ラオス旅行記(4/4) ;子供の笑う国

ラオスの国の一番の印象は、「子供が多い」ということだ。
みんなで明るく元気に外を走り回っている。
ラオスにも当然学校はあり、小学校へ上がる前の幼稚園に相当する学校もあるらしい。
だから平日は子供は学校に行っているはずなのだが、
平日の昼間に遊んでいる子供たちもいる。
中には「サワイディー」("ディ"にアクセント)と挨拶してくる子もいる。
試しにこちらから「サワイディー」と挨拶してみると、
非常に高い確率で挨拶を返してくれた。これは相当人懐こい。
 
道端に子供たちがしゃがみこんで何かをしていた。
近寄ってみると道端に大きなトカゲのミイラが落ちていた。
3Dカメラでその写真を撮ると子供たちが「見せてくれ」と寄ってきて、
「自分たちの写真も撮って見せてくれ」といっていろいろとポーズをとってくれた。
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またあるとき人家もない寂しい田舎道を歩いていると、
道の脇に広がる林の中で子供たちが木に登ったりして遊んでいた。
私のほうに何か声をかけてきたので「サワイディー」と挨拶したところ、
一人が駆け寄ってきて黄色いスターフルーツを私にくれた。
どうやら木の上になっていた野性のスターフルーツを採っていたらしい。
え?通りすがりのただの旅行者にそれをくれるの?
一瞬食べて大丈夫なものかと考えたものの、その場で食べて
「アロイ、コプチャイ」と(林の中の子供たちにも聞こえるように)大声で答えた。
ちなみに「アロイ」はタイ語で"おいしい"だが、
ラオス語だと"おいしい"は「セーブ」だったようだ。彼らに意味は通じただろうか。
人が優しい国を旅するとき、「おいしい」「ありがとう」にあたる言葉は
真っ先に覚えておくべきだということ、そして
野生のスターフルーツはとても酸っぱいということを学んだ。
 
ラオスの子供たちが印象的なのは、みんな陽気でよく笑っているからだ。
子供たちが明るく笑っている国は、いい国なんだと思う。
これと真逆の国が、かつてラオスの近くにあった。
クメール・ルージュの支配するカンボジアである。
クメール・ルージュの支配者ポル・ポトは、かつて国民に対して
「笑ってはいけない。笑うのは、以前の幸福だった生活を思い出したからであり、
 クメール・ルージュへの批判になる」
と言ったそうだ。
まあこれはオーバーだとしても、「異教徒、異民族、特定の他国の国民を憎むように」
という教育を受けている国・地域の子供はこんなに明るく笑ったりはしないだろう。
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そう言いつつも、では日本の子供たちはどうだろう?と考え、悩んでしまう。
日本ではそういう非人道的な教育はなされていないはずだ。
それなのに、日本の子供たちはそれほど陽気に笑ってはいない。
日本にいると気づかないかもしれないが、
ラオスの子供たちの姿を見て比較すればそれは明らかだ。
それは一体なぜだろう?
 
現在日本からラオスへの直行便はなく、
今回私はベトナムハノイを経由してラオスに入国した。
そのハノイ行きの飛行機の中で、私の両隣の席が若いベトナム人だった。
彼らは現在日本に出稼ぎに来ていて、正月休みで家族のもとに帰省するところだった。
彼らと話をして、昨年ベトナムを旅行した際に得た結論「ベトナム人はいい人たち」
を改めて再確認することになった。ただし、
これまで言ってきた「ラオス人はいい人たち」とは少し違う「いい人たち」だ。
私の右隣に座っていた女性は、日本語がとても上手だった。
今でも日本人相手のガイド程度なら十分務まるレベルだったが、
彼女が今勉強しているという本には「少子高齢化」など難しい単語がたくさんあり、
おそらく彼女は公的な通訳の資格取得を目指しているのではないかと思う。
母国では電子工学を学んだが、今は日本で縫製か何かの単純労働をしているという。
けれども、ベトナム人が日本人並みの生き方ができるように、
世の中で役に立つものを多く生み出し、世界中を旅行して回れるように、
そんな将来を目指していま自分は日本で働いているのだと言っていた。
恐ろしいほどの向上心とポジティブ思考である。
(ちなみに"向上心"だけなら中国人にもあるが、ベトナム人のそれとは違う。
 その違いの本質は、重視するものが"メンツ"か"誇り"かで言い表すことができる。)
 
ベトナムは、国や国民が生き延びるためだけに働く必要に迫られた国
ではなくなりつつある。それに伴って人々の生き方が多様になり、
その結果今のベトナムの子供は、いろいろな将来の可能性を考えることができる。
が、望む可能性を実現するにはかなりの難関をくぐり抜けなければならない。
他国や高級幹部の子弟がその可能性を独占していた時代よりはマシだとしても、
その"将来の可能性"を考えたとき、笑っていられる子供はほとんどいないだろう。
この点は日本も変わらない。アメリカでもヨーロッパでも、
実力主義の国ならばどこでも子供の身にのしかかってくる現実である。
多くの将来の可能性を考えられる子供ほど、笑ってはいられない。
子供の笑わない国が必ずしも悪い国であるとは、限らない。
 
ルアンパバン周辺はこれからも今のままの田舎であってほしい。
ここの人々は今のまま素朴であってほしい。
そして、ここにある山、河、草木もまた、
今のままの姿でいつまでもここにあってほしい。
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けれどもそれは、外国人の考える身勝手な要望なのかもしれない。
10年後、ルアンパバン周辺の風景や人々が今のままであるとは限らない。
もしここに書かれてあるような国、陽気な子供たちが笑っている街を
自分の目で見てみたいという人があれば、
ぜひとも早いうちにラオスを旅行してみてほしい。