ミャンマー旅行記(4/4) ;日本との関係

今日の大抵の国において、その中に関係の深い大国の影響を見て取ることができる。
例えばベトナムでは旧ソ連の影響を見て取ることができるし、
日本でもかつての大国唐からの影響をその文化の随所に見て取ることができる。
ミャンマーについて考えてみると、地理的には隣接するインドや中国からの、
あるいはかつて植民地とされていた英国からの影響があってもよさそうなものだが、
ミャンマーの街を歩いていてもそのような影響があまり見えてこない。
いや、その中で最も強く見えてくる外国の影響が、日本からのものなのである。

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分かりやすいところでは、街の中を走る自動車。
そのほとんど、99%ほどが日本の中古車なのである。
「○○工務店」のように元の使用主の屋号等が記された自動車も走っている。
中古車と言っても状態がよく、高級な車種も多い。
運転席の前には駐車の際に便利なバックモニタがついていたりする。
ただナビだけはついていなかった。ミャンマーの地図には対応していなかったのだろう。
おそらくほかの東南アジア諸国に合わせているのだろう、
ミャンマーでは自動車は右側通行なのだが、
そこに日本の右ハンドルの中古車がそのまま走っている。
自家用車だけではない。路線バスも日本の中古車両がそのまま使われている。
さすがにこの光景は異常で、日本政府による援助か何かだろうと思っていたのだが、
ネットで調べてみてもそのような話は出てこない。
では、あれらの中古車はみなミャンマー人が選んで購入したものだということなのか。

ヤンゴン市内には地上を走る環状線があり、そこを走る電車もまた日本のものだった。
塗装を何かの広告に塗り替えた車両もあるが、今なお「JR」と記されている車両もあった。
たまたま乗った電車が「岐阜行き」で、車内にあった清掃確認表を見ると
昨年(平成27年)2月までは日本で使用されていたものだった。
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環状線なので駅の間隔が狭く、大したスピードは出せないが、
それでも列車の運行は定刻通りで正確だった。
利用者の多いダウンタウン近くのみ走る列車は本数も比較的多く、
5分くらいの間隔で次の列車が来ていた。
鉄道に関しては、自動車と違って車両だけでなく運行システムごと
日本のものを導入したのだろうか。そうであってほしいところだ。
ちなみにバガン・ツアーのガイドさんいわく、
「最近郵便制度に日本のシステムが導入され、それ以降格段に使いやすくなった」
とのこと。

全体的に、ミャンマー人は見た目が日本人とよく似ている。
ミャンマー多民族国家なので国民の見た目も多様なのだが、
日本人とよく似ていると言われるモン族が多く、
またヤンゴン辺りで多数派となっているビルマ族も日本人とよく似ている。
アウンサン・スー・チーさんのような感じの人たちだ。
そのうえ、日本人と似ているのはどうやら見た目だけではなさそうだ。
それは、労働に対する意識である。

先に「ヤンゴン市内のタクシードライバーからまじめさ・誠実さを感じる」と書いたが、
実のところそれは“比較的”ということであり、
日本人にとっては当たり前のレベルである。
むしろ他の国のタクシードライバーの態度が異常なのである。
どのように異常なのか?
それは、彼らが(他人に奉仕して)働くことを“卑しい”と感じている点である。
これはベトナムでよく見かけたシクロ:自転車タクシーに乗るとよく分かる。
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かの地を旅人が一人で歩いていると、すぐにシクロが寄ってくる。
彼らの勧誘はしつこく、断ってもずっと後をついてくる。
それで乗車すると、しばらく行った先で停車し、
「今日はシクロはこの先へ進めない」「ここのホテルへ行きたいのだと思っていた」
などと言ってそこで下ろそうとする。本当は、彼らは働くのが嫌なのだ。
しかしながら私の経験においてベトナム人女性は特に誠実で働き者であり、
本能的な部分に関してはベトナム人は働き者なのだと思う。
シクロドライバーの“怠けたい欲求”は本能によるのではなくもっと高次のもの、
「肉体労働、そして肉体労働者を卑しむ意識」からきているのだと思う。

