スリランカ旅行記(3/4) ;内戦の影

スリランカの中でも紅茶で有名なヌワラエリヤ地区には、タミル人が多く住んでいる。
スリランカ国民の多数派はシンハラ人と呼ばれる民族で、シンハラ語を話す。
見た目はインド人と全く変わらないのだが、分かる人には違いが分かるらしい。
まあ、欧米人にとって東洋人の区別はつかず、
中国語と日本語の見分け・聞き分けができないことに対して私は文句を言えない
ということかもしれない。
それはともかく、彼らは民族の名称だけでなく、
それぞれの文化や信仰する宗教、それに気質までが異なっている。
シンハラ人の多くが仏教徒で、派手さを好まない文化を育んでいるのに対して、
タミル人は大半がヒンドゥ教徒で、派手なものやけばけばしい色の衣装が大好きだ。
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これらの特徴から分かるように、タミル人は元々南インドに住んでいた民族で、
過去のどこかでスリランカ島北部の狭い海峡を渡って渡来してきた人々である。
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もう一つ、それぞれの気質として、
シンハラ人が南国特有の比較的おおらかな気質であるのに対して、
タミル人は勤勉で利殖に敏い気質であるらしい。
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それゆえ、この地方をイギリス人が植民地支配するようになると
タミル人の一部がヌワラエリヤに移住し、
イギリス人との貿易で利益を生み出せる紅茶づくりに従事するようになったという。

前回の記事に書いたように紅茶の栽培は日本のお茶の栽培と同じで、
山の斜面にびっしりとお茶の木を植えて行う。
単に平地が少なく貴重なため、というわけではなく、
斜面に植える理由があるように見える。
そしてそれはすなわち、茶摘みなどの作業を機械化することが困難で
基本的に手作業に頼らなければならない、ということでもある。
イギリス人が植民地支配をしていたころは
作業の機械化よりも現地人の手を使った方がはるかに安く上がっただろう。
しかし人件費がいくら安いとしても勤勉でない労働者を大量に使うとなると
バカにできない管理の手間と費用を工面しなければならなくなるのであり、
勤勉で利益のためによく働くタミル人が紅茶栽培の労働力として重宝されたそうだ。
イギリス人が去った後もタミル人はこの地にとどまり、
今なお斜面でお茶の栽培を続けいている。
そしてこの産業は今でもそれなりの富を彼らにもたらしているようだ。

このタミル人は、
前世紀末にスリランカの国全体で破壊が繰り返された内戦の一方の当事者である。
第二次大戦後イギリスから比較的穏やかに独立を勝ち取ったスリランカは、
その後しばらく安定した時期を過ごしてきた。
しかし1972年に仏教が実質的な国の宗教として扱われるように憲法が改定され、
それに反発したタミル人が反政府勢力を組織したとされている。
しかし、以前からイギリス人に優遇されてきたタミル人に対する
シンハラ人の反発感情があり、表立ってはいなかっただけで
実際の社会にはそれ以前から少数派であるタミル人への不利な扱いがあったようだ。
とは言え内戦が激化していた時期でもタミル側の勢力が支配していたのは
島の北部と東部の沿岸部であり、ヌワラエリヤを含む島の中央部は含まれていない。
通常反政府勢力は隠れやすい山岳地方に拠点を置くもので、
そこにタミル人が多くいるとなればヌワラエリヤ付近がその拠点となりそうなものだが、
事実としてそうはならなかった。
たとえ同じ民族、同じ宗教の少数民族が近くで迫害されていたとしても、
しっかりとした産業が確立されていれば
そう簡単に反政府的な思想や活動に至るわけではないということなのだろう。

このタミル人の反政府勢力は2009年に武力によって壊滅させられたという。
支配地域に石油などの地下資源を持たず、外国勢力とのつながりもなかった、
という背景があるのかもしれないが、
国連が介入するレベルの内戦がこのような形で終結するのは珍しいことだ。
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スリランカ共産主義を標榜する国に接していないことは幸いだった。
あるいは、内戦の当事者の一方が共産主義を標榜しなかったこともまた幸いだった。
そうなっていれば、
朝鮮半島ベトナムのように大国の代理戦争に巻き込まれていたかもしれない。
とは言えまだ安心はできない。
昔も今もスリランカ海上の要衝、東洋と西洋を結ぶ海路の中継地である。
そしてその点に中国が目をつけ、スリランカに対して様々なアプローチを試みている。
中国の真の狙いは欧米が匙を投げ気味なサハラ以南のアフリカであるが、
中国本土とアフリカを結ぶ中継基地あるいは軍事基地として
スリランカの地を利用しようと狙っている。

