ミャンマー旅行記(1/4) ;黄金色の仏塔

このGWに、ミャンマー旅行に行った。
目的は特にない。
ただ、少し前まで今の北朝鮮みたいな扱いで普通には行けない国だったのが、
最近は結構簡単に行けるらしい、という話を聞いて行ってみようと思った。

ミャンマーは東南アジアで最も西の国であり、タイに隣接している。
その西側はインドとバングラデシュで、北部は中国とも接している。
文化はタイに近いイメージだが、実際は文字も言語もタイ語と全く異なっている。
面積は日本の2倍近くある一方、人口は5千万人程度とのこと。
最近まで軍事政権下にあったが、今は民主化の流れが世界的に注目されている。
そして意外なことに、世界中のどこの国からも独立している。
かつては英国、次いで一時期日本軍の支配下に置かれたことがあるが、
現在その影響はほとんど残されていない。
さらに、米・ソ・中いずれの国の影響も見えてこない。

ミャンマー人は、基本的に多民族・多宗教である。
ただしヤンゴン市内に限って言えば、大半の人々は見た目が日本人とよく似ている。
宗教に関しても仏教徒が圧倒的に多いようだ。
市内にモスクやヒンドゥ寺院もあるが、仏教の施設「パヤー」が最もにぎわっている。
「パヤー」とは仏塔のことで、日本ではあまり馴染みがない。
元々の原始仏教では偶像崇拝、すなわち仏像の作製が戒められていたため、
その代わりに仏陀の遺骨などを納めた仏塔が信仰・崇拝の対象となっていった。
インドネシアのボロブドゥール、ネパールのボダナート等が(絵的に)有名だが、
実際人々の仏塔信仰が最も盛んな地域はここミャンマーだろう。

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ミャンマーのパヤーの特色は、なんといっても全体が黄金色に輝いていることだ。
全体がムラなく黄金色なため、建造時からそのように装飾されているのだろう。
ヤンゴン市内にも目立つパヤーがいくつかあり、
その中でも最大のものがシェダゴン・パヤーである。
ダウンタウンのやや北に位置する小高い丘の上に、それはある。
丘の東西南北4か所に入り口があり、参拝者は階段やエスカレーターで丘の上に上がる。
すると、目の前に巨大な黄金色のパヤーがそびえている。
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ガイドブックによると、その高さはおよそ100m。
よく見るとその先端には卵型の装飾があり、
なんとそこには巨大なダイヤモンドや各種宝石がちりばめられているという。
まあ国王からすれば、そこは最も安全な宝石用金庫だったということか。

ところが、このような存在感を持つパヤーが、それほど目立っていなかった。
なぜならそこに集う人々の方がよほど目立っていたからだ。
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行ったのが日曜日の朝だったからか、まず人の数が多かった。
もちろんそのほとんどが地元のミャンマー人である。
なぜそう分かるのか?なぜなら、みな衣装が独特なのである。特に女性。
色遣いや派手さはインドのサリーと似ているが、雰囲気はちょっと違う。
むしろ巻きスカートの部分が日本の着物に似ていると言えなくもない。
ちなみにこの巻きスカートは、男性も着用している。
そしてなんといっても、顔に塗られた白いタナカ。
これは日焼け止め兼香水兼お化粧といったものなのだが、
いや、だったらどうして頬っぺただけとかおでこの一部とかに塗るんだよ?
ともかく、ミャンマー人はあまりグローバリズムとかを意識してはいないようだ。
ちなみにミャンマーの宗教施設では誰もが素足でなくてはならず、
靴はおろか靴下を履いて歩くことも許されない。
それが理由かどうかは定かでないが、
ミャンマー人の99%は街中でも素足にサンダル履きである。

オプションツアーで一度ヤンゴンを離れ、400kmほど北に位置するバガンへ行った。
バガンはかつて王都が置かれていた古都で、多くの遺跡があちこちに点在している。
いわば、タイのアユタヤのようなものだ。
どこまでも広がる田園風景の中に、樹木と仏塔が散在している。
これらの仏塔は大半が“遺跡”であり、赤いレンガの地肌をさらしている。
しかしかつてはこれらの大半が黄金色に輝いていたのだろう。

バガンには、仏塔とは別に寺院も存在している。
ヤンゴンの巨大なパヤーはその周囲に祠や祈りのための場が設けられており、
全体が寺院のような施設になっていたが、
パヤーそのものは人間を収容する空間を持たない。記念碑のようなものだ。
それに対して寺院は屋根のある建物と人間を収容する空間を持つ。
バガンの寺院は仏塔の周囲にそのような空間を付属させた構造で、
その内部は回廊構造になっている。
そしてもちろん、建物中央部の屋根には独特の形状の尖塔がそびえている。
回廊は通常円形ではなく正方形で、東西南北を向いているようだ。
それぞれの壁には大小の仏像が安置されており、人々がそれらに祈りをささげる。
ただし、僧房のような人間の生活スペースは存在していない。
その点において、総合的な施設であるタイ文化圏の「ワット」とは異なるものである。
バガンの寺院もやはり記念碑の延長にあるものだという印象を受けた。

それにしても、これらの立派な建造物がほとんどレンガのみで造られている
という事実に驚かされる。
ヨーロッパの石造りの建造物の内部、特に天井を見ると、
そのすべての部分がドームまたはアーチによって構成されていることが分かる。
鉄骨や木材とは異なり石材はトルク的な力に弱く、
細長い梁を造ると屋根もしくは上の階の重量を支えられずに途中で折れてしまう。
それを支えるにはドームまたはアーチによって力を受け流す必要がある。
この仕組みを知ったうえで見ると、逆に石材だけでよく上の階の重量を支えられるものだ
と感心せざるを得ない。考え出した人はきっと天才だったのだろう。
ローマの水道橋に代表される構造で、
その時代、もしくはそれ以前から現代までヨーロッパでは延々と建造され続けている。

バガンにあるパヤーの中には、上に登れるものもある。
マヤやアステカのピラミッドに似た四角い土台をそなえ、
その上に丸いパヤーを戴くタイプである。土台の部分だけで15mほどの高さがある。
夕方、そんなパヤーの一つへ行くと、その上部はすでに人でいっぱいだった。
パヤーの上からバガンのサンセットを観ようというのだ。
あたりは乾いた大地で、そのところどころに大きな灌木が生えている。
人の気配はない。住民の姿もなければ、民家もない。
そして、静かに屹立するいくつものパヤー。
はるか遠くには大河エーヤワディ川の川面も見える。
待つこと暫し。
さんさんとして直視することもかなわなかった熱帯の太陽が傾き、
次第に赤く、大きく見えてくる。
カメラのレンズを向けるのはまだためらわれるが、肉眼でならもう見ることができる。
空は赤く、大地も赤く、そしてレンガ造りのパヤーも赤い。
これぞまさしく遺跡都市バガンの眺めである。

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残念ながら、低い空には雲がかかっており、太陽はその雲の中に沈んでしまった。
エーヤワディ川のはるか西には岩山が広がっており、
本来なら太陽はそこに沈むはずであった。
だが仕方がない。大自然のショーはこれで終わりである。
パヤーの上にいた数十人もの観光客が帰り支度をはじめ、
急な正面階段に人々が殺到して列を作る。
そして下では、この時を待っていたみやげ物売りたちが大声をあげて
人々の群れの中への突入を試みる。
バガンの一日は、まだまだ終わらない。