ミュシャ展

現在(2017/04/15)国立新美術館にて開催されているミュシャ展を観てきた。
ミュシャといえばポスターのような絵を描く近代の画家、という印象だが、
実際19世紀末にパリで有名女優のポスターを描いて名を成している。
生まれたのは明治維新少し前の1860年だそうで、
有名女優のポスターで売れ出したのが日本で言うと明治時代の後半。
有名なガレのガラス細工に代表されるアール・ヌーボーの立役者とも言われるようだが、
比較的写実的な小動物や植物の装飾を多用するという作風には
確かに共通している部分がある。

彼の代表作と言えるポスター群では淡い色合いとハッキリした輪郭線が特徴的だが、
実はこの画家、あまり輪郭線に頼らない。
当時のポスターは版画の一種であるリトグラフで書かれており、
そのためにはっきりした輪郭線が必要だったのではないかと思われる。
その証拠に、絵筆と絵の具で描かれた絵画では
ぼんやり、朦朧とした表現法でファンタジー感を出したものが多かった。
いや、墨で描かれた下絵があり、それなどは輪郭でしか表現できないわけだが、
例えば犬(狼?)を毛並みによって描いたりしていた。
人物は髪や衣装によってその輪郭がはっきり定められるとは言え、
例えば衣装のひだ一つといったパーツの輪郭はしっかりしていても
人物の全体像がその中に溶け込んでいるように見える。
そしてそれが手前の人物や植物と重なるように描かれていると、
その輪郭をはっきりと認識するのは困難である。

今回のミュシャ展では有名なリトグラフのポスターも数多く展示されていたが、
展示の目玉は彼の晩年に描かれたスラブ叙事詩(;スラブ民族の歴史に関する場面を
巨大なキャンバスに描いた連作)であった。
そこに描かれている内容からはファンタジーっぽさを感じるが、
その表現はかなり写実性を重視したものである。
背景の模様などは定規やコンパスでしっかり書いており、
立体の描き方は透視図法に則っていた。
油彩の描写にも細部までリアリティが宿っており、
人物の握り拳を絶妙な色合いで描く様には驚嘆させられた。

その真骨頂はなんといっても人物の描写で、さらに言えば人物の顔の描写である。
「角度魔人か、こいつは」と思わずうなってしまうほど
様々な角度からの顔がなんの不自然さもなく描かれていた。
構図の手前側に配された脇役がふとカメラ目線でこちらを窺っており、
思わずどきりとさせられたりもする。
今ならモデルにポーズをとらせて写真を撮り、それを写すのだろうが、
当時は写真に撮らずデッサンをして描き方を研究したのかもしれない。
いずれにせよ、半端でないデッサン力の持ち主だったということである。

一つ気になったことがある。
上に書いた「墨の下絵」、マジックのような太い線で書かれており(まさか
「墨と毛筆」てことはないと思うが…)、その下書きとなる鉛筆の線は見えなかった。
にもかかわらず、手前に来る植物が後方の物体や人物を遮っており、
重なる部分の線は書かれていなかった。
ということは、背景に過ぎない手前の植物を最初に丁寧に描き、
その後にその後方の人物をこれまた丁寧に描いたことになる。
下書きと言ってもこれがかなりの大作で、奥行き的に相当幾重にも重なっている。
すなわち、それらすべてが最初から頭の中で構成されていたことになる。
構成だけならまだしも、背景に過ぎないような植物の描き方まですべてが頭の中にある
というのはちょっと想像できないレベルである。
キュビズム抽象絵画を描く才能もすごいのだろうけれど、
こういう精緻さや整合性をおろそかにしない大作を描く才能は
見せられて素直に感嘆せずにはいられない。