多様性の価値(後編) 日本の製造業復興のKSF

(前編からの続き)
 テレビに代表される先進国のマスメディアがつまらなくなったのは、画一化された価値観に縛られて停滞状態に陥っているためである。けれどもそれはマスメディアに限った話ではない。日本人は比較的安定を好む保守的な民族であるが、生活スタイルにおいても産業においても長く“外部”の競争相手が不在であったために安定志向が強まり、慢性的な停滞状態に陥っている。そのためそれらは外部である外国にはあまり受け入れられず、逆に内部である国内市場が力を付けた海外勢によって駆逐される事態が様々な分野で見られるようになってきた。それでも安定志向を捨てなかった日本の製造業界は、外部に受け入れられづらいエンドユーザー向けの製品群を切り捨てて、より安定した需要が見込める部品・原材料の製品群に退避しているように見える。
 
 この状況はまた別の側面から見ることもできる。性能・品質の側面である。日本企業が得意としてきた「性能・品質」は、突き詰めれば一つ(ないし少数)の数値である。数値の大小によってその優劣が誰にでも簡単に判定できる。こんにちではそれらを「KPI」(Key performance indicator)と呼ぶ。製造業界では開発目標の一つとして有効なKPIを見つけることが要求される。KPIで示される性能・品質は、エンドユーザー向けの製品よりも部品・原材料において大きくものをいう。それゆえに日本企業の多くが部品・原材料の製品群に逃避したのだ。
 
 しかしこれまではノウハウの蓄積により性能・品質の良さを開発できていたそれらの分野においても、今後は資金力と開発力を得た中国企業にシェアを奪われていくことだろう。一般に川上の製品群(部品・原材料)よりも川下の製品群(エンドユーザーに近い製品群)の方が単価・利益率ともに高い。川下の製品群を押さえた企業が大きな利益を得、巨額の投資を行うことができる。部品・原材料(のサプライヤー)に不満があれば、かれらはその内製化を決意し、そのための投資を行うだろう。投資の主体となる資金・インフラ・人材のいずれのリソースを見ても、日本の企業が誇ってきた優位性は今急速に失われつつある。インフラと人材については、優位性が失われたとしてもこれまでの蓄積によって諸外国と対等以上に渡り合っていけるだろう。しかし資金については、すでに新興工業国から大きく突き放されているのが現状である。性能・品質の見劣りしない部品・原材料を内製化するのは容易ではないかもしれないが、達成は時間の問題であろう。この劣勢を挽回するには、大きな利益を得られる川下の製品群で勝ちを取らなければならない。
 
 日本企業は自社製品の性能・品質を高めて優位性とし、世界の市場に売り込む戦略をとってきた。けれどもその戦略が新興国のみならず国内市場ですら有効ではなくなったことが、この十年紀に明白になったとして記録されるべきであろう。選択肢が増えれば、消費者は作り手が想定していなかった用途・価値を重視することもある。それを敏感に見出した者、あるいは先回りしてうまく仕掛けることに成功した者が川下の市場でシェアを取ることになる。既存製品の市場、それに川上の製造業者はそうした成功者に振り回されるばかりの運命である。それまで価値の源泉であった性能・品質が、想定外の新たな用途においても通用するとは限らない。
 
 既存の市場を破壊する、いわゆる破壊的イノベーションは、シーズではなくニーズに由来して生じる。この十年紀に生じた最も典型的な事例が、デジタルカメラの市場に生じた激変だろう。10年前まで、人はデジタル写真を撮るためにデジタルカメラを利用していた。その主たる用途は光景や状態の“記録”であった。店頭に並ぶ新しいデジカメたちは、画素数の多さや望遠倍率の大きさといった性能を買い手に対して訴えていた。しかしこの10年で、デジタル写真の主たる役割はSNSによる情報の共有・発信ヘと変化した。その結果カメラはスマホに内蔵されることが必須となり、“孤立したデジタルカメラ”の市場は崩壊した。今にして思えば、個人的な記録のニーズは情報の共有・発信というニーズに包含される下位互換のものであった。
 
 10年前すでにその兆候はあったものの、性能的に携帯電話のCMOS撮像素子はデジカメのCCDを超えられないから安泰だと言われていた。けれども、情報の共有・発信というニーズにおいて過度の性能は求められていなかったのである。ちなみにこんにちでは求めに応じて徐々に技術が進歩した結果、CMOS撮像素子が何の遜色もないデジタル写真を撮影しており、デジタルカメラは市場から駆逐されてしまった。スマホSNSは特別な技術的ブレークスルーによって世に生み出されたのではない。潜在的に存在していたニーズと技術が適切に組み合わされた結果として世に広まったのだ。作り手側がこのようなイノベーションを乗りこなすには、組織が潜在的なニーズと技術、すなわち多様性の価値観を重視する環境が不可欠なのだと思う。日本の製造業復興のKSFは、多様性の中に隠されている。
 
 思うに、KPIこそが多様性の価値観に真っ向から対立する価値観なのではないか。KPIとはすなわち画一的価値観の表象である。それは性能を見極める眼を与えてくれる代償として、それ以外の価値を見抜く感受性を奪ってしまう。KPIを疑い、KPIをうち捨ててしまえ。そのうえで外に出て、世の中を見てみよう。お薦めはバンコクやホンコンの繁華街なのだが、それが無理ならば東京のアキバやアメ横商店街でもいい。そういうところにいくらでもある商店をのぞいてほしい。多種多様なガラクタが売られている。日本人の多くはそれらを「ガラクタ」と呼ぶ。けれども、それらをほしいと感じて買う人々がいる。だからこそそこにある商店は存続し、今日も多種多様なガラクタを売っているのだ。画一的な価値観に縛られた感性では理解できない世界がそこに広がっている。多様性の本質は理屈ではない。感情・衝動なのだ。ダイバーシティについて小難しく考えるところから入るのも結構ではあるが、もっと分かりやすいところから入って多様性の本質を肌で理解するのもありだと思う。