タイ in 雨季(4/4) :タンブン編

さて、今回のタイ旅行において、
私は事前に考えたある一つの目的を持っていた。
それは訪れるタイ各地の寺院での「タンブン巡り」である。
タンブンとは「徳を積む」という意味のようだが、
実際世俗の世界ではかごに入れられた小鳥や魚を放してやる行為を
表す言葉として使われている。
仏教の世界では徳を積む目的は来世で幸福に恵まれるため、とされる。
が、あるとき私はふと気づいてしまった。
世の中にあまたある恋愛運向上のためのおまじないのなかで、
このタンブンこそ、特に捕らわれの小鳥のつがいを放してやることこそ
最強の効果を発揮するものなのではないか、と。
 
前回のチェンマイ旅行で訪れたワット・チェン・マンでタンブンを
経験していたことから、今回もチェンマイ市内のあちこちの
寺院を巡ってタンブンおばさんを探した。
が、結局ワット・チェン・マン以外の寺院でそれらしいものを
見つけることはできなかった。
そして、チェンマイ滞在の最終日に訪れたワット・チェディ・ルアンで
その理由につながる手がかりを得ることができた。そこの境内に、
「小鳥を放す人を相手にしないでください。
 彼らは放たれた小鳥をまた捕まえるので、かわいそうです。」
と書かれた看板がおかれていたのである。
 
うーん…、そうなのだろうか?
そりゃ確かに、かごの中の小鳥は間違いなくどこかで捕まえられた
ものだろう。だが、そんなことは言われなくても誰もが知っている。
このような風習は昔からある歴史的なものだし、
確かインドにも同様の風習が根付いていると認識している。
それを「かわいそうだ」などという理由で禁止するのは腑に落ちない。
日本だったら在来の生態系や遺伝子への影響が指摘されそうな
ところだが、タイの仏教界がそんなことを考えているとは思えない。
おそらくその背後には、もっとはるかに世俗的な理由があるのだろう。
 
他の寺院では見つけられなかった貴重なワット・チェン・マンの
タンブンおばさん達。前回と同じ本堂の入り口で同じように
だべっていたことから、おそらく前回と同じメンバーなのだろう。
いくつか置かれたかごの中から今回はつがいと思しきキジバトのかごを
慎重に選び出し、言われたとおり100バーツ渡してかごを開いた。
ところが、うち一羽はすぐさまかごから飛び去っていったのに対して、
もう一羽は全然かごを出ようとしない。
おばさんがその一羽を無理やりかごから追い出すと、
渋々飛び立ったもののすぐに本堂の梁に降り立ってそこで休んでいた。
…大体その二羽がつがいかどうかなんて誰にも分からないし、
そもそもおばさん達もそれらがオスかメスかさえ知らなかったのでは?
 
でもまあいい。
この自由の大空でそれぞれ本当に気の合うパートナーを見つけてくれ。
もしあの二羽が共にオスだったのなら、なおのこと私に感謝してくれ。
そして、かごの中では得られない幸せをつかんだアカツキには、
遠く離れた私のところに少しばかりの恋愛運を届けてくれ。
あ、来世になってからでは遅いので、
今生のうちでの幸運をお待ち申し上げております。
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