中国の脅威に関する考察2019(1/2) ;国力の脅威

 2018年まで日本国内では中国経済バブル崩壊に関する話がなされていたが、2019年に入ってからは米中の関税合戦に始まる激しい経済戦争の様子を見て、中国経済バブル崩壊に関する主張はまるで見かけなくなってしまった。中国経済、あるいは中国という国そのものを侮っていた人々がその実力と覇権を目指す野心を目の当たりにしたのだろう、中国に対する恐怖を叫ぶ声、諦観を語る声もネット上で見かけるようになった。しかしながら、その中には明らかに日本国内の世論を誘導しようという意志に基づくものもある。国内外のマスコミが立場の公正さを重視しなくなり、ネット上にあふれる発言者同様その主張の偏りを厭わなくなったこんにち、私たちはマスコミやネットから押し寄せる情報を鵜呑みにするのではなく、より冷静かつ客観的に状況を分析し、事実を正しく認識する必要に追られている。
 まずはGDP国内総生産)について、2018年実績で比較すると中国のGDPは日本のそれの3倍弱、つい数年前は日本の2倍と言われていたので、確かに今でも激しい勢いで成長していると言える。しかし人口が日本の10倍以上であるため、一人あたりの値となると日本の1/4程度となる。最近では2016年の夏に中国東北部の大都市瀋陽遼寧省省都でもある)に行ったが、その時もそれ以前と変わらず生活必需品(安価なもの)の物価水準は日本の1/3程度だった。これは東南アジアの多くの国とほぼ同じである。ただし東南アジアでは人件費(給料)の水準が日本と比べて1/10から1/5であり、日本の1/3の物価でも生活は苦しい。これに対して単純計算では中国の人件費は日本の1/4となり、かなり楽な生活を送れることになる。
 もう一つ先述の藩陽訪間で驚いたのは、郊外に大規模な団地をこれでもかとばかりに建設していたことである。いわゆる「鬼城」(中国語でゴーストタウンの意)である。同じような形の中層マンションを何棟も並べて建設していたことから、国もしくは公的機関の主導による建設事業であることが分かる。それらに果たしてどれだけの住民が住まうことになるのかは分からないが、一つだけ明らかに分かることがある。中国では、少なくともぜいたくを言わなければ住宅費を非常に安く済ませられる、ということだ。十数年前に行った香港で、物価は日本とそれほど変わらなかったにもかかわらず家賃だけは意外にも日本よりかなり安かった記憶がある。土地が貴重な香港ですら安いのだから、中国ではなおのこと安いはずだ。もしこんにちの日本で家賃(もしくは住宅ローン)が今の半分だったとしたらどうだろう。加えて、子供が一人しかいないとしたらどうだろう。生活にかなりのゆとりが出てくるのではないだろうか。

 公的機関の主導によるマンションの建設には公共事業としての側面もある。人件費や鉄などの建設資材ばかりでなく、土地の取得費が日本と比べて桁違いに安いとすれば、公共事業として税金を投入する価値は大いにあるだろう。たとえ住民が少なくても家賃収入が見込めるのであれば、上下水道の整備や環境問題への対策を行うより経済的だという見方もできる。というあたりを考えれば、中国人民の購買意欲は日本とは比べ物にならないほど高いこと、そして国の経済的な発展もその帰結として容易に成し遂げられることが分かる。
 しかしながら、中国経済の国際的な強さの源泉は依然として人件費の低さに拠っているのもまた事実である。これは一人あたりのGDPが明確に示している。それが日本の1/4だという事実は、しかし中国人の労働の質や技術力が低いことを意味しない。それはあくまで人件費を示しているのであり、その額に応じたレベルよりも高い質・量の労働が提供されるのであれば、それが国際的な経済の強さに直結する、ということだ。一部の分野で中国企業が高い技術力や国際的な存在感を示しているからといって、その事実ばかりに目を奪われていると真相を見誤るおそれがある。いくら技術的に高くても、いくら質の高い商品を作り出しても、値段次第では市場に全く受け入れられず経済的な強さにはつながらない、というのは日本人なら誰もが知る真理である。
