王道と奇道(後編)

日本史においてはもう一つ、世界史級の重要な奇襲・奇策が存在している。
山本五十六による真珠湾攻撃である。
それが“奇襲”として有名なことは誰もが知っている。が、
これは世界的にも際立った奇策であったらしい。
当時海戦とは戦艦が主役で行うものであり、航空機による攻撃は軽視されていた。
戦艦ならば1トンを超える砲弾を何百発も撃ち出せるし、
潜水艦は全長数メートルに及ぶ巨大な魚雷を何発も発射できる。
それに対して、当時の航空機はせいぜい数百kgの爆弾ないし魚雷を1発投下するだけだ。
そんなわけで、保守的な日本軍だけでなく、
戦前から航空機に対して並々ならぬ情熱を持っていたアメリカ軍でも
「海戦の主役は戦艦などの艦船だ」と考えていた。
そして真珠湾攻撃のとき、それは現地時間の午前8時少し前、
相手の“寝込み”を襲ったのではなく、日が昇ってからのことである。
;攻撃する側も目視に頼ることになるので、夜間攻撃には失敗のリスクがある。
にもかかわらず、真珠湾に停泊していたアメリカ軍主力戦艦の多くが
ここでやられてしまった。
「これからの戦争では航空機(と空母)が主役になる」という頁を世界史に刻んだ
文字通り世界史級の奇策だったのである。

保守的で王道主義を堅持するはずの日本軍にあって、
一体なぜこのような世界史級の奇策が用いられ、しかも成功したのだろうか。
それまでの海軍は陸軍とは異なり、内部での議論や意見の対立があったようだ。
航空機の有用性に関する意見の対立があり、
いや、それ以前に「対米戦争を始めるべきか否か」という意見の対立があった。
ということは、組織の上層部がイエスマンばかりで構成されていたわけではないのだ。
また、組織内部の空気として比較的合理主義が幅を利かせており、
当時の陸軍と比べると精神論に陥る程度が浅かったようでもある。

その違いの原因は、それぞれの軍が置かれていた状況にある。
当時の日本の陸軍は、国内外で最強の存在だった。
中国大陸では快進撃を続け、彼らに対抗できる勢力は存在しない。
私たちにとっては恐ろしい印象のソ連軍も、
日露戦争勝利の記憶が新しい彼らにとっては侮蔑の対象でしかない。
そして、地理的に彼らがヨーロッパやアメリカの陸軍と交戦する可能性はあり得なかった。
それに対して、海軍の仮想敵は明らかに自分たちよりも強いアメリカ海軍だった。
国力が強い、だけではない。
当時はワシントン海軍軍縮条約によって保有できる軍艦の数を
米海軍のそれよりも少なく制限されており、
誰がどう見ても明らかに日本海軍のほうが弱かった。
いや、もっと致命的な事実がある。
当時の日本は、艦船等の燃料となる石油をアメリカからの輸入に頼っていたのだ。
この状況で「アメリカと戦争して勝ってくれ」と言われたら、何を考える?
当初は命を懸けて対米開戦を拒絶していたものの、
時局の流れを見ればどうやら将来的には対米開戦は避けられない。
当時の日本海軍は、陸軍のようにイエスマンが精神論を弄ぶほど安泰な状況にはなく、
また精神論に酔って現実から逃避するには彼らの頭脳は優秀すぎたのである。

しかしながら、奇策は誰にでもできるものではない。
その後の戦局悪化に伴い、日本軍は王道を歩むことができなくなった。
海軍では対抗策として「神風特攻」という奇策が考え出され、
陸軍でも「インパール作戦」のような一発逆転を狙う博打的奇策が採られるようになる。
そして、これらの奇策は甚大な損失をもたらしただけの失敗奇策として
歴史にその名を刻んだ。
;「神風特攻」は“運悪く”初回だけ成功したようで、そのためにその後も
 有効な作戦として継続されたのだという。
皮肉なことに、戦術的には大成功を収めた真珠湾攻撃も、戦略的には失敗だった。
本格的な戦争になれば確実に負けると分かっていた当時の海軍の戦略は
「短期決戦で米海軍に損害を与え、厭戦感を引き出して早期講和に持ち込む」
というものであり、真珠湾攻撃はそのための一手だった。
ところが、それが予想外に鮮やかな勝利(アメリカにとっては敗北)であったために
米国内が「リメンバー・パールハーバー」で一致団結してしまった。
さらに悪いことには、その結果を見て米海軍が航空機戦力の有効性に気付いてしまい、
日本海軍が総力をもって準備をしていた艦隊決戦を実現できないまま
その後増強された米海軍の航空機戦力によって壊滅させられてしまった。

かつての日本軍の歴史から読み取れることは、
「組織の命運を奇策に賭けなければならなくなったとき、その組織に未来はない」
ということである。が、もう一つ、
「王道を歩むことしか知らない組織の将来も危うい」という事実もある。
先の大戦で圧倒的な強さを見せつけた米海軍も、奇策に頼らざるを得ない場面があった。
ミッドウェー海戦」である。
当時はまだ航空戦力において日本海軍が勝っており、いくら暗号を解読していたとはいえ
日本軍機動部隊との直接戦闘はリスクが高かった。
そこで米海軍はまず最初におとりの攻撃部隊を出し、
日本側の迎撃部隊がそちらに対処しているスキをついて別の部隊で奇襲をかけたという。
はじめのおとり部隊は全滅させられたようだが、別部隊の奇襲は成功、
この戦闘で日本海軍の機動部隊は壊滅的な打撃を受けた。
もし米海軍が王道を歩むことしか知らず、奇策遂行の能力がなかったなら、
「実は航空戦力では日本軍のほうが強い」という想定外の事実の前に敗北を重ね、
その後破たんしていた可能性もあったのだ。

では、組織が健全に存続し続けるにはどうすればよいのだろうか。その答えはおそらく、
「結果を客観的に受け止め、検証した結果を次に生かす(プラン・ドゥ・チェック)」
「合理性を重視し、お追従や精神論を忌避する」
「内外で競争にさらされ、競争力を養う」
などのよく言われることを実践するしかないのだろう。
が、組織の体質は簡単には変わらない。個人でどうこうできるものではない。
率直に言って、日本人の国民性としてこれらの実践が苦手なところがあるように感じる。
油断しているとすぐにお追従や精神論が蔓延し、競争を嫌うイエスマンが台頭する。
にもかかわらず上層部はそれらを合理的なものとみなし、
自分たちは十分客観的であると考えがちだ。そして、苦言を呈する者は遠ざけられる。
そして気が付いたとき、組織は蔓延する精神論によって身動きが取れなくなっている。

しかし、個人的にできることはある。“成功する奇策”を生み出す力を養うことである。
そのために心がけるべき基本は、常に問題意識を持つことだろう。
そして、人に相談するのではなく一人で徹底的に考える。
多くの場合、問題を他者と共有して議論・相談をするほうが、よい解決法を得やすい。
が、その積み重ねは人をイエスマンにする。そうではなく、
敢えて一人で考え抜き、自分なりの解決策を持ったうえで議論・相談を行うのである。
そもそも「圧倒的に不利な状況でアメリカ海軍に勝つ」などという問題は
いくら人と相談しても解決できないのだ。
残念ながら、奇策を成功させる策士に誰もがなることはできない。
また、誰もが策士になる必要もない。
しかしながら、組織・社会がいつか直面するかもしれない危機を見据えて
策士たり得る者を養うことこそ、
今現在の安泰を謳歌している組織とそのメンバーが今すべきことなのである。