王道と奇道(前編)

「王道」という言葉は今でもよく使われる。
「このアニメの最終回は王道展開だ」などというように。
この場合の「王道」は、「誰もが普通に考える方法」というような意味である。
そして、この意味に対する言葉が「奇道」である。
この言葉は普段あまり用いられないが、
「奇襲」「奇策」という言葉と同じ意味合いだと考えればよいだろう。
「奇策」はともかく、「奇襲」というと私たちはまず卑怯なやり方という印象を抱く。
が、この言葉の本来の意味は
「油断している相手のスキを突く」「油断していない本気の相手の裏をかく」
というもので、誰もが普通にできることではない。
広辞苑で調べると、「王道」の一番目の意味は「王が用いるべき仁徳による政道」
 とあり、その対義語は「覇道」(武力などによる政道)となっている。
 二番目の意味に「楽な道」とあり、ここではそれに近い意味で用いる。

有名な奇襲攻撃の例として真っ先に挙げられるべきは、
織田信長による桶狭間の戦いであろう。
国力でも軍事力でも優勢な今川義元が大軍を連れて山岳地帯である桶狭間を通る際、
豪雨降りしきる中、少数の騎兵からなる織田信長の軍勢がその本隊を襲い、
大将である今川義元を討ち取ってしまった。
そのために今川軍は瓦解し、その後国も衰退して今川家は滅びてしまった。
この戦いについて、織田信長を卑怯だと考える人もあるだろう。
あるいは、油断していた今川義元がバカだという人もあるかもしれない。しかし、
戦のプロ集団を相手に卑怯な手段を用いたところでそう簡単に勝てるものではない。
この結果はやはり織田側の戦術、戦闘力、そして武運が卓越していたからである。

一方の今川家は由緒正しき守護大名の大勢力であり、国力・軍事力ともに強大である。
この場合、大軍を擁し、多勢をもって寡勢を攻めるのが正しい。
通常、兵は敵対する相手が多いと士気を失ってその実力を発揮できなくなる。
逆に、敵側が少なければ自軍の損害を著しく低減させることができる。
大軍を擁することによるコストはかかるものの、あるいは動きが鈍重になるものの、
それを補って余りあるリスク、ダメージの低減が実現されるのだ。
これが王道である。
今川義元は決してバカにされるようなことをしていたわけではない。

にもかかわらず、後世の私たちが持つ印象は「今川義元は無能」「織田信長は有能」だ。
考えてみると、天下を統一できたわけでもない織田信長が有能だとされるのは
桶狭間の戦い」「長篠の戦い」のエピソードのためである。
;それ以外だとどうも残虐で非人間的なエピソードが多い。
長篠の戦いも、一般的にはいわゆる「鉄砲隊の三段撃ち」という奇策によって有名である。
このことからも分かるように、世間では王道よりも奇道のほうが高く評価される。
実際、「成功する奇策」を考え出すには天才のひらめき、
そしてその分野における豊富な知識・経験の両方がなくてはならない。さらには
そこに参加する者たちの個々の力量、リーダーの統率力にも高い水準が要求され、
それでもなお失敗して再起不能に陥るリスクを払しょくすることができない。
だからこそその成功に人々はあっと驚き、称賛の声を惜しまないのだ。

ところが、現代日本のある領域においては、この評価が逆転する。
大企業や公官庁といった組織の中である。
そこでは外部との競争が乏しく、「相手に打ち勝つ」という必要性がない。
したがってリスクを伴う奇道の地位が低下し、王道が高く評価されることになる。
大企業の社員や役所の役人には誰にでもできることを確実にやることが求められ、
その蓄積が成果として評価される。
大企業や役所に就職できるのは、幼少の頃より優秀な才能を示し、
いい大学に入っていい成績を出すことのできる優秀な人材だけだというのに、
就職した先でその能力が活かされることはない。もったいない話である。
非凡な才能は、実際に使用されない限りどんどん劣化していく。
誰にでもできることしかやらせてもらえず、
それどころか非凡な様子を示せばむしろ出る杭として打たれる。
こんな環境で10年、20年と生きていく優秀な人物がその後どうなるか、
それはここに書くまでもない。
しばしば役人や大企業の幹部が唖然とさせられるほどの無能ぶりをさらすことがある
(;具体例は、彼らが「想定外」という言葉を口にするとき)が、
その背景にはこのような事情があるように思われる。

それだけではない。この“王道主義”には、もう一つ深刻な問題が隠されている。
王道とは誰もが普通に考えるやり方のことであり、それは“是の道”でもある。
周りと同じことを考えるのであって、周りに異を唱えたりはしない。
そう、彼らはイエスマンなのである。
太平洋戦争の頃、日本の総理大臣をしていた東条英機
ヒットラームッソリーニのような独裁者だったと思われがちである。が、実際は
前線の参謀が具申してくるあきれるような作戦(インパール作戦など)に対して
彼は常識的な反応、問題点の指摘をしつつも、結局はそのまま裁可したらしい。
彼もまたイエスマンだったのである。
そして、だからこそ陸軍大臣にまでなれたのだろう。
一般に軍という組織は保守主義、王道主義の最たるものだそうで、
特に当時の陸軍の中で周りにノーと言える人物が出世できたとは思えない。

独裁者の周りをイエスマンが取り囲むのも問題だが、
上層部のすべてがイエスマンというのも同じくらい問題である。
その場合、彼らはまず誰もが逆らいにくい大義を掲げる。
そして掲げた本人もそれに逆らうことができなくなり、組織が暴走していく。
先の大戦(に至る軍国主義の時代)では、まず
天皇陛下のために」「御国のために」という大義が掲げられた。
軍の内部ではその後それに派生するものとして
「精神力で兵器に勝つ」「退却はあり得ない」等のルールが作られていくが、
イエスマンたちは「それはおかしい」などとは口にしなかった。
当時の日本軍では将軍や参謀の地位を得るのに家柄や資産はほとんど考慮されず、
実力主義と言っていい人事制度が敷かれていたという。
論理的な頭脳と古今東西の歴史に関する深い知識を持つ当時の参謀たちは
一体どのような気持ちでこれらの精神論に対峙していたのだろうか。

言うまでもなく、これは既に滅んだ昔の軍隊に限った話ではない。
現代日本を支える大企業や公官庁もまた、
その中枢部はイエスマンたちからなっている。
果たしてこのままでいいのだろうか?
 (後編に続く)