スペイン旅行記Ⅱ(4/4) ;情熱とガウディの夢

 スペインの諸都市を旅行する者は、芸術ということについて考えさせられる。そもそもヨーロッパの大抵の都市は芸術であふれかえっているのだが、その中でもスペインは別格なところがある。芸術とは何かと考えてみると、英語では「Art」、これは意味としては「人為」という言葉に対応する。すなわち、人為が芸術の一つの要素だといえる。「自然の芸術」と言われるものがあるが、それらは一般的な意味での芸術には含まれない。欧米では、街中の主だった建物を布でくるんでみたり、山の斜面や川を大量の染料で染めてみたりといったイベントも芸術の一ジャンルとして認知されているという。古い時代にあってはもう一つ、「美しい」という要素も芸術に含まれると考えられていた。しかしこれはこんにち、ニューヨークのMoMA(近代美術館)に作品が所蔵されている近代の芸術家らによって否定されている。確かにそうかもしれない。美しいという感覚は主観的なものであり、人によってその基準は変わるものであるから。けれどももう一つ、芸術には絶対にはずせない要素がある。作り手の「情熱」である。
 
 古代においてスペインはローマ帝国の属州の一つとしてあまり目立たない存在であったが、その後キリスト教が伝来すると非常に熱心な信仰心を持つ国として歴史に登場してくるようになる。聖地奪還を目指した十字軍というと中東エルサレムに向かったものが有名だが、同時期にイベリア半島にはびこるイスラム勢力と戦いスペイン北西部にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを奪還するための十字軍が結成されている。実はその以前からイベリア半島ではイスラム勢力とキリスト教の勢力が争いをしており、その中、危険を冒しながらも聖地の巡礼を行うキリスト教徒が大勢いた、というのが実態のようだ。その点においても、前掲のスペインの聖地は当時のヨーロッパでエルサレムと同等にみなされていたということである。
 
 この強い信仰心がスベイン人の中に情熱として根付いたのだと思う。異なる宗教同士の紛争というのは今日でもそう珍しくないかもしれないが、当時の一般のスペイン人は宗教芸術の形でもその情熱を発露させた。首都マドリッドにあるプラド美術館を訪れれば、そこに展示されている絵画の大半がキリスト教・ローマカトリックに関する宗教絵画であることからその情熱を感じ取ることができる。

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トレドのカテドラルに作られていた芸術の間
 一方その時代にはモーロ人と呼ばれていたイスラム教徒の勢力もイベリア半島にあり、彼らもまた独自の宗教芸術に情熱を燃やしていた。アルハンブラ官殿では今もその様を見ることができるが、これはプラド美術館キリスト教宗教絵画にもまして異様な雰囲気を持っている。イスラム教の教えでは人物や動物の姿を描くことを偶像崇拝につながるとして禁じていたため、抽象的な幾何学模様による装飾様式が発達した。しかしその見た目があまりにも異様であると思っていると、それは実はコーランにある教えのアラビア文字による表記をモチーフとした意匠なのだという。目に入る壁一面に道徳的な教えと戒めが書かれた宮殿での生活はどのようなものだったのだろう。

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アルハンブラ宮殿の内壁に施された幾何学文様の装飾
 しかし時が過ぎ、イベリア半島で最後のイスラム王朝となったア宮殿の主は、スペインを再統一したイザベラ女王とその夫によってアフリカ大陸に追いやられた。その後の新大陸の征服・支配により太陽の沈まぬ帝国の礎を築いたイザベラ女王とその夫は、自分たちの故郷ではなく(イベリア半島で)最後の征服地となったグラナダに自分たちの墓所を作り、死後実際にそこに埋葬された。よく考えればこれもかなりの情熱による決断だといえる。いつまた敵が再侵略を試みてくるか分からない敵の元根拠地をこののち永久に我らの支配地とする、という女王らの決意の表明なのである。
 
 こうしてみると、作り手たちの激しい情熱と労力の結実という点において、政治や闘争もまた人類の芸術の一ジャンルであると言えそうだ。そしてこのジャンルにおける古今東西の情熱的な“芸術作品”を思い浮かべると、それは美しいもの、よいものばかりではなく、不快なもの、人類社会にとって有害なものも多く含まれていることが分かる。私たちが直接的に目にすることのできるような芸術作品にしても同じことが言えるのだろう。
 
