ノーモア・フクシマ

今回の福島第一原発の事故、これは太平洋戦争とともに、
未来永劫の人類が日本人に関するものとして記憶に刻み付ける 重大な歴史的事実/失敗である。
政府やマスコミが何と言おうと関係ない。
IAEAがどのようなランクを付けようとも関係ない。

今回の事故を教訓にして、より確実な安全性を持つ原発を作ることは、
原理的には可能であろう。が、それは現代の日本人には不可能である。
そしておそらくは現代の人類にも不可能である。
今回の事故の原因。
今後具体的で細かい原因がいくつも挙げられていくだろう。
しかし、私にはその背後にある本質的な原因が既に分かっている。
それは現代の日本人の「想像力の欠如」である。

私はこれまで、原発事故で最も恐ろしい事態はメルトダウンであると考えてきた。
私だけでなく、原子力の専門家や原発の直接的な関係者達も同様である。
実際私は原子力原発に関わった経験があるわけではないが、 私はそのことを断言できる。
なぜなら、今回メルトダウン後に 彼らが何らの有効な対処もできなかったからである。
もし1週間前に、彼らに
メルトダウンという事態に際してどのような対処をすべきか?」
と尋ねていれば、
「そんな事態は日本ではあり得ない」
「そうならないような万全の備えがある」
「そうならないように全力を尽くす」
という答えが帰ってきただろう。
今現在聞かれるこれらの答えは無知な素人を安心させるための方便だが、
1週間前まではこれが彼らの本心だった。

実際には、メルトダウン以降に起こる最悪の事態がある。
広島級原子爆弾数百発分に及ぶ放射性核分裂物質、
いわゆる「死の灰」の大気中飛散、そしてそれに続く土と水の汚染である。
冷戦中におけるアメリカやソ連の冷血な政治家でさえ恐れた核戦争、
それによる帰結と同等の事態である。
1週間前までの原子力の専門家も、当然そんなことは知っていた。
しかし、それを自らの頭で想像することができなかったのだ。
だからこそ、スリーマイル島の事故という教訓がありながら、
原子炉建屋の上部に水素の放出孔を用意しなかった。
原子炉建屋の上部に使用済み核燃料の貯蔵プールを作った。
地震が発生すると実際何が起こるかを想像できなかったために、
外部電力に頼る炉心冷却装置を用意した。
津波で浸水する位置に補助ポンプを設置した。
そしておそらくは、想像力に富む者の意見を一笑に付していたのだ。
彼らが「想定外」という言葉を口にする前までは。

だから私は、今後世界中にある原発の即時廃止を主張する。
原子力空母や原子力潜水艦の日本への寄港に反対する。
あれは古い型の原発だったから、と言って今回の事件を軽視する人間と敵対する。
「ノーモア・チェルノブイリ、ノーモア・フクシマ」
をスローガンにして。
「大量の電気を消費する生活を享受していながら無責任ではないか?」
よかろう。ならば私が対策を教えてやる。
電気料金を上げればよい。2倍、5倍、10倍、…。
需要と対価の原則に従い、需要が供給量を下回るまでその対価を上げればよい。
今現在私は、物品やサービスの消費も合わせて現在の電力需要を
人口で割っただけの電力を消費しているとは思えない。
対価が上がれば、代替エネルギーの開発も自然に加速されるだろう。
悪いが今の私には、これ以上の楽観論、あるいは
被災した日本人を擁護する内容を口にすることができない。
今回の事故により、何の罪もない人間、そして生物すべてが被る
害の大きさを想像できてしまう頭脳を持っているがゆえに。