついておらず、漕ぎ手が一人ついて船を動かしてくれる。
イメージ 4
地元住民はここに家族でやってきて船を借り、
ゆっくりと進む船上で食事をしたり騒いだりして行楽するのである。
ついでながら、日本のテレビ番組でも何度か取り上げられている
「朽ち果てつつある何体もの人形が吊るされている島」はこのソチミルコにある。
イメージ 3

陽に照らされる水と緑はまぶしいものの空気は涼しく、岸辺には花々が咲き乱れ、
そして”水郷”にしては珍しく、水がとてもきれいだった。
本格的な楽団を乗せて音楽の生演奏を行う楽団船がいたりもする。
うん、ここが行楽の地として賑わうのもよく分かる。
…が、話を戻そう。果たしてこのソチミルコは、
幻の湖「テシココ湖」の最後に残された部分なのだろうか?
見た感じソチミルコは湖ではなく、単なる水路に過ぎない。
その幅は10mほどで、片方の岸は完全に陸地となっている。
もう一方の岸は国定公園か何かになっているようだが、その先に水の気配はなかった。
水路の水深は3~4mといったところ。
船はオールで漕いで進むのではなく、6~8mの竿で水路の底を推すようにして進む。
街中にありながら水があれほどきれいだったのは、
おそらく水が滞留せずに絶えず流れて入れ替わっているためだろう。
ソチミルコを見ても、
メキシコシティがかつて巨大な湖だったという確信は得られなかった。

船を降りた後、さらに水路の先のほうまで岸の道を歩いてみた。
するとその先には、さらに大きな観光船の船着き場があった。
ガイドブックには「船のチャーター料は1時間2,000円」とあったが、
先の船では1時間で3,000円以上とられた。
…ということは、こちらがガイドブックにある正規の船着き場で
先ほどのところはぼったくりの船着き場だったのか!?
あ、そういえば、路面電車の終着駅を降りてから街を歩いているとき、
自転車に乗ったおかしな人物に誘導されていたような気がする。
うーん、まあ別にいいけど、一つだけ。
かつての先祖のように、大切な水辺の環境を埋め立てたりしないでね。
水草が茂り、ガチョウの親子が泳ぎ、人々が行楽を楽しむ
水のきれいなソチミルコを、今の姿のままで後世に残してください。
未来の外国人旅行者が「幻の水郷ソチミルコ」の存在を疑ったりしなくて済むように。