中国によるアプローチというのは基本的には開発のための資金援助ということだが、
返済ができない場合は港湾設備を中国が租借する、という内容のものまである。
スリランカ国内では、
先の大統領が中国側の賄賂攻勢に篭絡されてそのような内容の援助を認めた
という考えが広まっている。
この事例から分かるように、中国の“援助”は援助先への善意に基づくものではなく、
自らの利益を第一に考えてのものである。
賄賂の横行による体制の腐敗を促進するようなことをするのであれば、
すなわち援助先の社会をよくしようという意図がないのであれば、
反政府勢力に援助を与えて再び内戦を引き起こす、というアプローチさえしかねない。

一方、日本もまたJICA等の組織を通して以前からスリランカに対する援助を行っている。
直接的な資金援助もさることながら、
青年海外協力隊のような志のある人々を派遣しての人的援助、
特に社会インフラや産業に関連する技術的な教育の分野に力を入れているようである。
このような援助は、日本に対する見返りという点では見劣りするものの、
スリランカの社会をよくしたいという点では非常に優れた効果を示すだろう。
ヌワラエリヤのタミル人のように、その地に根をはり生産的な生活を送る人々は
簡単に破壊的な思想や行動に流されないものだからである。

その他、日本人が得意とする自動車関連の援助・貢献も目についた。
まず、スリランカ国内を走る自動車の多くが日本車である。
日本での所有者だった会社名などの記された小型バス・トラックの中古車も走っていた。
自動車の普及の支障となる道路事情についても、
地方でも細い路地に至るまで舗装道路が整備されていたことに驚いた。
舗装に用いられるアスファルトは古くなるとガタガタになってしまうものだが、
地方でも幹線道路ではアスファルトの状態がよく、
しっかりと補修・管理されていることが見て取れた。
この点が日本の援助によるものなのかどうかは分からないが、
大都市郊外の渋滞を緩和するために高速道路を建設している点では
日本のJICAが援助をしているようだ。
島の南部のリゾート地とコロンボを結ぶ高速道路を自動車で通ったが、
渋滞もなく文字通り高速で走り抜けることができた。
途中にパーキングエリアやサービスエリアがいくつもあった。
サービスエリアの一つで休憩したが、
きれいな無料のトイレが使えるだけでなく、立派な建物の中で食事も買い物もできた。
まるで日本の高速道路のようだ、と思って敷地内を歩いていると、
それらがJICAの援助のもとに建設されたことを示す碑が建てられていた。
現在、内陸に位置することキャンディへ行く高速道路が建設中だという。

思うに、交通インフラの充実は国内の安定化にとって重要な役割を果たす。
張り巡らされた道路を伝って物質的な豊かさが地方の隅々までいきわたり、
破壊的・攻撃的な組織の温床となる貧困地区を縮小させる。
単純な犯罪行為に対する抑止の効果も働いて社会の治安が向上し、
それによって住民の気質が温和になる効果もあるだろう。
生活様式や文化が画一化し、地域性や伝統が損なわれる、
いわゆるグローバリズムの弊害が生じるかもしれないが、それはまた別の話である。

スリランカ島が西洋と東洋を結ぶ海上の要衝であることは、
スリランカ国民が望むと望まないとに関わらず、
地政学的な事実としてスリランカという国が今後も背負っていく宿命である。
その利点を、自己利益の追求のために他者の犠牲・不幸を顧みないような
国・勢力に独占させてはならない。
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他者への憎悪に基づく争いや他者を貶める企みは、熱帯の楽園には似合わない。
同じく海を愛する者として、また同じく熱帯の潮風と自然を愛する者として、
私たちは積極的にスリランカとかかわっていかなければならないのである。