スリランカ旅行記(4/4) ;内陸の旅

スリランカの首都がコロンボ以外のどこかだという話をたまに聞くが、
この国の首都はコロンボ以外にはあり得ない。
道路網はよく設計・整備されており、
また国内の他の都市へ続く主要な幹線道路もコロンボを起点としている。
鉄道についても同様だ。
朝早くから夜遅くまでバスや電車が多く走り、通勤の人々を運んでいる。
街の住民だけでなく、国内外から多くの人間がこの街を訪れる。
海の近くの大通り沿いには立派で豪華なホテルがいくつも建ち並び、
現在建設中の高層ホテルも多い。
国内の他の観光地を目指す外国人旅行客も、まずはこの街にやってくる。

今朝も早くからオフィスで一組の外国人観光客と落ち合った。
やはりはじめはコロンボの市内観光をするという。
昼間に市内を走る車は店の宣伝をいっぱいに書かれたカーゴトラックか
スリーウィラーくらいのもので、渋滞もなく快適に走ることができる。
しかしこの街の中心部から周辺部へ出ると、状況が一変する。
そこは観光客ではなくこの街の住民のもので、
彼らの運転する様々な車であふれかえっている。
朝夕の通勤ラッシュに巻き込まれようものならたまったものではない。
とはいえそれでも事故はあまり起こらず、
みな何とか自宅や目的地にたどり着いているのだから不思議なものだ。

この国もこの街もかつては内戦やテロにおびえて静かに暮らしていたというが、
そのころのこの国を知らない私にはちょっと想像ができない。
今回の外国人観光客も市内の中心部にある有名なショッピングセンターや
高級レストラン街を巡っているが、
それらはみな豊かになったこの街の住民の客で賑わっている。
かつてはそれで十分だったのだろうか、今では駐車場のスペースがどこも不足気味で、
自家用車で来る客は駐車場の確保に苦労しなければならない。
まあ私の場合は客だけその場に残し、
あとは時間まで静かで涼しい別の場所で過ごしていればいいのだが。

コロンボ市内観光の翌日は大変だ。
朝にコロンボを出発し、
この国でも屈指の観光地であるシーギリヤとキャンディを訪れるという。
キャンディはかつてこの国の王様が住んでいた伝統ある古都で、
シーギリヤはそれよりもさらに古い時代に王様が住んでいた遺跡だ。
どちらも島の内陸部にあり、太陽の沈む方角の海沿いにあるコロンボからはかなり遠い。
観光客を運ぶ仕事をしていると島の逆側の沿岸地域へ行くことは少ないのだが、
シーギリヤはむしろその逆側に近い。
コロンボの中心部はともかく、
周辺地区を通勤時間帯に通ることだけは避けなければならない。
と思っていたが、本日は土曜日ということで通勤ラッシュも大したことはなかった。
真っ白い制服を着て学校に通う子供たち、そして
彼ら・彼女らを自家用車で学校まで送る親の運転する乗用車の姿も今朝は見かけない。

周辺部を抜けて郊外まで出てしまえば、もう渋滞の心配はない。
郊外の道は往復二車線で広くはないものの、舗装がしっかりしていて走りやすい。
一気に走って距離を稼ぎたい。
いくつかの町を通り過ぎると、唐突な感じでそびえる岩山が見えてくる。
そう大きなものではないが、この辺りにはこういう岩山がいくつもある。
そしてこの先にある最大級の岩山が、この国で最も有名なシーギリヤだ。

ようやく最初の目的地に到着した。
通勤ラッシュにもその他のトラブルにも遭わず、
スピードも結構出し気味で飛ばしてきたが、すでにお昼近くになっている。
本来ならここで半日を過ごすべきなのに、
今回の客はこの後キャンディへ行き、それから‥‥。
彼らは2時間でここの観光を終えて戻ってくるという。
本当に約束の時間で戻ってくるだろうか。
戻ってこなかったら、その後の予定はどうなるのだろうか?
しかし、彼らは時間に正確なことで世界的にも有名な国の人間である。
そして、実はこの私も彼らの国で作られた車なのだ。
私に搭載されているナビゲーション・システムは、彼らの国の言葉を表示する。
これがその証拠である。
そしてどういうわけか、私のナビゲーション・システムは今の私の国の地図を表示する。

ナビゲーション・システムにシーギリヤの地図を表示させると、
今の様子が浮かび上がる。
ここから平地をしばらく行ったところに例の巨大な岩山があり、その入り口は‥‥、
観光客の大行列だ。
今日は土曜日ということで道路の渋滞を免れることができたのだが、
その代わりに観光地は近隣住民の観光客でいっぱいになってしまうのだ。
彼らは行列から少し離れた岩の通路にいた。
どうやら有名なシーギリアン・レディの壁画をあきらめて行列を回避するつもりらしい。

