シンガポール旅行記(2/3) ;ふるさと

シンガポールの中心は、南東部にあるマリーナの周辺と言っていいだろう。
マリーナの内陸側の岸には高層ビル群が立ち並び、
海側の岸には最近できたデッキを戴くホテルがそびえる。テレビでしばしば見るやつ。
このデッキの大部分はプールになっており、ホテルの宿泊客しか入れないが、
その一部は一般客でも上れるようになっている。
もちろん有料で、入場料として2,000円以上の入場料を支払わなければならない。
行ってみると、入り口で写真を撮られてデッキでその写真を買えという。
これは東南アジアの観光地にはよくあるやり口だが、
ここは写真一枚に3,000円以上という破格の額を要求してきた。
写真の購入は任意だが、観光地の維持費と思って購入してきた。
それでも納得できないのは、このやり口に要する原価がタダ同然であり、
要求された額のほぼ全てがぼったくりであることが明白な点である。

しかし、その展望デッキからの眺めは驚異的なものだった。
南東の方角には海が広がっており、そこには何十隻という船舶がひしめいていた。
大きなものではコンテナ船からタンカーまで、
小さなものだと地元の漁船クラスの船が延々と停泊している。
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あれらの船はいったい何をしているのだろう?
まさか観光客に見せるために船を集めているわけではあるまい。
以前シンガポールに行ったという知り合いも同じ光景を見て驚いたと言っているので、
あの日だけ港湾のストライキがあって荷降ろし待ちの船があふれていた
というわけでもない。
いずれにせよ、船同士の衝突事故が起こらないことを祈る。

シンガポール大航海時代からこのように交易船の中継地として繁栄してきた
…と思いきや、その歴史は意外と浅いようだ。
1819年にイギリス軍人がこの地にやってきて軍港を建設したことが
シンガポールの実質的な基点らしい。
その名は「シンガ・プラ」(ヒンドゥー語で”獅子の街”)に由来するそうで、
当然イギリス人の軍港よりも前にヒンドゥー系民族の街があったわけだが、
それは大航海時代ポルトガルによって滅ぼされ、
その後イギリス人がやってくるまでは寂れた漁村に過ぎなかったという。
イギリス人は労働力として当時植民地だったインドから労働者を移住させた。
また、働き口を求めて当時人口過剰だった中国沿岸部からも移住者が押し寄せ、
今のシンガポールの原型ができたのだという。

シンガポール国立博物館で「シンガポール700年の歴史」という展示を見てきた。
はじめに土器のかけらや解読不明な文字の刻まれた石があった次には
もう「1819年:イギリス人ラッフルズの上陸」だった。って飛びすぎだろ。
で、その次には「日本軍の侵略」、その後は「リー・クアンユーの時代」。
へ、それだけ?
自国の歴史を覚えるのに散々苦労させられる国や
自国の歴史に様々な起源説をぶっこもうと躍起になっている国がある中、
ずいぶんとさっぱりしたものだなぁ。いろんな意味で。

現在のシンガポールで最も人口比率の多いのが中国系。
彼らの大半は中国語を話すので、シンガポールでは実質中国語が主流となっている。
学生は英語で会話していたが、街中での英語の通用度は日本より少し上程度だった。
その他には、イギリス人に連れてこられたインド人の末裔とイスラム教徒のマレー人。
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最近ではミャンマー人の移住者が増えてきているようで、
ふと迷い込んだビルの中は、店舗も客もほとんどがミャンマー人という
ミャンマー人街ならぬ”ミャンマー人ビル”だった。
彼らは同じ民族同士で集まり、宗教や食文化を通じて出身民族の文化を継承している。

ホテルのテレビは地上波のみしか映らず、チャンネルは1~10の10局のみ。
「日本より多いくらいじゃん」
いやいや。その10局(うまく映らない局もある)の大半が、外国のテレビ局なのだ。
鳳凰電視台などの中国系テレビ局とCNNなどのアメリカ系がほとんどで、
国内のテレビ局と思しき局でも、一日中韓流ドラマを放映していたり、
アメリカの子供向け番組を放映していたりしていた。
見ていて、「テレビ放送を教育や文化発信のツールとして重視している」
という意気込みがまったく感じられなかった。
もし彼らが将来どこか別の国に移住したとき、
「あなたの故郷はどこですか?どんな国、どんな歴史、どんな文化なのですか?」
と尋ねられたら、彼らはなんと答えるのだろう?

そんな中、シンガポール独自の文化もあるにはある。プラナカン文化である。
「プラナカン」とはマレー語で”地元っ子”というような意味だそうだが、
当地の中国人の間では”古参(の家系)”という意味合いで使われていたらしい。
新規の移民を「新参」「にわか」として区別するために。
中心部とチャンギ空港の中間辺りにあるカトン地区のイーストコースト通り沿いが
プラナカン文化の雰囲気を味わえる地域だという。行ってみると、
その周辺はかなりの高級住宅地で、最寄り駅から遠く人どおりもそう多くない。
そんな土地柄ゆえか、上品できれいなお店が何軒かあった。
シンガポール人は他のアジア諸国民と比べてかなり紳士的で
商品を売りつけようとしたりぼったくったりする店・人があまりないのだが、
ここではものを買うのでなくても2階の部屋や調度品などを見せてくれたりした。
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中国人は金ぴかや派手なものが大好き(;香港の街を想像してね)だが、
東南アジアの好みはそれとは少し違う。チープでもいいからカラフルなほうが好き。
ごく簡単に言うと、プラナカン文化はその折衷のようなものだ。
家や店舗がピンクや水色(のどれか一色)に塗られており、通り沿いに並んでいる。
しかし細部を見ると、西洋風のコロニアル様式と中華風が混在している。
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伝統衣装はさらに独特で、女性のものは上品なブラウス風。
男性のものはバティックのシャツ。これはインドネシア(バリ島)の影響らしい。

…がしかし、今のシンガポールではこのような文化をあまり見かけない。
シンガポールでは今なお外国人労働者流入は続いているようで、
社会を構成する人間の比率で古参は新参やにわかに圧倒されてしまっている。
外国人の余計なお世話かもしれないが、
シンガポール人が海外で独特のシンガポールらしさを”ふるさと”と思えるような
社会のあり方が好ましく、国としてそれを目指すべきなのではないだろうか。