ブータン旅行記(4/4) ;狩猟民族と農耕民族

今回の旅行は「プロの写真家と行く写真撮影の旅」というテーマのパックツアーで、
現地人のガイドとは別に日本人の写真家さんが終始アテンドしてくれた。
まだ団塊Jr.くらいの若さの方である。
昨年(2016年)日本の写真家としてブータンに招かれていろいろと活動されたそうで、
そのときの経験をもとに今回の旅行の内容をプロデュースしたという。
「プロの写真家」といっても色々あると思うが、
彼の場合は海外の自然や住民の姿を写真に収め、雑誌などに売っているのだそうだ。
写真に収めたい国に2年ほど定住してロケハンするのが彼の流儀だという。
自分で文章(本)を書いたりもしているというので、
旅行家とか紀行作家と言ったほうが実態を表しているかもしれない。
その彼が多くの国で暮らしながら人の話を聞いて考察した話を
旅行中にいくつか聴かせていただいた。

その一つが、モンゴロイドの鳥に対する信仰の話。
「鳥に対する信仰」といえば、
ちょうどチベット・ヒマラヤ地方には「鳥葬」の習慣があるが、
それだけでなく広くモンゴロイドが共有する信仰なのだという。
特に多いのがカラス(英語だと「raven」)に対する信仰で、
日本にも「八咫烏」(ヤタガラス)にまつわる神話がある。
ちなみにこの八咫烏は、現在サッカーの日本代表のエンブレムとしても用いられている。
カラスのいない土地に広まった部族は、その土地で身近な鳥を代用した。
はるかにベーリング海峡とパマナ地峡を渡った中南米モンゴロイド
コンドルをその対象として、自分たちのことを「コンドルの子孫」と称している。
ブータンにも同様の神話があった。
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かの地に生息する動物のうち、大空を飛行するクジャクが最も先住の動物であり、
自分たちはその子孫としてこの地に暮らしている、というものである。
(ちなみにブータンではカラスは見なかった。)

もう一つが、「狩猟民族」と「農耕民族」に関する話である。
現生人類はこれまでの進化と歴史の蓄積の結果、
「狩猟民族」と「農耕民族」に二分されるのだという。
いや、その話では「民族」という言葉は適切ではなく、
「狩猟民型の人」「農耕民型の人」というほうが適切だ。
同じ日本人の中にも、狩猟民型の人と農耕民型の人とがいる。
同じ組織の中で出世を望むサラリーマンは典型的な農耕民型であり、
世界中の国を渡り歩いて暮らしている自分(写真家さん)は
典型的な狩猟民型の人間だ、という話だった。
日本人は二千年近く前にほぼ農耕一本に絞った民族であり、
それ以前は「狩猟・採集」を生業としていたとはいえ、
彼が言わんとしている非定住型の生活をしていたわけではない。
にもかかわらず、彼のような典型的な狩猟民型の人間が生まれるのである。
これはもはや人類のDNAの奥深くに刻み付けられた本質的なものなのだろう、と。

考えてみると、上の「鳥に対する信仰」はそのことと関係があるのかもしれない。
(おそらく)中央アジアから始まり、ユーラシア大陸の北と東、
そしてベーリング海峡とパマナ地峡を越えて南北アメリカに広まったモンゴロイドは、
その一方で稲作と結びつき、定住農耕民族としての側面も示す。
当然、定住農耕民族として安定した暮らしを送るほうがはるかに楽である。
しかしその地に至った最初の人間は狩猟民型の移住生活を送っていたのであり、
その生活スタイルに誇りを持っていたはずである。そしておそらく彼らは
先住の定住民(もしくは動物)をその地から排除したのであり、
往々にして定住民のことを(若干の羨望の想いも含めて)蔑んで見ている。
そのことを忘れないように、
「私たちはあの(空を往く)鳥の子孫なのだ」と子らに教えたのだろうか。

ブータン人もまた、典型的な定住型の農耕民である。
狩猟を生業にできるほど野生動物がいるわけでなく、
焼き畑農業や移住型の放牧を生業にできるほど広い土地があるわけでもない。
そして、商業や物流を生業にできるほど規模の大きな都市もない。
ごく簡単に言えば、少し前までの日本の山村、あるいは田舎とよく似ている。
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ブータンでは電車などの物理的な移動手段がないだけでなく、
個人が勝手に移住すること、移住先で生活のすべを得ることが難しい。
したがって住民の移動がほとんどなく、地域のコミュニティが十分に機能している。
ご近所さんの顔も素性も、さらには日常の行動パターンまで互いに熟知している。
怪しい人、見知らぬ人があればすぐに地域全体に情報が知れ渡ってしまうため、
空き巣だとか暴力沙汰とかの犯罪も起こりにくい。

また、そのような社会では目上の人間の主張が尊重され、
目上の人間は昔から受け継がれている考え方を尊ぶようになる。
要するに、人々の考え方が保守的になる。
私たちの訪れたある地方の山の上で、以前きれいな大理石の鉱脈が見つかったらしい。
インドの企業とブータン政府がその産業化を検討していたが、
山の麓にある集落が住民投票を行ってその産業化を否決してしまったという。
欧米の環境活動家が活動した痕跡はなく、
またブータン人は欧米的な環境への意識を持ち合わせてもいない。
幸いにしてブータンではいまだ大規模な自然破壊や公害による被害は出ておらず、
人々の間に環境破壊への懸念が広まっているということはないように思われる。
にもかかわらず、先祖から受け継いだ土地を守りたい、子孫に引き渡したい
という思いは定住型農耕民にとってごく自然なものなのだ。

これは結構重要な論点ではないかと思う。
日本では「幸せの国」として有名なブータンも、欧米人にとっては
「国王の独裁に支配された貧しい国民が住む、北朝鮮のような国」
というイメージがつきまとっているという。
少し前までは日本も「天皇の独裁に支配された…」と見られていたことを思えば、
このイメージは否定したくても議論は簡単でないことが予想される。
けれども、かの国では実際に住民投票によって
自分たちの経済的な発展よりも先祖伝来の環境・文化・コミュニティを優先させる
という自発的な決断がなされているのである。
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そして、その優先させるべきものが今ある、守られている、という実感こそ
彼らの考える“幸せ”に他ならないのではないか。
もちろん、住民投票で反対の意見を投じた人もあるだろう。
親の世代と子供(若者)の世代で意見の乖離があるかもしれない。
だが、年配者が保守的で若者が革新的だ、という一般論が常に成立するわけではない、
そのことは今日を生きる日本人ならば実感として理解できるはずだ。
重要なのは、子供(若者)の教育として様々な意見に触れさせることである。
そうなれば、何処の若者と言えど自らの意見を確立するだけの力を持っている。

おそらくはそのことを理解し、
若者への英語教育、コンピュータ教育に力を入れ、
国内へのインターネットの普及に抗わない
という姿勢を示すブータンの国王は、決して愚かな独裁者などではない。
様々な意見に触れ、その中で自らが優先させるべきものや価値観を見出している
ブータンの国民もまた、愚かな貧しい人々などではないのである。