インドでは駅の切符売りの職員が働かない。意図的なサボタージュを行っている。
これなどもおそらくは他者への奉仕となる労働を卑しむ意識から来ているのだろう。
インドのあるタクシードライバーが自身の身の上を語り、
「自分はかつて地方で水道を引く工事をやっていた」 私「立派な職業ですね」
すると彼はおかしなことを言うな、という表情をして
「日本では水道工事は立派な仕事なのか?インドではそうではない」
と言った。

いや、彼らの意識が異常なのではなく、
本当に異常なのはむしろ日本人の方なのかもしれない。
欧米人だって昔から労働を卑しいもの、できるなら避けるべきものと考えている。
その証拠に、日本人には信じられないくらい「子供の労働」を毛嫌いする。
もし子供の労働が禁止されていたならば、
マルコは生きて母さんには会えなかったかもしれないというのに。
ともかく、日本人は労働を尊いものと考える点で特異である。
日本人にとって労働・就労は単に金稼ぎの手段なのではなく、
また単なる他者への奉仕でもない。
それは自己実現において最重要な要素であり、生きがいを見出す対象でもある。
そして、自分に対する奉仕者もまた尊い労働者なのであり、蔑みの対象ではない。
日本人は、レストランの給仕やタクシードライバーを見下すようなことはしない。

私はミャンマーの社会で、これと同じような雰囲気を感じた。
ミャンマータクシードライバーが客に対して誠実なのは、彼らが客の立場を尊重し、
なおかつ自らの立場にも誇りを持っていたからではないか。
逆にベトナムのシクロドライバーは自らの立場に誇りを持っていないがために
客の立場を尊重せず、わざと客の要望を聞かないことによって
自らの自尊心を保とうとしていたのではないか。
ヤンゴンの個人経営レストランでは、料理人が誇りにかけて料理を作るだけでなく、
オーナーの家族が店をきれいに保ち、客の快適さに気を配っていた。
このような態度は世界から「おもてなしの精神」と呼ばれ、驚愕をもって語られる。
だがそれは、労働が単なる金稼ぎや他社への奉仕以上の意味を持つ社会では
労働者の側から自発的に表れてくるものなのである。

私たち日本人にとってミャンマーの印象は、
正直なところ「遅れた軍部の独裁国家」ではないだろうか。
しかしながら、今日の世界にはミャンマー以外にも独裁国家が多く存在する。
「明るい北朝鮮」ことトルクメニスタンのように、豊かな独裁国家もある。
そういう国では国民が豊かさを享受し、国政に対して不満・関心を抱かない。
それに対してミャンマー人は自分たちの国の政治に関心を持ち、
選挙などを通じて自分たちで国の政治を良くしようと考え、行動している。
これだけみても、向上心、公共心の高い国民と言えるのではなかろうか。
選挙の結果を無かったことにしてしまう軍部を相手に反対票を投じるのだから、
それは中途半端なものではない。単なるうっぷん晴らしの反対票とは違うのだ。

日本人の私は、ミャンマー人が今のまま労働・職務への誇りを持っていてほしいと思う。
前回書いたダラ市の“自称ガイド”女史も、
ガイドの仕事に誇りを持っているように感じた。
これまでに遭遇してきた自称ガイドとは違い、
その目に浮かぶものはドルマークだけではなかった。
今後彼女の目からドルマーク以外のものをかき消してしまうものがあるとすれば、
それは正直者が損をし、ずるい者が得をする社会である。
実力を持つ者にその力を発揮させないような社会である。
要するに、腐敗した社会である。
今後ミャンマーが経済的に発展するとき、そうではない国/社会になるよう
日本の各種組織が、あるいは個々の観光客が、よい影響を与えられればよいと思う。

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