ブータン旅行記(2/4) ;エマダチ

ブータンはヒマラヤのふもと、
中国・チベットとインドに挟まれる位置にある、山あいの小さな国である。
立ち位置としてはネパールとよく似ているが、国の様子はまるで違う。
ネパールがインドの文化的影響を強く受けているのに対して、
ブータンは完全なる仏教国である。
宗教や建物の装飾、国民の服装に至るまで、インド的な要素は見られない。
そして、何より国民。顔立ちが日本人そっくりなのである。
(民族的には「チベット人」として扱われるらしい。)
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何年か前、ブータン王国の若き国王とその王妃が来日して話題となったが、
そのときも二人が日本人風の顔立ちでなおかつ美男美女だったことが
大きく日本人の関心を呼んだと記憶している。

ブータン王国の面積は九州、あるいはスイスと同じくらい、
そこに島根県の人口とほぼ同じ75万人が国民として住んでいるという。
少し前ならば、日本だと政令指定都市にもなれない程度の人口である。
国土の大半が山岳部であり、標高も高い。
食料を生産するのも大変で、多くの人口を養うことができなかったのだろう。
空港のあるパロはブータンの首都近辺でも平野に恵まれた地域であり、
ここでは昔から稲作が盛んにおこなわれていた。
といっても海の近くに見られるような完全な平野ではなく、
山裾まで開拓して見事な棚田の光景が展開されていたりする。
パロからチェレラ峠を越えた先にあるハの地域では
平地の乏しさと気候の関係で今でも稲作ができず、
米の代わりに麦やソバを栽培してきたという。
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ソバの実を粉にひいて、水と合わせてこねて丸いシート状にし、
その上に野菜やひき肉の具を詰めて蒸した「ソバ餃子」が
今でもこの地区で主食として食べられているそうだ。

ブータン人はヒンドゥ教徒ではないので、
「牛肉を食べない」という宗教的タブーは持っていない。が、
仏教徒としてかつての日本人と同じく四つ足獣の殺生を忌み嫌っている。
では牛肉・豚肉は食べないのか、というとそこまで厳密ではなく、
要するに自分(達)では殺さないが、死んだ獣の肉はありがたくいただく
というスタンスである。
具体的には、乳(;チーズにする)を採るためにヤクや牛の放牧が行われているが、
けがや事故で死んだ家畜の肉は親族で分けて食べるらしい。
峠を越える途中、山の斜面を落ちて死んだらしい牛を取り囲む現地人の姿を見た。
さらには、自分たちでなければ、例えばインド人が屠殺した家畜の肉は普通に食べる。
そういうわけで、ブータンはインドから結構な量の食肉を輸入しているらしい。

ブータン人にとって、動物の肉を食べることには若干の抵抗がある。
しかしブータンは海にも面しておらず大きな湖もないため、
魚介類が豊富に獲れるわけでもない。
そのため日々のタンパク源として、チーズをよく食べる。
白くて四角いものをいくつもひもに通したのれんのようなものが、
田舎に立つ家々の軒先にぶら下げられているのを見た。
現地人のガイドによれば、あれはチーズを干しているものらしい。
そのまま食べるのではなく、水で戻したり料理に使って食べるのだという。
それを食べる機会はなかったが、別の場所でお土産としてチーズを買ったところ
しばらくして酷い悪臭を放ち始め、仕方なく途中で捨ててきた。

その他、ブータンではトウガラシが好んで食べられる。
青くて新鮮なやつで、日本で「甘長とうがらし」と呼ばれる大きなものもある。
日本のトウガラシほど辛くはないが、甘長とうがらしほど無味でもない。
このトウガラシをどうやって食べるかというと、
それがブータンを代表する料理の一つである「エマダチ」なのである。
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調理法は簡単、トウガラシを適当な大きさに切り、
鍋にチーズ・バターと一緒に入れて、水を少々加えて10分ほど加熱するだけ。
トウガラシの辛さとチーズ・バターの香りが妙に合い、おいしい。

ブータン人の多くが従事している仕事は、農業と酪農業である。
土地が山がちであるため農業の方は小規模になりがちで、
相対的に酪農業の比率が高くなる。
先に書いたように乳を採る動物は牛とヤクで、毛の採れるヤクのほうが高級である。
かつては飼っているヤクの頭数がその家の豊かさの指標だったらしい。
今でも田舎の家の玄関には、魔よけの意味でヤクの角が飾ってある。
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ブータンの伝統的な家屋は、真四角で三階建ての木造土壁造りである。
一階が家畜の飼育スペース、二階が人間の居住スペースとなっており、
三階は手すりのような低い壁に囲われたベランダのような構造になっている。
ここには夏から秋にかけて農作物や牧草を取り込んで乾燥させ、保存する。
そして冬の間は家畜を外に出さずに蓄えた干し草を食べさせる。
一階には家畜を収納できるだけあって家自体が意外と広く、
二階には親族の複数家族が居住するのが一般的らしい。
二階の中央部には一族の祖先を祭る神聖なスペースがあり、
巨大な仏壇のような祭壇が祭られていた。

今日では村の大部分で舗装道路が整備されており、自家用車を持つ家もある。
しかし、ブータン国内で電車はもちろん路線バスが走る姿も一度も見なかった。
首都はともかく、酪農業が主体のその他の地域では
いまだ住民が家から遠く離れた土地に出かける機会はそう多くないのだろう。
そういう土地柄であるため、一家の家長が持つ権威は大きなものになる。
そしてその延長線上にあるのが、国王に対する国民の絶大な信頼なのだろう。
どこか戦前の日本国民の在り方に通じるものがある。
ただし日本やその他の文化と少し異なっているのが、
必ずしも年長者・長老が家長になるとは限らない点である。
息子が所帯を持ってうまく家を運営していることを見届けると、
親は引退して仏教への信仰活動を主とする生活を始めるという。
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そのような老人が集まってくる寺院へ行き、彼・彼女らの写真を撮らせてもらった。
経済発展の道を拒んだブータンでは人口もあまり変化していないはずで、
近年の経済成長で人口が増加している他のアジア諸国と比べて高齢者の比率が高い
と推測される。
国民の幸福度だけでなく、高齢化社会のあるべき姿に関しても
ブータンは重要な知見を私たちに与えてくれるのかもしれない。