ブータン旅行記(3/4) ;幸せの国

こんにち日本で「ブータン」と言えば、誰もが「幸せの国だ」と答える。
それほどに知名度が高まっているが、
果たしてどれくらいの日本人がそれを信じているのだろう。
元はGNP(国民総生産)の低さを指摘され
「もっと国民の豊かさを目指すべきだ」と他国から干渉を受けた当時の国王が
「貿易額・生産額の大きさが国民の幸福につながるわけではない
 国民の幸福は国民の精神的な豊かさによって決まるものだ」
と反論し、「国民総幸福量」(GNH)というアイデアを提唱した
とされている。(↓は日本の外務省による説明)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol79/

という話を聞くと、当時の国王の負け惜しみにも聞こえるが、彼は本気だった。
そして、実際に国民に対してアンケート調査を行って、自国のGNHの定量評価を試みた。
実際にやってみるとこのアンケート調査はブータンの国と国民の思いに適っていたようで、
その後も何年かおき(ウィキペディアによると2年おき)にアンケート調査を行い、
その結果をまとめて公表している。
↓がどうやらブータンの国立研究所による公式のサイトのようだ。
http://www.grossnationalhappiness.com/
2018年6月時点で2015年の調査に関する報告書(英語)を無料でダウンロードできる。
報告書の最後には、全148問のアンケートの内容も記されている。
「あなたの家に水道・電気は来ているか?」
「どれくらいの頻度で読経や瞑想を行うか?」
といういかにもブータンらしい質問もあるが、全体的に見るとこれは
日本でも行われている国勢調査メンタルヘルスのアンケートを足し合わせたもの
という印象である。そう考えれば、あながちバカにできたものでもなさそうだ。
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そして、この定期的に実施されるGNH調査は実効的な効果も持っているようだ。
質問の中には医療や教育といった行政サービスに関する質問も少なからずある。
その答えの如何に関わらず、そのような質問があるだけで行政側にとっては圧力となり、
結果的に行政サービスがおろそかにされず進歩しているようである。
今世紀に入ってからブータン国民の平均寿命は大幅に伸び、
また子供たちへの教育にも力が入れられている、という。
現地ガイドによれば、高校(に当たる学校)までは希望者全員が行くことができ、
成績が良ければ大学へも格安の授業料で入学できるという。
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ブータン公用語はゾンカ語というブータン独自の言語だが、
それだけでなく小学校から英語の教育も行われているという。
ある集落を歩いていたところ、地元の子供たちが近寄ってきて英語で話しかけてきた。
それでこちらが聞き取れずに(;発音が悪かったのではなく
予想もしなかった単語だったため)恥をかいたこともあった。
その他コンピュータ教育も早くからなされており、
学校のコンピュータなどでインターネットから海外の情報を得ている。
そのため、最近はブータンを出て外国へ行きたいと考える若者が増えてきているらしい。
ただしこれだけは自由にできず、できる人もなくはないが多くもない。
このような状況も把握したうえで、
教育への注力は代々の国王の願いに基づきなされている国の方針なのだという。

思うに、ブータン人の考える幸福の方向性は「グローバリズム」の対極にある。
現代の日本を含む世界の先進国は、そのほとんどがグローバリズムを重視している。
暦や法律などの社会の仕組みを国際社会のものに合わせる。
できる限り自国と相手国の関税を低く抑えて自由貿易を促す。
そういう政策は往々にして国内の反発を生むが、
それでも先進国がグローバリズムを進めるのは、
国際的な強さ・発言力、ひいては豊かさを得たいからである。
けれども、ふと考える。
もしも外国産の安い野菜・衣服・陶磁器などが店からなくなれば、
日本産のそれらがもっと売れるようになるのではないか。
(食べ物はともかく)衣服や陶磁器は何年も使えるものなのだから、
100円ショップで買わなくても、高くてよいものを買えばよいのではないか。
そうすればそれらの国内生産地である地方の経済が回り、若者が地元に残り、
過疎や高齢化、税収の不足、シャッター商店街という問題がなくなるのではないか。
そのためには、国や企業がグローバリズム重視の方針を転換すればよいのではないか。

それを判断するのは、国ではなく国民である。
日本でも何年か前にTPPの議論が世間を賑わせていたが、
結局それに強く反対していたのは現在関税等によって保護されている産業の業界団体と
政権に文句を言いたい野党系の論者だけだったように記憶している。
そもそも日本は長く続いた閉塞社会を嫌い、
明治の頃からみなが海の向こうの世界を見ていた。
いや、それ以前から学問に関心のある者を中心として、権力者である大名の中にまで
海外に憧れる者が多くいたことが、明治維新の原動力となっている。

一方で、そう考えない者もいる。
自国の暮らしや文化を誇りとする者(幕末の攘夷派とか)は少なくないし、
あるいは消極的に「外国に憧れを感じない」という人々も多いと思う。
ブータン人にとって身近な外国とは、隣接する大国である中国とインドだろう。
インド旅行の経験がある私からすれば、インドに憧れる要素は皆無である。
ニューデリーの日常を見れば、ブータンが至高の故郷に見えることだろう。
ところが、ブータン人は人種的・文化的に近い中国よりもインドを信用している。
実際ブータン国内にはインド軍が駐留しており、インドから来る出稼ぎ労働者も多い。
ということは、ブータン(人)はそれ以上に中国のことを警戒している。
まあ、チベットの近代史と現在の状況を見れば、その判断は賢明である。
ということで、周囲から隔絶されて独自の言語・文化を育んできたブータン人は
近代の情報化によって諸外国の状況を知ってなお、
グローバリズムとそれに付随する物質的な豊かさとは反対の方向に幸福を見出している
というのが私の分析の結論である。

では、ブータン人のこの考え方は今後も続くのだろうか?
次世代の若者に受け継がれるだろうか? その答えは、
ブータンでは今なお強く受け継がれている地域コミュニティが維持されるかどうか、
あるいは人口の都市部への集中が進行するかどうか、にかかっていると思う。
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都市部に流入する若年人口が貧しく地域コミュニティや伝統をないがしろにするのは
全世界・全人類に共通する傾向ではないかと思う。
その点、ブータンには全くと言ってよいほど平地がなく
既存の都市に拡張の余地のないことが、保守的な傾向に有利に働くのではないだろうか。
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それでもブータンでも21世紀に入ってから経済的に大きく成長しているようで、
さらなる経済成長を望むのであれば、
たとえ山を削ってでも都市を拡大させ、周囲の若年人口を吸い込むことだろう。
ブータンにとって、あるいはブータン国民にとってそれがよいことなのだろうか?