平成日本の悲願(後編)

日本語の「植民地」という言葉は、それが表す意味と漢字が指し示す意味に
隔たりをもつ。漢字が指し示す意味は「入植者を入植させる地」である。
が、かつて日本の植民地だった地域といえば台湾島朝鮮半島であり、
字義に当たりそうな旧満州やブラジルを日本の植民地とは普通言わない。
先日『坂の上の雲」を読んでいたところ、そのあたりの事情が書かれてあった。
 
かつてイギリスは新大陸に植民地を築き、住民を移住させていた。
しかし彼らは搾取されることを嫌って本国から独立してしまった。
そこでイギリスはもっとマイルドなやり方で利益を上げる方法を考えた。
すなわち、独占的に貿易を行って利益を上げるという手法である。
イギリスはインドの藩王らに綿織物を輸出し、代わりにその原料の綿花、
それに宝石や紅茶などを輸入していた。
明治の日本は、イギリスにおけるインドを「植民地」と解釈した。
初めて広く世界を俯瞰した明治の日本は、インドに当たる日本の植民地を探した。
そして目をつけられたのが台湾島であり、朝鮮半島であり、
さらには中国大陸であった。
 
今、我々は中国に対して加工製品を売りたいと考えている。
その原料を買いたいと考えている。そして事実そうしている。
これは明治の日本が考えた野望の構図そのものではないか。
我々はそろそろ中国大陸に対する植民地的な見方を捨て、
植民地に依存しない国のあり方を考えなければならないのかもしれない。
 
もし中国がレアメタルを売らないというのであれば、
日本がその他の中国製品を買わないというのもアリだ。
地方の凋落、農業の衰退、それに失業率やニートの増加といった
バブル時代以降の諸問題は、考えてみればすべて中国製品の流入
端を発している。もし中国から軽工業を取り戻すことができたなら、
我々はこれらの問題を一気に解決するチャンスを得ることになるだろう。
ハイテクや観光など一部の分野にとっては、
中国との関係はなくてはならないのかもしれない。もしそうであるならば、
その一部の分野は「ハイリスク・ハイリターン」と割り切って
チャイナ・リスクと付き合っていかなければならないだろう。
 
北京、上海の街を歩いたことのある者にはよく分かるのだが、
中国人は切符を買うのに列に並んだりはしない。
道路を横断するときには信号ではなく車列の隙をうかがう。
今回の一連の中国政府の対応は、このような中国人の国民性の
自然な延長線上にあるものとして理解できるのである。
私が心配するまでもなく、中国は近い将来「世界の嫌われ者」となる。
そのとき、私達は経済的に中国とべったり付き合っていても大丈夫ですか?