新型コロナウィルス感染症の謎:追記Ⅱ

 前回「追記Ⅰ」を書いてから1か月が過ぎた今、日本、特に首都圏ではすでに新型コロナウィルス感染症の封じ込めに成功したという安堵感が広がっている。5/25(月)には全国で緊急事態宣言の解除も宣言された。特に全国の日ごと新規感染者数ではこのところきれいな収束曲線に乗っている様子が見て取れるが、そこに至るまでの時期は“統計的に”きれいな挙動を示していない。これは、現象が自然なものではなくそこに人為的・作為的な効果が影響を及ぼしていることを示している。そしてこれこそが「私たちの社会が感染症の封じ込めに成功した」という証拠である。今にして思えば、前回の記事を書いた4月末から5月のGWにかけての時期こそその傾向を最も顕著に示していた時期であった。
 
 WHOを含む海外でもようやく日本の感染症封じ込め対策が成功したことを認めたようだが、それでも「対策の手ぬるい日本でなぜ成功したのかは謎」という論調とのこと。まあ仕方がない。日本の成功を手放しで認め称賛してしまっては、ロックダウンなどの厳しい対策をとってきた欧米諸国にとって自国政府の対応を無意味で逆効果だったと非難しなければならなくなる。そこまでして自国を貶める意図を欧米諸国のマスコミは持っていないのだろう。という政治的な意図を抜きにして、感染症の専門家たちはこの「日本で成功して欧米で失敗した」という事実の原因をどのように考えているのだろう。彼らもまた「謎」だと思っているのだろうか。
 
 先日、北海道大学の西浦教授に対するインタビュー記事を読んだ(5/26)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7eefbac4873acdceaf18d08da4bd7b6434540aa?page=1
彼ら(記事中で引用されていた関連論文の著者を含む)も前々回記事に書いた私の謎、「人口の10%程度の感染率で収束傾向が見えてくるのはなぜか」という点を同じく謎としてとらえ、解説のような話を述べられていた。それを要約すると、「集団免疫獲得のために必要な感染率は60%」という推定は社会の構成員が均質であると仮定して得られたものであり、実際にありそうな異質性の要素を考慮すると20~40%くらいで集団免疫が機能する、ということである。「異質性の要素」とは、たとえば感染クラスターの規模の違いが指摘されていた。前々回の私の記事では「社会に10%程度いる陽キャの大半が感染したところで感染速度が鈍化する」という仮説を提示しており、これもまた社会構成員の不均一性が重要な影響を及ぼすだろうという点において彼らの主張と本質的に同じである。
 
 ところで、インタビュー記事の中で気になったことがある。この記事では「収束」と「終息」の区別が分かりづらく、混同されているように感じた。記事の後半で「日本で感染症をうまく抑え込んでしまうと、集団免疫で終息させた諸外国からの訪問者による感染拡大が今後も長く続くことになる」という指摘がなされていた。けれども集団免疫によってであれ「終息」させられればその社会に感染者はいなくなるのであり、その社会・国からの来訪者を恐れる必要はない。さらに言えば、社会構成員の不均一性により感染拡大傾向が「収束」したとしてもそれで感染症が「終息」するとは限らず、感染症との戦いは継続される。今まさに欧米諸国が置かれている状況である。当然のことながら、そのような社会からの来訪者は厳しく制限・管理されなければならない。感染の拡大傾向を収束させられれば医療分野への負荷の軽減にはなるが、その後も感染症の終息まで社会の努力と苦悩は継続される。この1か月の進展から私が新たに得た知見である。なお、「収束」と「終息」の正しい区別は、「日々の新規感染者数が減少傾向になること」が収束、「日々の新規感染者数ゼロを維持すること」が終息である(数学的にはf(x)=√xを「数値∞に収束する」と表現し、x>0の全領域で収束傾向にあるとする)。
 
 最後に、本記事冒頭で示した新たな「謎」に対する私の見解を述べておく。日本の手ぬるい対策が成功し、それよりも厳しい対策をとった欧米諸国が失敗しているのはなぜなのか。それは一つの理由で説明できるものではなく、複数の要因が存在しているだろう。よく言われるように国民の習慣の違いも影響しているだろう。それより大きな要因として、日本社会のいわゆる同調圧力が諸外国のロックダウン並み、もしくはそれ以上に強力に作用したのではないかと推測している。ロックダウンといっても社会の運営に必要な業務に従事する人々はほぼ普段通りの生活をするのだし、そうでない人々も食事や買い物等の活動のために他者と接触しなければならない。言葉の響きは違えど、実質的な違いはそれほど大きくないのだと思う。
 
 もう一つ大きいのは、初動のうまさ・まずさの違いだと思う。日本ではマスコミもネット上でも日本(政府)の初動がまずかったと主張しているが、私は必ずしもそうだとは思わない。東京で感染爆発の兆候が見られた3月下旬からの初動対策は、「重大な失点がなかった」という点においてうまいと言えるものだったと考えている。他方欧米諸国では、感染の疑いのあるものを含む大勢に対して一斉PCR検査を実施したこと、そしてそれにより検査をすり抜けた多数の感染者を生み出してしまったことが取り返しのつかない「重大な失点」となり、それ以降は厳重なロックダウンを行っても大した効果がなかった、というのが真相だと考えている。日本も同様の措置によって最初期に取り返しのつかない規模の感染者を出してしまっていれば、いくら衛生的な習慣を守っていても、いくら厳しい同調圧力が作用したとしても、欧米諸国同様の感染爆発を防ぎきることはできなかったと思う。
 
 直観的、あるいは感情的には、幅広く検査を行うことが正しいように思える(実際WHOはそういうことを言っている)。が、実際はそうではなかったということだ。今回の場合については、検査の実施に伴う弊害の側面を十分検討していなかった、もしくは目を逸らしていたことが反省点として指摘されるべきである。加えて、「検査の結果=真実」という誤った思い込みを正すことも必要だと思う。検査精度の問題だけでなく、昨日の陰性が今日の陰性を示すわけではないという恒等性の思い込みについても指摘したい。この点、量子力学を学んだ者であれば誰もが納得できる話である。本感染症についても、検査結果より確率挙動や蓋然性を重視すべきだったのだ。重要なのは陽性/陰性判定ではなく、感染者である可能性を見込んだ対応・振る舞いだったのである。
 
 量子力学には、次のような格言がある。「量子力学を理解したと思っている者は量子力学を理解していない。」人類が未経験の新しい感染症に関して物申す者は、この格言を念頭に置いて謙虚かつ慎重に論理的思考と判断を行うよう努めてもらいたい。