平成日本の悲願(前編)

今朝目を覚ましてテレビをつけると、ニュースは日中関連の内容ばかりだった。
このニュースに関して、大抵の日本人は落胆と憤りを感じているだろう。
私も失望を感じている一人である。
日本の悲願を果たす絶好の機会を、あまりうまく活用できなかった
と思うからである。
 
平成日本の悲願、それは「世界の嫌われ者という立場からの脱却」である。
日本の中で暮らしているとつい忘れてしまいがちであるが、
現在の世界は決して公正ではない。
嫌われ者の立場にある者はどんなに筋の通った主張をしても聞いてもらえず、
どんなに他者への貢献をしても誰にも認めてもらえない。
遵法と他者への貢献が大好きな現代日本は、
「世界の嫌われ者という立場からの脱却」をこそ自らの悲願とすべきである。
 
最近はイスラム過激派とアメリカの過激派が目立っているため
日本の悪者扱いはやや下火になってはいるが、
その火種がこのまま消えてしまうことはない。なぜなら、
その主張を決してやめないかつての日本の被害者がいるからである。
以前は北朝鮮が日本をミサイル攻撃でもしてくれれば
日本も悪者扱いされなくなるのでは、と考えていたが、
彼らのしつこさはそれほど甘いものではないと今では思う。
しかし、だからといって他に策がないわけではない。
しつこく日本を悪者呼ばわりする者があれば、
世界の誰もが彼の主張に耳を貸さなくなればいいのである。
我々はその方法を知っている。
彼を「世界の嫌われ者」という立場に立たせればいいのだ。
 
今回の一連の出来事を、もっと冷静に見てほしい。
資源の輸出禁止措置、ガス田開発中止の合意の一方的な破棄。
これらは反日デモや観光旅行のキャンセルとはわけが違う。
これらは中国政府の意志で自ら成した行為である。
そして、国際社会では許されるべからざる行為である。
そして、国際社会から「明日はわが身」という眼差しで
注目されていた行為だったのである。
あと一歩、彼に足を踏み出させておけば、
日本はついに悲願を果たすことができたのではないだろうか?
でもまあいい。
同様のチャンスは今後いくらでもあるだろうから。
 
ところで、もし中国がこのまま日本への資源の禁輸措置を続けたら、
あるいは中国国内で大規模な日本製品不買運動が盛り上がったら、
いわゆるチャイナ・リスクが実現したら、どうなのだろう?
輸出が主体で中国にも工場を持つ会社から給料をもらう身としては、
その点を無視することはできない。(続く)