ラオス旅行記(3/4) ;見覚えのある鶏

前回書いたように、ラオスはタイの文化に近い。料理についてもまた然り。
…のはずなのだが、実際にラオス料理を食べてみるとタイ料理とは何かが違う。
まず、ラオス料理はタイ料理ほど辛くない。
レストランで店員に「辛くしてもOK?」と聞かれたので恐る恐る「OK」と答えたが、
出てきた料理(ソムタム;青パパイヤのサラダ)の辛さは大したことがなかった。
まあ、食べるときも恐る恐るで唐辛子っぽい食材は器用に避けたが。
以前タイのチェンマイで食べてそのおいしさに大いに感動した「カオ・ソーイ」が
ここラオスにもあった。ただし、出てくる料理はかなり違う。
ベトナムのフォーに似た白い麺が透明なスープに入っており、
辛い味の肉味噌で味が付けられている。
栄養を補うためか、ミントなどの生のハーブが添えられており、
好みでスープの中に入れて一緒に食べる。
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カオ・ソーイを食べていて、はたと気がついた。ラオス料理に感じる違和感の正体に。
ラオス料理には、タイ料理に必ず入っているパグチーが入っていないのだ。
なぜかは分からない。パグチーくらいラオスでも採れるだろうに。
ラオス人はパグチーが苦手なのだ、ということにしておこう。
 
ラオス人はほぼすべて仏教徒で、食材に関するタブーはない。
牛(水牛)でも豚でも食べるが、よく食べられる肉は川魚と鶏肉である。
街を歩くと、アヒルや鶏の親子連れをよく見かける。
路上を自由に歩いているが、あれらは多分放し飼いなのだろう。食肉用として。
同じような光景はタイでも見かけるが、気になるのは
ここの鶏を妙に見慣れた感じがすること。あれは…、
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小学校で飼っていた「チャボ」だ。図工の時間に絵を描いたりしたわ。
調べてみると、チャボって日本の天然記念物に指定されているとか(!)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%9C_(%E9%B6%8F)
その名前は、かつてインドシナ半島にあった「チャンパ王国」(の方)からやってきた
ことに由来しているらしい。
ふーん、どうやらここ(ラオス)の鶏のほうが小学校のチャボの起源になるようだ。
 
よく見ると、そこら辺に生えている雑草の中にも
日本で観葉植物や園芸種として見かける植物が結構ある。
たとえば、「サンセベリア」。100円ショップなどでよく売られているやつ。
多肉植物である「カランコエ」。袋のような変わった花をつけるやつ。
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「鶏頭草」の原種と思しき房状の花をつけた植物もよく見た。
http://happamisaki.jp-o.net/flower/k/keitou.htm
;ここで「野ゲイトウ」とか「ヤリゲイトウ」とかとして紹介されているようなやつ。
以前タイのジャングルに「オジギソウ」が密生していて驚いた(ちゃんとお辞儀する)
が、ラオスの道端にもオジギソウはたくさん自生していた。
ここラオスでよく目にするのは
タイやマレーシアなどのガチのジャングルとはまた違った自生植物のラインナップで、
子供の頃に慣れ親しんだ日本の田舎でよく見るやつが多いところがうれしい。
 
もう一つ、気になった植物がある。
街路樹として植えられていたり、あるいは空き地に無造作に生えていたりする樹
なのだが、インゲン豆のような豆の房をつけているのが目に付く。
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そしてその葉のつき方が、藤にそっくりなのである。藤棚の「藤」。
日本の藤はつる性植物だが、こちらのは自立した樹木植物だった。
だが調べてみると、
「(藤は)日本固有種で、本州・四国・九州の温帯から暖帯に分布する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8_(%E6%A4%8D%E7%89%A9)
うむ。名前からしても、藤は日本の固有種であってほしい。
ではラオスのこの植物は何なのか?今度は花の咲く季節に来て確認しなければ。
 
観光客もあまり来ない郊外の村で、小高い丘の上にひっそりと立つ寺院。
ラオスの寺院はどこも変わり映えしないなぁ、と思いながらふと上を見上げて驚いた。
これまでに見たことのない巨大なヤシの木が生えていた。
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正確に言うと葉も幹もヤシではなくシュロの木に近いが、
シュロの木ならなおのことこんなに大きくなったものを見たことがない。
写真では分かりづらいが、幹の太さは人が抱えきれないくらい、
葉っぱの大きさは一枚で小さな小屋の屋根を葺くことができそうなくらいあった。
今回の旅行でも街中から田舎までルアンパバン周辺のいろいろなところを回ってきたが、
こんな大きなヤシの木は他では一本も見なかった。他の国でも見たことがない。
 
ふと、実家の近くにある神社の苔むした杉の大木のことを思い出した。
日本の神社でもそうだが、大木のある場所は荘厳な雰囲気に包まれる。
ひょっとすると、この巨大ヤシがかもし出す寺院の雰囲気こそ、私がラオスに求めていた
南国に息づく仏教の形なのかもしれない。
西洋の教会、モスク、あるいはシナゴーグに、象徴となるような大木がある
という話は聞いたことがない。大木などあれば「邪魔だ」といって切り倒しているのだろう。
この「大木のある荘厳な雰囲気」は、大木の育つ自然に対して畏敬の念を抱く
私たちアジア人に固有の感覚をうまく活かした信仰の形だったのだ。