行列と壁画を回避して、岩山の垂直に切り立つ壁画に作られた心許ない通路を通過し、
岩山の上に出ると‥‥、
またしても地元観光客の大行列だ。
この岩山は二段構成になっていて、そこは二段目の登り口、通称「獅子の足元」。
かつての王の居城は二段目の岩山を登った上にある。
彼らは王の居城の観光をあきらめ、大行列を回避して下山の道を選んだ。
やはりシーギリヤを2時間で回るというのはいくらなんでも無理がある。
しかし、彼らが戻ってきたのは約束の時間通りぴったり2時間後。
さすがに世界的に有名なだけはある。

午後の時間になると、地方の道とはいえさすがに自動車の交通量が増えてくる。
民家や店舗になっている建物が道路のすぐわきに建てられていて、
道路の周辺に自動車を駐停車できるスペースが少ない。
この辺りの町は幹線道路に沿ってその両側に細長く発展していくようで、
道路沿いの狭いスペースに無理に駐車された車が少なくない。
近年成長して新しく作られている町でこれなのだから、
自動車がなかったころから人がひしめき合って暮らしてきた古都はもっと酷い。
次の目的地であるキャンディがそうだ。
おまけにキャンディは、この国の人間にとって
シーギリヤに勝るとも劣らない人気の観光地なのである。

この国の信心深い仏教徒は、
仏教の開祖であるお釈迦様の歯が祀られているという寺院を詣でる。
寺院の中で実際にその歯を見ることができるのかどうかは分からないが、
老若男女、この寺院を訪れた人々はみな晴れやかな笑顔で寺院から出てくる。
その周囲にはレストランやみやげ物屋、
それにこの国の特産品でもある様々な宝石を売る店が並んでおり、
寺院を詣でにやってきた人々と地元住民とによって賑わっている。

問題は、参拝客・観光客のための駐車場がないことだ。
人々は仕方なく、車を路上に停める。
いや実は、寺院の近くの通りの一本が闇の駐車場になっている。
もちろん公認のものではなく、誰かが駐車しようとするドライバーから
勝手に料金を徴収することはできないはずである。
けれども、一見のドライバーはいつ来ても空きスペースが見つけられないのに対して、
私のドライバーのような観光客のガイドは
なぜか近くにいる人が空きスペースに誘導してくれる。
彼らが外でどのようなやり取りをしているのかを私は知らないが、
それによって私たちの観光客は気楽に寺院を詣で、
近くのレストランでおいしいカレーを食べることができるのだ。
この国で観光客の専属ドライバーとしてやっていくには、
各地で顔が広く交渉上手でなくてはならない。

キャンディを出発したのは夕方だ。まもなく日が暮れる。
今晩の宿はどこだろうといぶかりつつ乗客の話に耳を傾けていると、
なんとこれから今日中にヌワラエリヤまで行くという。
ここから3,4時間、くねくねと曲がりくねった急な上り坂をゆかなくてはならない。
英国の植民地時代、英国人の避暑地とさされたヌワラエリヤには
彼らの建てた洋風のホテルがあり、我々の乗客はそこに宿泊したいらしい。
こんな時間にこの道をゆくもの好きはいないだろうとはいえ、
街灯もなく真っ暗なつづら折りの道をゆくのは危険である。
熟練ドライバーで事故の心配はないとしても、
人間はこのような行程で乗り物酔いを発症する。車内で吐かれてはたまらない。

しかし何より重要な問題は、この道を登るときに見られる光景も
ヌワラエリヤ観光には欠かすことのできない絶景であるということだ。
山腹の斜面一面に単一種の常緑低木が所狭しと植えられ、
この植物による畝模様がどこまでも続いている。
これは多くの人間たちが手間をかけて手入れを続けなければ作り得ない光景であり、
この島の中でもここでしか見ることができない。

すでに日が落ち、私のランプに照らされた道路以外に何も見えないここが
そういう場所だと知ってか知らずか、客たちは眠ってしまっている。
いや、一人は目を覚ましたようだ。
路上にいくつか明かりが見えたからだろうか。
あれらはこの地の農家が作った野菜を路上で売る出店だ。
冷涼なこの地では、眼下に広がるあの食べられない植物だけでなく、
食用の野菜も多く作られている。
ホテルに宿泊する観光客は買うわけにいかないかもしれないが、
地元の住民は帰り道によく買っていくそうだ。

峠を越えたところでドライバーが私を停めた。
乗っていた観光客も外に出た。
もと来た方は真っ暗だが、峠の先にはいくつも明かりが見える。
あの明るい建物が、これから行く宿泊先のホテルだろうか。
夜空を見上げると、人間世界に負けないくらい明るい星空が広がっていた。