ラオス旅行記(2/4) ;メコンの流れ

ベトナム戦争を知っている人にとって、ラオスベトナムに近い国だという印象だろう。
実際ラオスベトナムと共にフランスの植民地として管理されており、
その後北ベトナム共産党が越境してラオスにも共産党政権を打ち立てた。
ベトナム戦争時代、北ベトナム軍はラオス領内を通って南ベトナムに侵攻し、
それを阻止するため米軍はラオス領をも空爆の対象とした。
そして今なお、ベトナムラオス共に共産党政権が国を運営している。

ところが、実際に国民の姿を見るとラオスは圧倒的にタイに近い。
まず、言葉がほとんどタイ語である。チェンマイなどの北部訛り。
数字はまんまタイ語と同じだし、違っていてもタイ語で話せば意思は通じる。
宗教的にはタイ、ベトナムとも仏教ではあるが、両者は全く違う別物だ。
ベトナムのそれは中国南部のそれに近く、タイのそれは、…独特。
いうまでもなく、ラオスの仏教はタイのそれに限りなく近い。
また、ラオスの街で現地並みの生活をしても、思ったより物価が高かった。
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どうやらラオスではまだ物があまり作れないらしく、
生活物資をいろいろタイから買っているらしい。
なので、物価はどうしてもタイ並みかそれ以上になってしまうようだ。
 
ルアンパバンに到着したその日に街中の両替所で両替を行ったところ、
渡された金額がかなり少なかった。このとき両替所の前に提示されていたレートは
\10,000=730,000キープだったが、50万ちょっとしか渡されなかった。
後で聞いたところによると、両替に関する同様のトラブルは結構あるらしい。
それで最初ラオス人の印象はあまり良くなかったが、
実際何日か滞在してみるとその印象は180度変わった。
トゥクトゥク等の勧誘をするオヤジもいるが、他の国ほどしつこくないし悪質でもない。
ナイトマーケットでは最初から適正価格を提示してくる人も多く、
いつもの調子で値切ると渋々それに応じるも、嫌そうな顔をされる。
多分断りづらい性分なんだろう。見知らぬ観光客が相手でも。
そんなときはこちらで察して「さっきの金額でOK」と言う。
…しかし、ラオス人に好印象を抱かせるのはそういう具体的な接触ではなく、
街のいたるところで子供達が元気に明るく笑っているからではないかと思う。
子供達が明るく笑っている国は、いい国なんだと思う。
 

ラオス内陸国で、国土の大半が山地である。
それゆえ、国内の物流は今なお東南アジア一の大河メコンの流れに依っている。
ルアンパバンはそのメコン河の岸に形成された街である。
メコン河はそのままもう少し南西方向に流れた後南東に向きを変え、
それがタイとの国境となる。そのため、船でタイから入国することもできる。
実際生活物資は皆タイから船でメコン川を遡ってやってくるらしい。
 
メコン川はまた、ラオス・ルアンパバンの観光資源でもある。
ルアンパバンの上流にあるという、千体の仏像が祭られた洞窟へ向かう
メコン川クルーズ・ツアーに参加した。
幅2~3m、長さ20mほどの平底船に乗り込み、上流を目指す。
メコン川の河幅はルアンパバンあたりで500~800mくらいか。
河の水面は両岸の陸地より10mほど低く、河原はほとんどない。
水は泥の色に濁っており、その深さを推し量ることはできない。
ただし結構大きな船が行き交うことから、水深が1mより浅いということはないだろう。
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ラオスには雨季と乾季があり、この時期(年末)は乾季に当たる。
そのため雨季と比べれば河の水量は少ないはずだが、
雨季であっても水位が今より1m程度上昇するだけらしい。
ところどころで水面から顔を出す岩礁の上に高さ1~2m程の塔が建てられている。
おそらく雨季にはこの塔の頭だけが水面から顔を出し、
その周囲に岩礁があることを行き交う船の船頭達に伝えているのだろう。
 
この時期、ラオスは意外と寒い。昼間でも厚手の長袖を着ていたい。
しかし、川面はもっと寒い。その上船には壁がないので容赦なく風に吹きさらされる。
そうとは知らず上着を着てこなかったので、クルーズ・ツアーの間中寒い思いをした。
船員さんが毛布を貸してくれたが、毛布にくるまっているのも何だかかっこ悪い。
目的地のパーク・ウー洞窟は、
ルアンパバンよりメコンを遡ること25km、河岸にそそり立つ崖の上にある。
メインの洞窟はむしろ「窪み」というほうが近く、
千体あるという「仏像」も市販の小さなみやげ物と同じものが置かれているだけ。
しかしそれは、地元の住民達が日常生活の中の願いを託して奉納した
現在進行形の信仰の証、なのだろう。日本の神社の絵馬のようなものか。
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実はこれよりもさらに階段を上った先にもう一つ別の洞窟があり、
こちらは私たちが想像するとおりの「洞窟」だった。
高さ5~6m、奥行き30mほどで、壁面には小さな鍾乳石が形成されつつある。
典型的な鍾乳洞である。よく見れば周囲のそそり立つ崖は石灰岩のそれだった。
 
ルアンパバンに戻り、夕刻、街のランドマークになっているプーシーの丘に登った。
メコンに沈む夕日を拝むためだ。
この季節、ルアンパバンの朝は濃い霧に包まれる。
しかし午後はよく晴れて、ほぼ毎日日没の光景を見ることができる。
100mほどの小高い岩山を登ると山頂には既に日没目当ての観光客が大勢おり、
めいめいの場所に陣取っていた。ちなみにこのとき16:30。
日没の時刻は分からないが、まだまだ日は高い。
(日本だったら今の時期17時前には沈むよな、と思って…。)
50分後、西の山に近づいた夕日が、メコンの川面を赤く染めた。
このときのやや霞がかった空の色を「茜色」というのだろう。
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そのさらに10分後、夕日が西の山に突き出た岩塊?に接触し、
さらに5分かけて完全に沈んだ。
周囲の観客達の中から自然に拍手が起こり、その後皆帰途につき始める。
プーシーの表階段を下りるとそこはナイトマーケットの通りであり、
それからがルアンパバンの夜の本番となる。