スペイン旅行記(2/4) ;アルハンブラ宮殿

今回スペインへ行くに当たりプラド美術館の鑑賞以外にもう一つ目的としていたのは、
南部の街グラナダにあるアルハンブラ宮殿を観ること。
スペインの中央部に位置する首都マドリッドから400kmほどの距離にあり、
マドリッドからスペインの高速鉄道AVEで行くことができる。
スペインの高速鉄道は日本の新幹線よりも速く、時速300km以上出ているらしい。
ただしそれは本線での話。コルドバ近くで分岐して以降は速度が急に遅くなり、
結局グラナダまで丸4時間かかった。
ちなみにこのマドリッドグラナダ間を結ぶ便は1日に2便しかなく、
日本の新幹線のように気軽に利用する交通機関というわけではない。
 
スペインはかつてローマ帝国を構成する主要な属州の一つであったが、
ローマ帝国崩壊後、北アフリカに広まったイスラム教徒が流入してきていた。
しかしその後現在のスペイン人(というかキリスト教徒)がイスラム勢力を押し戻し、
最後に残されたグラナダイスラム王朝
コロンブスの新世界到着と同じ年にキリスト教勢力によって追い出された
というのがアルハンブラ宮殿にまつわる歴史的な予備知識である。
このイスラム勢力は「モーロ人」(;英語だと「ムーア人」)と呼ばれ、
その王は贅の限りを尽くした「アルハンブラ宮殿」を建設してその居城としていた。
何となく野蛮なイスラム勢力がヨーロッパの土地を侵略・占領していたイメージだが、
実際のところはコロンブスより以前はヨーロッパよりもアラブ世界の方が進んでいた。
そしてこの時代モーロ人はヨーロッパ人から「富」「文化」「先進技術」
といった憧れのイメージで見られていた(ちなみに「技術」は科学ではなく魔術)。
グラナダを奪還した当時の王族;コロンブスパトロンだったイザベラ女王と
その夫フェルナンド王はこのグラナダに自らの墓所を作っている。
彼らにとってグラナダは、自らの故郷よりも強い思い入れのある土地だったのだ。
 
そして今回グラナダへ行って知ったさらなる真相は、
グラナダイスラム王朝が創始されるよりも前の時点(13世紀)で既に
軍事的にはキリスト教徒がイベリア半島全域を掌握していた、ということ。
つまりこのイスラム王朝ナスル朝)は最初からスペインの属国のような扱いだった
ということになる。関ヶ原以後の豊臣氏のようなものか。
ナスル朝の歴代の王達は軍事的にスペイン帝国を圧倒することを諦め、
代わりに文化・経済でキリスト教徒を圧倒しようとしていたらしい。
その目論見がうまくいってしまったのだろうか、
その後スペイン帝国ナスル朝の存続すらも否定してグラナダに兵を向け、
グラナダラストエンペラーボアブディルは軍事的に抵抗することなく
無条件降伏して北アフリカに去って行ったらしい。
うーん、これではどちらが野蛮人なのか分からない。
 
アルハンブラ宮殿はスペインでも屈指の観光地で、
宮殿の中に入るには入場券とともに時間指定の整理券を確保しなければならない。
この整理券はネットで取得することもできるようだが、
その場で当日券を取得するには朝の開園前から入り口に並ばなければならない。
整理券を取得しても宮殿に入るためにはさらにその入り口の行列に並ぶ必要があり、
それで中に入っても中は観光客でいっぱい、ゆっくりしているわけにもいかない。
宮殿の内部はイスラム様式で、複雑な幾何学模様や実はコーランの一節らしい
複雑な透かし彫りが施されている。イメージ 2
教会やカテドラルとは全く異なる美しさ、あるいは禍々しさを見せる
これらの建築様式は、キリスト教徒の目には物珍しく映ることだろう。
しかしここで本当に見るべきは、宮殿の下を流れる谷川の対岸山腹に形成された
旧市街を一望できる眺めかもしれない。
豊かで平和な街の様子を離れた居城から一望するのは支配者にのみ許される特権で、
現在宮殿の窓から見えるその光景は当時のものとそう変わらないのだろうから。
イメージ 1
 
その旧市街の方にも行ってみた。
アルハンブラ宮殿グラナダ市内の山腹に作られており、
その山の下に広がる平野にはスペイン再征服後に形成された新市街が広がっている。
そして、旧市街への入り口に当たる坂道には、今もアラブ人街が形成されている。
坂道は細く曲がりくねり、登るつもりで進んでいると反対方向に下っていたりする。
こんな所に住んでいる人たちは不便で大変だろう。かわいそうに…。
道を挟む白い壁は厚くて高く、その奥にあるはずの家々の様子はうかがい知れない。
しかし、時々子ども達のはしゃぐ声が聞こえる。
水音も混じり、どうやら私有のプールで水遊びをしているらしい。
後に聞いたところでは、そのあたりにはかつてスペインの貴族が住んでいたという。
当然それ以前はイスラムナスル朝の貴族が住んでいただろうし、
今はそれなりの名門一族もしくは金持ちが住んでいるのだろう。うらやましい…。
道に迷いながらも一応の頂上まで登ると、そこには教会があった。
その庭からは展望がきき、対岸にそびえるアルハンブラ宮殿がよく見えた。
イメージ 3うーん、やはり建築物は外から見る方が美しい。
宮殿の中からの光景と外からの光景を両方ともに堪能することは、
現代の観光客にのみ許される特権、なのかもしれない。
 
よく見れば、対岸には宮殿よりも上があり、そこに白く美しい建物が見える。
どうせ現代人が建てた高級リゾートホテルだろう、と思いきや、
それもまたアルハンブラ宮殿の施設だった。
入園料を支払って入る施設内部の敷地の大部分は庭園になっており、
その白く美しい建物は庭園に付属する施設の一つだった。
建物も庭園も西洋風で、少なくともグラナダからイスラム勢力が
追い出された以降にキリスト教徒の手によって作られたものと思われる。
 ;ガイドブックによると、元々はナスル朝王族の離宮だったとか。
が、正直この庭園がアルハンブラ宮殿の中で最も美しく感じた。
北アフリカとそう変わらない砂漠のようなスペインにあって、
ここだけは緑と水、そしてそれらを美しく見せる陽の光に満ちている。
その姿はまさに古代バビロニアにあったとされる空中庭園
それはこんなものだったのではないかと私が考えていたものだった。
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こんなところで毎晩パーティなど開いていたら、どんなセレブに対してでも
自分の方が上だという優越感を感じられることだろう。
宮殿内部に入場するための整理券がなくても、この庭園には入ることができる。
なので、朝一で行列に並べず整理券がとれなかった人も
この空中庭園の美しさだけでも堪能してほしいと思う。