 ただし、この点をさらに複雑にしている背景として、生産拠点の問題がある。人件費の安くインフラの整った国に世界中のメーカー企業がこぞって生産拠点となる工場を持つため、そのような国では世界中のメーカーがトップクラスの技術で製品を生産することになる。その観点からすれば、まさに人件費の安くインフラの整った国である中国は世界トップクラスの技術力を持って世界経済を席巻しているということもできる。生産拠点の移転により企業がより大きな利益をあげるとしても、メーカーは通常利益の10倍以上の費用を商品生産などの企業活動に費やすことになり、その大半は生産拠点のおかれた国の経済を回す。その点において企業の国籍は大きな違いをもたらさない。国内の経済活性化の施策としては、国内企業の研究開発を促すよりもむしろ外国企業の工場を誘致する方が効率がよいかもしれない。それは長年中国政府が行ってきたことであり、いまアメリカのトランプ大統領がやっていることでもある。
 以上が中国の経済に関する現状分析であり、ここからが将来の分析である。安い人件費(一人当たりGDP)を維持しつつ外国企業の直接投資(生産工場)を誘致するためのインフラ・社会基盤整備を行い、また効率のよい公共事業である大規模な集合住宅の建設も進めてこれまで順調に成長してきた中国経済がここにきて外国(米国)からの圧力にさらされている格好となっている。この場合、外国への侵略に活路を求めるのは最も愚かな戦略であることはすでに歴史が証明している。それ以外の戦略として中国は、アメリカを盟主とする経済圏に対して自らの側も関税障壁を設けてアメリカの圧力に対抗するのか、それともアメリカの圧力に屈しその経済圏の中で然るべき立場・存在感を確保するのか。それを考えるうえで重要になるのが、中国は今なお共産主義を掲げる国だという事実である。かの国の経済的な側面ばかりを見ているとそのことを忘れてしまいがちだが、そんなことはない。
 そもそも、共産主義の本質は物事を国家規模で計画的に進めることである。かつて共産主義国家は、国民の生活から生産活動に至るすべてを国家規模で計画的に行おうとした。しかしそのやり方には無理があり、試みは破たんした。国家規模で計画的に活動するということは、国家規模で人間の階層が生じるということである。平等な社会の対極にある権力至上主義の社会である。その初期にあっては権力をめぐる闘争が熾烈を極め、その過程で有能な人間の多くが社会的に脱落させられる。それが落ち着くと、今度は権力を手中に収めた側が新たな権力闘争を抑圧するため、権力構造の固定化が進行する。そのような社会の中では実力や苦労が報われず、人々はそれらを重視しなくなる。与えられた業務をこなすだけの生活から、人々の熱意はその業務をいかに少なくするかという点に向けられることになる。こうしてまず社会の生産活動が破たんした。
 しかし中国政府の指導者はこの問題に気づき、柔軟な対応をとった。生産活動・経済活動に関しては国家規模での計画化を放棄し、自由化の路線をとった。この状態が長く続いた結果、今の中国に至っている。しかしながら、それ以外の面で中国は今なお国家規模での計画的な活動を行っている。それは特に政治の面で顕著である。ということは、上記の問題点は政治などの面で今なお解決していないのである。最も分かりやすいのは、有能な後継者が育たないという事実だろう。昨年(2018年)かの国の国家主席の任期が2期から3期に延長されたのはその問題の顕現の一つだろう。最高指導者の生前譲位がならなくなった時、国家組織としての安定性に黄信号が灯ることになる。とはいえそれが深刻な問題として顕れてくるのはまだしばらく先の話。私たちが知りたいのは、そして世界的に重要なのはもっと直近の将来の話である。そしてそこに影響を及ぼす、共産主義に特有のもう一つの問題がある。それは他者とのかかわり方である。