ベトナム・サパ旅行記(3/3) ;サパへの道

今回ベトナム北部に位置するサパへの移動は、ハノイを起点とする鉄道を利用した。
夜にハノイ駅を出発して翌朝にサパの手前のラオカイ駅に到着する夜行列車である。
かつてベトナムがフランスの植民地だったころにフランスが作った
というこの鉄道では、走行する列車もそれほど速くはない。
ハノイ駅を出てすぐに、「ハノイ」という街の名の由来となった紅河に架かる鉄橋を
ゆっくりとしたスピードで渡る。
その後もしばらくは人家の密集するハノイ市内を走り、
やがて明かりもほとんどない田園地帯に入る。
私も含め、大方の乗客はこの辺りで眠ってしまう。
翌朝薄明りの中で目を覚ますと、列車はディーゼル機関車に引かれながら、
畑と森林に囲まれた坂道を苦しみつつ登っていた。
ラオカイ駅に到着すると列車は止まり、乗客はみな下車した。
線路はまだ続いているが、その先はもう中国との国境になるという。
乗客は駅で待っていた自動車に乗り換え、
線路よりもさらに急こう配の道路を西に向かって登って行った。

サパはベトナムの首都ハノイの北西、中国・ラオスとの三国の国境に近い
山岳部に築かれた町である。
険しい山々に囲まれた峠がちょっとした盆地のようになっており、
その中央部には小さな湖がある。標高はおよそ1,500メートル。
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年中蒸し暑く特に夏場の不快さは東京を上回るベトナムにあって、
比較的冷涼で風光明媚なこの地はフランス人にとって良い避暑地となり、
フランス植民地時代からベトナムを代表する観光地として開発されてきた。
日本人にはあまり知られていないが、
欧米人にとっては今日でも人気の観光地である。
普通は私のように鉄道を利用するのではなく、
ハノイ市内に多くある旅行代理店が運行する観光バスでサパまで行く。
サパでは近年地元資本の小さな観光ホテルが乱立し、サパ湖の水質汚染が進行している。
近年、サパの近くにある標高三千メートル超のベトナム最高峰ファンシーパン山
山頂まで一気に行くことのできるケーブルカーが営業を開始した。
ベトナム国内の経済成長もあり、外国人だけでなく
ベトナム国内の富裕層・中産層も合わせた大勢の観光客がサパに押し寄せてきている。

サパを訪れる観光客の多くが参加する棚田トレッキングツアーでは、
峠に位置するサパから渓谷に沿って下流に下った地域を歩く。
それはサパの南西方向に広がっており、
ラオカイから車で登ってきた渓谷とは別の方向である。
こちらの道は一応自動車が通れるものの部分的にしか舗装されておらず、
路面状態は甚だ悪い。
道のあちこちに窪みが形成され、水が溜まっている。
尖った石が窪みからえぐり出されて周囲に散乱している。
渓谷の底を流れる川に注ぎ込む支流が所々に形成され、
雨季ともなると結構な水量になるが、驚くべきことに
これが道路の上を横切って流れている。
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観光客は四輪駆動車で、地元民はバイクでこの道を往来するが、
いずれにせよ油断していると痛い目に遭うことになる。
道幅は、もっとも通行量の多いバイクにとっては十分な広さだが、
自動車にとってはやや狭い。スピードを出したまますれ違うのはちょっと怖い。
なので、路線バスは走っていない。
地元の少数民族の老人は歩いてこの道を行き来している。
路線バスが走ればきっと便利になるだろう。

日本人にとって、道路がアスファルトで舗装されているのはごく当たり前のことである。
橋やトンネルによって道路を通行する自動車の快適な走行が保証されているのも当たり前、
幹線道路が二車線以上の広さを持っているのも当たり前である。
しかし世界には、それが当たり前でない国が今なお多い。
日本人にとってあたりまえでない道路を目の当たりにしたとき、
私たちは「まずは道路を整備したらいいのに」と思う。
これは途上国支援の専門家にとっても同じようで、
日本のJICAやODAが支援して作らせたという道路や橋、トンネルを
これまでアジアの国々でいくつも見てきた。
ベトナムでも、古くから難所とされてきたハイヴァン峠に
日本のODAがきれいな道路を通している。
以前バスでその道を通ったとき、長く続く広いトンネルの内部が
日本の高速道路にあるトンネルとあまりに酷似していて驚いた。

この道もやがては誰かが整備し、きれいで快適な自動車道路になるのだろうか。
いや、それがこの地にとって本当に良いことなのだろうか?
今この道を通るのは、自動車やバイクだけではない。
学校へ行く子供たち、意外と足腰の丈夫な老人たち、そして牛やヤギといった家畜も
この道を歩いて通る。
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それでも事故が起こらないのは、車やバイクが高速で走り抜けられないからだろう。
いや、通行人の安全の問題だけではない。観光地サパの発展、
そしてベトナムの経済発展を利用して利益を上げられるちょっとした有力者たちは、
物流能力の向上を活用してこの地に多くの変化をもたらそうとするだろう。
けれどもよい変化だけでは済まされない。
今はきれいな渓谷の流れが、
近づく者さえないほどに汚染されたサパ湖のようになってしまうかもしれない。
米や野菜だけでなく、棚田トレッキングを楽しみたい観光客にとっても
それは好ましくない結果をもたらしたりはしないだろうか。
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トレッキングツアーの帰りは、旦那さんのバイクでサパのホテルまで送ってもらった。
順調にいくはずだった帰路の途中、ちょっとしたハプニングに見舞われた。
サパの街と麓の村々を結ぶこの幹線道路の一か所でがけの崩落事故があり、
バイクも歩行者もすべて通行止めになっていたのである。
私たちが到着したのはまだ事故後間もなくのことだったようで、
当初はちょっとした集団だった足止め組が、やがてバイクの大集団に成長した。
事故の原因は、重機を用いて道路わきの崖に何らかの工事を行っていた際、
崖をなしていた岩盤が崩落したらしい。
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幸い事故による負傷者はなく、重機も無事だった。
最悪この日はサパの街に戻れないかもと覚悟したが、
無事だった重機が頑張って路上に堆積した巨石をわきにどけ続け、
1時間ほどのちには片付いた道の端をバイクが通ってよいという許可が出た。

確かに、棚田の広がる村に住む少数民族
今なお素朴で伝統的な自給自足の生活を営んでいる。
けれどもこんにちのベトナムにとっては、
よく整備された道路を建設することは特に大変な事業ではなくなっている。
とすると、サパへと続くこの道が自動車の走行を想定した幹線道路として整備されるのは
もはや時間の問題なのだろう。
これは日本も含めて世界中の年とその近郊がいつか通ってきた道なのかもしれない。
であるならば、せめて地域開発の責任者・担当者が悪しき先例の轍を踏まないよう、
地域の良さを大切にする開発のビジョンを抱いてもらいたいと願う。