ベトナム・サパ旅行記(1/3) ;棚田の里トレッキング

今年(2018年)の夏休みに、ベトナムへ行った。
目的は、少数民族が伝統的な生活を送っているという北部サパ地方を訪れること。
ベトナムへは過去に二度行っているが、
初回旅行時の旅行記を書くためにいろいろ調べていたとき
サパ地方の話をしばしば見かけた。
ハロン湾ホイアンなどの観光地と違い日本ではほとんど知られていないが、
山岳部に棚田とのどかな山村が広がる少数民族の居住地で、地元住民は友好的、
欧米人には結構人気のある土地なのだという。
二度目のベトナム訪問はハノイ市内に一泊しただけだったが、
そのときに街を歩いていると先の話を裏付けるように
街中で見かける旅行代理店のほとんどがサパの美しい写真を大きく紹介していた。
行くとしたらハノイ市内の旅行代理店で手配すればよさそうだったが、
調べたところ日本国内でも少しだけ扱われていたので、国内で旅行の手配を行った。

サパでのトレッキング・ツアーも日本で手配してあり、
現地人のガイドと二人で棚田の広がる少数民族の村々を歩いて回った。
このガイドとは英語で会話を行ったが、彼女の母語は自身の少数民族の言葉だという。
つまり、母語の他にベトナム語と英語が話せることになる。
聞けばフランス語もできるそうで、全部で4つの言語を使いこなせることになる。
ちなみにベトナムでは小学校でベトナム語はもちろん英語も教えていることから、
少数民族の若者は特別でなくても(母語を含めて)最低3つの言語を学んでいる。

サパは台地の平野部に形成された町で、
少数民族の山村はそこから下界に伸びる渓谷とその周囲の斜面に形成されている。
イメージ 1
平地がほとんどないところに田んぼを作るため、斜面に棚田が並ぶことになる。
かつてバリ島やブータンで観光の名所となっている棚田を見てきたが、
それらとはまるで格が違った。
観光名所はそこにあるから“名所”なのであり、
それが至る所にあってなおかつ延々と続いている状況では、もはや名所ではない。
いうなれば「棚田の広がる世界」なのだ。
イメージ 2
棚田の何がすごいかと言えば、山にきっちりと引かれた等高線のごとき正確さである。
とは言えそれも道理で、正確に水平でなければうまく水を張ることができない。
いや、むしろこの等高線のような棚田こそが稲作の本来の姿であり、
日本の水田地帯のように整然と区画された真っ平な水田が延々と続いている方が異常、
あるいは正確できれいな姿なのかもしれない。

棚田に植えられている稲は、すでに豊かな穂を実らせていたものの、まだまだ青い。
8月下旬でこの状態というのは日本の田んぼとほぼ同じだろう。
ベトナムでは二期作、場所によっては三期作が行われているというが、
ベトナムでも北部に位置する山岳地帯のサパ周辺では、日本と同じ一期作とのこと。
植えられている稲を見ると、日本の田んぼよりも高密度に植えられている感じがした。
おまけに一束に含まれる茎や穂の数も日本のものより多そうだ。
さらに言えば、一本の穂に実っている米粒の数も日本の稲穂より多く見える。
地力が豊かだから高密度に植えられるのだろうか。肥料はやっているのだろうか。
イメージ 3
「狭い棚田では作業が機械化できないから大変」とのことだが、
田んぼで働いている人の姿はほとんど見かけなかった。
にもかかわらず、稲の生育はよい。
田んぼに生える雑草はほとんどなく、イナゴのような害虫も多くはいない。
10月頃に稲刈りをするが、そのときには親族・友人を呼んで一気に刈り取るという。
当然親族・友人も自分の田んぼを持っているだろうから、
別の日には自分がそちらの稲刈りを手伝いに行くのだろう。

ガイドとともに車を降りて、渓谷の底部へと下る道を歩く。
すると、すぐに少数民族のおばあさんと少女二人がついてきた。
ベトナムでは今(8月)が夏休みというわけではないが、
学校の授業は午前中で終わりだという。僻地だからかと思ったが、
考えてみれば日本の小学校にも午前中で授業が終わる日があったか。
おばあさんとは言葉が通じないが、少女たちはある程度英語ができる。
日本の小学生、いや中学生よりもうまく話すだろう。
イメージ 4
意外と長かった下り道を降り切って渓谷の底を流れる小川を渡ると、
彼女らはどこからかみやげ物のきれいな刺繍を持ってきて「買ってくれ」という。
そのためにここまでわざわざついてきたのか?
でもまあいろいろ話をしてもらったし、草で馬を作って見せてもらったりもしたし、
お駄賃として一つ買ってもいいよ
という素振りを見せた途端、周囲の建物から多くの女性がわっと出てきて
「私のも買ってくれ」という感じで囲まれた。
ガイドがうまくさばいて道すがらついてきた3人の分だけ買えたが、
今度はそこから別の女性が私たちのトレッキングについてきた。うーん。

そのおばさんは、結局小川を渡って集落を離れるまでずっとついてきた。
最後はやっぱりみやげ物を出してきたが、いやはやご苦労なこと。
このあたりでは、本当に現金が必要なときには
こうやってひたすら観光客についていくべし、という認識が広まっているのだろうか。
それはともかく、こうして観光客に寄ってくるのはみな女性、
道沿いで現地人相手に農産物を売っていたのもみな女性だった。
イメージ 5
男は畑仕事をしているというが、
トレッキングの間畑仕事をしていた人間はほとんど見かけなかった。
やはりベトナムでは少数民族の村でも女性が働き者である。

トレッキングの後、同行したガイドが住んでいる家に連れて行ってもらい、
そこの旦那さんと一緒の食事に加えてもらった。
野菜を使った料理が豊富だったが、肉は固い鶏肉のみ。
基本的に自給自足の生活をしており、鶏と豚を自宅の敷地内で飼っていた。
どちらも食用だが、豚は年に数回しか殺さないという。
なお、家に電気は来ているが、冷蔵庫は持っていないとのこと。
親族が集まる機会でないと、殺した豚を食べきれないのだという。
村落には一応マーケットや商店があって豚肉も売られていたが、
それでも頻繁に食べられるものではないのだろう。

肉類の代わりに主菜となっていたのが、豆腐である。
そのまま食べるのではなく、油で揚げたり豆腐ハンバーグのようなものを作っていた。
呼び名も“トーフ”だった。
イメージ 6
‥‥という感じの話はこれまでにも東南アジアで何度か経験しているが、
驚いたのは、その豆腐を大豆から毎朝自分で作っている、ということ。
その証拠だと言って、豆腐を作る大豆を見せてくれた。もちろん大豆も自作である。
うーん、自給自足の生活とはこういうことなのだ。
私は元々小食なので、皆でつついて食べる大皿の料理が出るとあまり多くは食べない。
このときもガイドはたくさん食べるように勧めてくれたが、
結局全体の2割も食べられなかった。
しかし考えてみると、それほど苦労して用意した料理を残すというのは
日本で簡単に用意できる料理を残すのとはわけが違うような気がして心苦しい。
ガイドさん、ごめんなさい。
料理をあまり食べなかったのは、
口に合わなかったからではなくて単に私が少食だからなんです。

今回の旅行では、
「棚田の風景が美しく、地元の住民は友好的」という評価そのものの体験ができた。
サパを訪れる日本人が少ないのは何とももったいない話だと思う。