ワシントン・レポート (3/3) ;ナショナル・ギャラリー
ワシントンD.C.の中心部にある博物館の中では、絵画を中心とした美術館が最も多かった。
というのも、有名絵画を買い集めた大金持ちが死後遺産として大量に寄贈するためらしい。
スミソニアン協会は非政府の組織だが、
このような美術館に関しては高額の財産の所有に関する問題が生じるため、
メインの美術館であるナショナル・ギャラリーはその運営に米国政府も絡んでいる。
確かにナショナル・ギャラリーだけは他のスミソニアン博物館と異なり、
日本語のオーディオ・ガイドがあった。まあ、それだけのことなのだが。
(ちなみに他の博物館でもリアル・ガイドがガイドツアーをやっているが、
私は断片的に単語を聞き取れる程度だった。
他の聴衆が笑っているときに自分だけ理解できず浮いているのは結構辛い。)
ナショナル・ギャラリーに学習テーマパーク的要素は一切なく、パーティションで区切られた
無数の小部屋が迷宮のように連なる中、ただひたすらに絵画が展示されている。
私は知っている絵画も画家も少なく、絵心にも乏しいため、
大量の絵画群をサクサクと見て回ってきたが、そうでない人は間違いなく大変だ。
ここを見るだけで数日間を費やす覚悟をしておいたほうがいい。
が、何しろ絵画のタイトルも画家の名前も英語で表示されているので、
ぱっと見では認識できない。
(しかも有名画家ってフランスとかオランダとか非英語圏の人が多いから、
アルファベットをじっくり読んでもカタカナの名前と結びつかないこともある。)
しかし逆に、ネームバリューという色眼鏡を介さないで
純粋な目で作品を観賞することができたのかもしれない。
そんな中、全体的に暗い一枚の絵画に目が釘付けとなった。
(ちなみに館内の作品は撮影OKだったが、なんだか卑しい行為に思えて撮影しなかった)
画面が暗いのは、夜の室内で唯一の光源であるろうそくの火を手前の髑髏が
さえぎっているから。そんな画面にたたずむマリアがおぉって感じに描かれている。
なにがすごいって、写実的な画風もさることながら、たった一枚の静止画が
ドラマを語っている点である。
これを見た後では、他の絵画がみな稚拙に見えてしまったほどだった。
テレビや映画が当たり前でなかった時代と現代では、
静止画に切り取るべきと考えられる光景の構図、基準が違うのだという結論に達した。
実は以前、日本で開催されたある絵画展で、非常に印象的な一枚の絵画を見たことを
覚えている。「大工の聖ヨセフ」という作品で、幼いイエス・キリストとその義父が描かれていた。
上記サイトで調べたところ、やはりこれも上述のラ・トゥールによる作品だった。
当時はその写実的表現技巧と変わったモチーフ(「聖母子像」ってのはよくあるんだけどね)に
目を奪われていたが、今改めてみるとこれもやはり静止画ながらドラマを語っている。
上記サイトに各作品の画像もあるが、暗い部分の表現などは本物を見るしかない。
画家の名前を認識せずして異なる2作品で私の目を奪ったこの画家、何かを持っている。
この画家のことを知り、上述の作品の本物を目にできただけでも、
今回の旅行の意義は大きかったと思う。もちろん他の博物館でもいろいろ見てきているし。
まあ後は、本当に寒いクリスマスのワシントンD.C.を体験したことかな。