強者と弱者

たぶん多くの日本人が面白いと感じたであろうニュースが、
ついに朝日新聞にも取り上げられた。
山形の小学校のネーミングについてである。
公募で決めた新しい小学校の名前がアダルトサイトの名称として
既に使われており、小学校(市)側がその名前を断念した、
とのこと。はじめは
「こちらが折れればそのアダルトサイトを正当化することになる」
という強硬論が優勢だったというが、
テレビニュースなどが当初あまり大きく扱わなかったのも
同じ理由に基づいてのことだと思う。
 
なにが面白いって、その名称の違いが「私立」と「市立」だ
という点もまあ面白かったが、
そこに明確な強者と弱者の命運が見て取れたことである。
市側ははじめアダルトサイトの名称を法的に変更させられないかと
画策したが、不可能だと判断したらしい。
一方、朝日新聞の記事によればアダルトサイトの運営者は
サイトの名称を変更する用意がある、と言っているとのこと。しかし
もし仮に両者が合意してアダルトサイトが名称を変更したとしても、
新しくできる小学校はやはり名称を改めざるを得ないだろう。
この場合、アダルトサイト側が圧倒的な強者なのである。
 
もしこれが、(リアルな)小学校の名称が先であったなら、
その名称が不適切な使用から保護されなければならないだろう。
しかしその場合でもやはり強者はアダルトサイト側であり、
自然に発生するルールに基づけば小学校側が名称を
変更することになるだろうと推測される。
このような権利を守られるべき弱者を保護するためのものとして
法律は存在すべきであり、この場合であれば商標法が
先行していた小学校の名称を保護していただろう。
資本主義にしろなんにしろ、自然に発生した状態では
決して「正義の味方」ではない。強者の味方、なのである。
資本主義や進化論や純粋な子供を信奉する者には、
まず自らが弱者の立場に立たされた場合の対処法を
用意しておくことをお薦めする。
 
新聞記事には「今の時代あらかじめ名称をインターネットで
検索しておくのが常識」という意見が載せられていたが、
そんなこと言われても、ねえ。
市民の公募で決まってしまった名称に対して、誰が何と言う?
実際検索してみた職員がいたとしても、彼は結局
「新聞沙汰のおおごとになってからしか対処できない」
と判断したのかもしれないし。
あるいは、検索する前からこの問題に気づいていた職員が
いたかもしれない。彼はきっと
「誰かが気づいてくれないと、自分からは言い出せない」
と思っていたに違いないだろうし。