クイズに勝った人工知能

先日、IBMの作ったスパコン「ワトソン」がアメリカのクイズ番組でクイズ王に勝った、
というニュースがあった。
「現在の二進数演算機構による人工知能は私達天然知能とは動作原理が異なっており、
 その意味において現在存在しているあらゆる人工知能は天然知能の部分的な模倣である」
というのが私の考えであり、上のニュースに特別な意味を見出してはいない。
しかしながら、その「模倣できる部分」というのが相当に拡張できそうなこと、
特定の分野においては人間の能力をはるかに上回るだろうことを、私は否定しない。
 
コンピュータに求められる能力を考えてみると、現在広く普及している
○数値的計算  ○電子機器の制御  ○データベース
という3つに加え、
将来的には、より抽象的な問題の解決への助力、という第4の項が加わると考えている。
具体的に書けば、「現在抱えている問題の概要をいくつかのキーワードによって教えられると、
自身の持つ知識のデータベースに照らしてその解決の手助けとなり得る知識を
クライアントに(複数件)提示する」となろうか。
…て、これってGo○gleまんまやん。
あとは論理的思考を結果にもう少し反映させられたら完璧か。
先日も、抱えていた問題の解決に役立ちそうな論文を「Google Scholar」で見つけたばかりである。
そんなわけで、コンピュータがクイズで勝ったからといって私はまったく驚かない。 
 
本当に賢い人間、というか知性体とはどういうものだろうか。
わが国の首相などはよく「相手国に強く出れば友好的な関係を壊すし、
かといって譲歩すれば国内の野党や世論の信頼を失うし…」
という、どちらをとってもうまくない選択をしなければならない立場に陥る。
この場合、彼の賢さは「選択肢のうちどちらを選択するか?」には顕れない。
彼が本当に賢ければ、どちらかの選択肢(望むらくは両方)をとった場合に
自らのダメージを小さく抑えられるような予防措置をあらかじめとっているはずなのである。
 
このような「予防措置」は大抵、彼の人脈や対人折衝、信念に基づいたライフワーク
といったものを通してとることが可能となるものであり、コンピュータにはまねができない。
できてもせいぜい、その可能性を事前に指摘することくらいである。
ところが、そのような選択を迫られるような年齢の人物は大抵、実際に選択に迫られない限り
他人からその可能性を指摘されてもそれを現実ごととして受け取れないものなのである。
それゆえ私達のような現場に近い人間は常に無益な苦労を強いられることになり、
また世の中からコンピュータではない「賢人」の潜在的需要が減らないのである。
 
ところで、前述の「ワトソン」て、ターミネーターのボディを与えられる以前の
「ジョン・ヘンリー」に似てなくね?
いや、多分IBMの担当者はTSCCを意識していると思う。なんかマジ怖い。