ボルネオ旅行記(4/4) ;高校生の二つの興味

日本人にとって、マレーシアはそれほど馴染み深い国ではないかもしれない。
だが世界史と地理を学ぶ者に対しては、かの国は二つの興味をかきたてる。
 
世界史、あるいは大航海時代に興味を持つ者にとって、
マレーシアやインドネシア等の東南アジアの印象は"香辛料の故郷"である。
胡椒、丁字、ナツメグ、そしてシナモン。
かつてヨーロッパで黄金に匹敵する価値を持つとされ、
歴史上有名な多くの冒険家を世界の海に駆り立てた東南アジアの宝である。
ところが、ゲームの"大航海時代"シリーズをやった人には分かると思うが、
実は香辛料の貿易にはそれほどの価値がない。
いくら利益率が高いといっても、東南アジアからヨーロッパまで運ぶのに
恐ろしく時間がかかってしまうからである。海難事故の危険も高い。
実のところ、本当の"香辛料貿易"は
 東南アジア → インド → アラビア → エジプト → ベネツィア → ヨーロッパ各地
というルートで主に地元の商人達によってなされていた
大航海時代以前の貿易のことを指すのであろう。
そんなわけで、"大航海時代"における東南アジアの重要性はそれほど大きくない。
むしろ人口大国中国や憧れの黄金の国ジバングへと至る中継地という位置づけだ。
ゲーム中、インドシナ半島ボルネオ島にはただの一つも港町が存在しなかった。
西洋人の代わりに当時この地域を植民地化しようとしていたのは、やはり中国人である。
 
「コタ・キナバル」という街の名は、"街"を意味する「コタ」と「キナバル」からなる
アイヌ語で"集落"を意味する「コタン」との類似性が見られる)。
「キナバル」はさらに「キナ」と「ナバル」に分けられる。
前者は「チャイナ」すなわち中国を表し、後者は「後家さん」という意味だそうだ。
全体の意味としては、「中国人貿易商の現地妻(妾)たちの居留地」という解釈が
一般的であるらしい。
確かに、高級食材や漢方薬、鼈甲等の工芸品の材料に大きな価値が見出されていた
中国文化圏の商人達にとっては、ボルネオ島の魅力は大きかっただろう。
ジャンク船(;「粗雑な船」ではありません。当時の西洋の船にも負けなかった)で
大海原を渡り、お宝と危険の潜む熱帯ジャングルに拠点を築いたのだ。
 
そして今、コタ・キナバルの街中では漢字の表記をよく見かける。
その雰囲気は、南国と中国の雰囲気をあわせ持つ香港のそれに近い。
ただし、現在の中華系は大航海時代に渡来した中華系の末裔
というわけではないだろう。
一般的に東南アジアに広がる華僑は、
19世紀から20世紀のはじめにかけて中国南部の人口圧が高まった結果、
周辺地域に移住していった中国人の子孫だとされている。
これに対して、現在マレーシア人の多数派はイスラム教を信仰するマレー人である。
高校時代地理の授業で習ったところによると、
マレーシアでは「ブミプトラ政策」というマレー人優遇政策が採られている
ということになっている。
南アの「アパルトヘイト」やオーストラリアの「白豪主義」は批判的に扱われていた
のに対して、「ブミプトラ政策」はそうでもなかったことが何となく不思議だった。
これが、高校生が社会の授業でかきたてられるマレーシアへの二つ目の興味である。
 
曰く、「マレー人の無能さは自ら認めるところであり、政策的なハンディキャップが
 必要なことは(対立関係にある)華僑すらも認めざるを得ない状況」なのだとか。
不平等なシステムでも、当事者たちが不満を感じていなければ国際的に認められる
ということだ。
街を歩けば、目に入る住人がマレー人なのか華僑なのかはすぐに分かる。
マレー人はいわゆる"南方系"だし、女性は頭に被り物をかぶっている。
そういう状況下にあって、彼らが対立・反目し合っているようには全く見えなかった。
日本やアメリカのように華僑が"中華街"を形成して孤立している風でもない。
国際関係的にも、マレーシアは東南アジアの中では比較的親中色の強い分類のようだ。
やはり地理の先生が教えていたことは本当だった。
 
成田に帰る飛行機の中で、年配の婦人の旅行客と話をした。彼女は
クアラルンプールからさらにブルネイへ飛び、そこで数日間過ごしてきたという。
ブルネイといえば「石油が出る金持ちの国」として日本でも有名だが、
ブルネイにも文明を拒み質素で不便な水上集落で暮らす人々がいたという。
別に彼らは貧しくて不便な生活を強いられているわけではなく、
彼らの伝統を守るため、いや、ただ彼らが望む生き方をしているのだそうだ。
思うに、マレー人は"無能"なのではなく、
「富を多く生み出すビジネス」や「組織を動かす権力やルール」に
あまり興味を感じないのだろう。
そして、中国出身の華僑たちはそれらに絶大な興味を感じ、ひたすらに追い求める。
このアンバランスを少しでも解消するための「ブミプトラ政策」なのだろう。
が、情けは人のためならず。これは華僑にとっても反感を持たれない
という点でメリットになっているように思われる。
ただ相手に施し、相手に譲歩するだけでは返って逆効果になることもあるが、
どうやら彼らはその点も含めてうまくやっているようだ。
地理の授業では「マレーシアは日本の経済発展から学ぼうとしている」とも聞いた。
私たち日本人もまた、マレーシアの社会から学ぶべきことがあるのかもしれない。
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