ラオス旅行記(1/4) ;仏教の息づく街

この年末の休みを利用して、ラオスのルアンパバンに旅行に行った。
ラオスはタイとベトナムの間にある東南アジアの内陸国で、
日本ではあまり馴染みがないかもしれない。
その首都はビエンチャンで、第二の都市がルアンパバンである。
かつての王国時代には首都であった都市であり、
現在ではいくつもの仏教寺院および市民生活に息づく仏教の伝統が
世界遺産に指定されている観光都市でもある。
仏教の伝統が今も人々の中に息づく街の静謐な年越しの様子が見たい
それが今回の旅行の動機であった。
 
ルアンパバンは東南アジア一の大河メコンの河岸に形成された街、
と言うよりも「リゾート・エリア」というほうが合っているかもしれない。
私たちの考える街的な要素は皆無で、そこでは時間がゆったりと流れている。
イメージ 1
自動車の入れないような小道にふらりと入り込むと、大抵は寺院を見つけられる。
見た限りすべての寺院の門には扉がなく、誰にでも開放されていた。
2、3の有名な寺院は有料だったが、それ以外は入場料すらなかった。
ただし、寺院の内部は日本のものとはかなり違う。
建物は原色系、中の仏像は金色でけばけばしく、侘びさびの雰囲気などは感じられない。
イメージ 2
それに建物も(屋外の)仏像も新しいコンクリート製で、何というか荘厳さを感じさせない。
けれどもそれは、
ラオスの寺院が現在進行中の人々の信仰に基づいていることを物語っているのだろう。
 
ラオスに無数に存在する寺院はすべて、基本的に常住の僧侶によって運営されている。
寺院内部や市内では、黄色やオレンジの袈裟を身につけた坊主頭の僧侶をよく見かける。
ただし年配の僧侶はほとんど見ない。見るのは若い少年僧ばかりである。
調べてみると、ラオスもまたタイと同様男子はほぼ全員一度は僧侶になるらしい。
そしてその大半は1か月以内で世俗に戻ってくる"体験コース"のようだ。
http://rhq.gr.jp/japanese/know/kur/01_38.htm
(公益財団法人アジア福祉教育財団 難民事業本部HPより)
ただ、ルアンパバン市内だけでなく郊外でも各集落に1~2の寺院があり、
全少年人口における少年僧の比率は結構高い。
長期間に渡って仏門にある少年もかなりの数いるはずである。
一人の少年層に話を聞く機会があり、彼の話によると
彼は今16歳、10歳のときから僧侶を続けていると言っていた(本当は「今後いつまで僧侶を
やるのか」と聞きたかったが、お互いつたない英語でのやりとりだったのでうまく聞けなかった)。
 
ルアンパバン観光の目玉の一つは、早朝に行われる少年僧たちの托鉢行列である。
ガイドブックには「朝5時半~6時半」とあったが、それだと日の出前になる。
「この季節は日が昇ってからやるのでは?」と疑いながらも
街外れの宿から夜明け前の暗い道を40分かけて大寺院の前まで歩くと、
既に道端には炊いたもち米カオニャオを入れたかごが等間隔に並べられていた。
僧への施しを行いたい者は誰でもこのかごの後ろに陣取り、
行列でやってくる少年僧たちに手でカオニャオを渡せばいいらしい。
イメージ 3
まあ彼らがそれを実際に食べるかどうかは分からないが、
ラオスでは実際箸を使わず手でカオニャオを食べている。
 
ところで、少年僧たちはただ市民から食べ物を施されているだけではない。
流れの緩やかなメコン川の支流で乾季のみ架けられる仮設橋の架設工事が
行われていたが、それを指揮・指導していたのが袈裟をまとった僧であった。
イメージ 4
また、夕暮れの近づく午後4時に街外れを歩いていたところ、突然ボス戦に突入した。
…別にイフリートやケルベロスが襲ってきたわけではないが、
テンポの速い太鼓のBGMがエンドレスに流れていた。
音の源をたどって森の中の道を往くと、その先に寺院があった。
ルアンパバン周辺のどの寺院にも鐘楼ならぬ太鼓楼があり、この寺院の太鼓楼で
太鼓係、銅鑼係、シンバル係の三人の少年僧がボス戦のBGMを奏でていた。
それは、日本では鐘つき(とカラス)で行う時報ラオス版だった。
 
日程の都合上ルアンパバン滞在は2013年大晦日の夜までだったが、
晦日の夕刻に新年を迎えようとするルアンパバンの街の雰囲気を味わうことはできた。
街の一角にある、ガイドブックの地図にすら載っていない名も無き寺院に
地元の主婦が大挙して集まり、講釈を聴いたりお札をもらったりしていた。
町の中心部の交差点脇(普段は物売りや食べ物の屋台が並んでいる)には
パーティ会場が設置されており、街の市場や路上では供え物の飾りやろうそく、
それにごちそうを売り買いする人々で賑わっていた。
街を見下ろす高台に登れば、街の方々から大音声の音楽が混ざり合って聞こえてきた。
…この街はあまり静かではない。そもそも静寂や静謐があまり似合わないのだ。
 
2014年の年明けは飛行機の中で迎え、初日の出は空港からの電車から見た。
正月三が日は実家で過ごした。
町の中を歩いたが、人っ子一人いない。動物もいない。
山の木々は葉を落とし、風が吹いても音も立てない。まさに静寂そのものである。
なんだ、漠然と求めていた「静謐な年越しの雰囲気」は意外と近くにあったんだ。
そういえば、欧米も中国もそれらの文化圏も新年は皆で騒々しく騒ぎながら迎えている。
新年を静かに迎えるのは、実は世界中で日本だけなのかもしれない。