 時代が下り、科学の見方が地球上の隅々までを照らし出すようになってくると、古い宗教を捨て去りはしないスペイン人と云えども、さすがにその情熱の対象は多様化していった。フラメンコやオペラなどの音楽、それに闘牛やサッカーなどのスポーツがその対象とされた。また絵画芸術の分野では、他国に先んじて抽象絵画が発展した。キュビズムピカソやシュルレアリズムのダリが、スペインに由来を持つ抽象画家のさきがけとして世界的に活躍している。

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グラナダのフラメンコ・ショーの様子
これらを含む20世紀以降の芸術作品は、比較的有名なマドリッドプラド美術館ではなく、そこから少し離れたところにあるソフィア王妃美術館に展示されている。そこの展示作品の目玉であるピカソゲルニカをはじめとした20世紀以降の作品群を今回の旅行でも鑑賞してきたが、正直、そこからまとまった文章を書けるほどの強い印象を得ることができなかった。特に抽象絵画などは機械的に描かれているように見えることから、描き手・作り手の情熱やそれが結実するまでの労力といったものを感じ取れなかったからかもしれない。
 
 逆に、暑すぎるほどの作り手の情熱を感じさせる芸術作品にも出会ってきた。ガウディの建築とモニュメントの数々である。人目に触れる大きな建物を建てるときの、それを立派に見せようという気持ち、見る人々を驚かせたいという気持ちは分かる。けれども、手すりの支柱を斜めに倒したりねじったりするのは何なのか。これが芸術なのである。そういう無駄なこだわり・造りこみに労力をかけさせるから、いまだにサグラダ・ファミリア大聖堂は完成しないのではないか。これがガウディの暑すぎる情熱なのである。そしてこの情熱の源泉となったのが、ガウディの持っていた夢の世界観であった。各種の建築基準を逸脱しないように、提示された予算の範囲内で建設可能な設計を行い、クライアントを納得させる風の建築家とは異なり、彼の頭の中には独自の夢・世界観があり、それを現実世界に表現したいという情熱があれらの建築物を設計させたのだろう。そしてそこに感化されるものがあるからこそ、彼の建築作品をよく見ようと世界中からバルセロナに観光客が訪れるのだ。

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ガウディが設計したグエル公園の建築物
 サグラダ・ファミリア大聖堂の入場ゲート前には、平日でも長蛇の行列ができている。長い待ち時間を経て行列がはけた末にゲートの中に入ると、そこにはガウディの夢の世界が広がっている。‥‥私はこれと同じような経験を日本でもしている。ディズニーランドである。あちらはウォルト・ディズニーの夢の世界の再現であるが、それも彼の完全なオリジナルというわけではない。元々人々に親しまれていた童話や文学作品を題材として、その作品世界を独自に広げたものである。他方ガウディランドのほうは聖書を元ネタとしつつ、その世界観を広げて古めかしい印象を払しょくしている。両ランドの共通点は、入り口にできる長い行列だけではない。
 
 どちらも、子供から大人までが慣れ親しんだお話の世界をさらにとっつきやすくしたうえで具現させている点で共通している。またこんにちの人々に大きな影響を与えている点でも共通している。世界的な影響力・知名度の点ではディズニーの夢に分があるが、これは彼が当時最先端技術だったアニメーション映画という映像作品をその表現の媒体として利用できたことによるのだろう。さらにそれが新たな夢の表現のための資金源にもなったことが幸いしたのだろうが、この要素は芸術活動に対して諸刃の剣となる。芸術にとって重要なのはあくまで“作り手側の情熱”であるのだが、興行の要素はそれよりも受け取り手側の情熱を優先させてしまうからである。
 
 というようなことを今回スペインの諸都市を旅行しながら考えた。ガウディやディズニーは芸術家としての大成功者であり、私たち一般人が同じような芸術作品を後世に残すことはできない。同じような夢の世界観を持つことすらできないかもしれない。けれども、私たちの日常において取り組むべきものに情熱を燃やすことならできる。仕事でも趣味でもスポーツでも構わない。そこに情熱と労力を傾けることが、芸術活動の第一歩になるのではないか。そして可能であれば、それを他者に見てもらい評価してもらいたい。それにより、個々人の生き方と何気ない日常がプライスレスの価値を持つ芸術作品に変貌するのである。