中国の脅威に関する考察2019(2/2) ;国際秩序への脅威

(1/2 からの続き)

 共産主義における他者とのかかわり方には独特なものがある。彼らは仲間内の人物を「同志」と呼ぶ。これは逆に言えば、同志でないものを同じようには扱わないということである。同じ価値観や同じ考えを持たないグループとの間に高くて強固な壁を作り、交流のチャンネルを開ざそうとする。しかし大抵の場合それだけでは済まず、異質な相手の排除もしくは同化を試みるようになる。実はこの傾向もまた共産主義の本質である計画性によって説明できる。自国の運営に大きな影響をもたらす他者とのかかわりの中に不確定な要素があってそれをコントロールできないと、国家運営の計画が狂ってしまうおそれが出てくる。それを避ける最も簡単な方法は、不確定な要素を持つ異質な相手とのかかわりを避けることである。これが彼らにとって典型的な他者とのかかわり方の一つである。
 そしてもうひとつの典型的なかかわり方は、同志に対するそれである。同志であっても、やはり対等な関係は成立しにくい。対等な関係は計画を狂わせるおそれをはらんでいるからである。親分を介した子分同士の関係はあるとしても、基本的な要素は主従の関係となる。そしてこれは国内の構成員のみならず、国同士の関係にも当てはまる。
 以上の考察は旧ソ連とその衛星国をモデルとしているが、現代の中国にもよくあてはまっている。現代の中国も、国同士の対等な関係の構築はあまり得意ではないようだ。この傾向を伝統的な中華思想の表れとして解釈する向きもある。こちらの解釈の方が的を射ている可能性もある。しかしそうでなかったとしても、現代中国は共産主義の本質に基づく呪縛としてこの傾向から逃れることが難しいのである。現代中国における国際関係の一例として、「一帯一路」という概念がある。しかしその詳細を見るとこれは地域的な共同体のあり方の提言ではなく、中国を主体とする地域の開発構想である。中国自身のためのビジョンであり、中国による国際貢献や責任についての表明はない。その意味では、共産主義における“計画”の延長にあるものと考えると理解しやすい。
 普通に考えれば、中国のこのような計画に賛同してついてくる国はないだろう。このまま中国がアメリカに代わって世界、もしくはアジアの盟主の立場に立つことは不可能である。その本質的な要因は現代中国のあり方そのものに根差しており、容易に修正できるものではない。いや、それ以前に、中国自身がそのような立場を望んでいるかどうかも定かでない。もしもそのような立場を望んでおらず、これまでと同様に大国の陰に隠れて粛々と力を蓄えていきたい、と考えているとしたら、現状かの国のとっている戦略は理に適ったものだと言える。
 ただしこの点、政治や内政を司る人々と軍事を司る人々で考えが違っているかもしれない。社会を構成する職業人の中で国際平和を最も強く求めるのは軍人である、という指摘がある。現在の日本でこの指摘が正しいかどうかはともかく、平時でも社会における軍人の地位の高い国では成立しそうである。いくら高い地位を享受できたとしても、戦争が始まって命を落としてしまってはたまらない。そして、対等な者同士の協調路線で恒久的な平和を実現することは不可能だという真理を心得ており、かつ国際平和を強く望む軍人たちは国家の序列を重視する。また現実主義よりは血気盛んなことの方が有利に働きやすい軍の中では、自国を序列のトップに位置付ける主張が最高だとされるだろう。彼ら自身が事実そうだと考えているとしたら、それ以外の主張はあり得ない。この点で、現実主義の政治家と軍部の間に考え方の相違が生じてくる。中国の政府が軍部をうまくコントロール下におけるかどうか、あるいは軍部の思想に飲み込まれて覇権意識むき出しの外交路線を取るかどうかが今後の中国において注視されるべき不安定要素である。
 一方、同じ視点から資本主義国家のあり方を議論することもできる。ここではやはり他者とのかかわり方という切り口から議論を始めたい。同志とのかかわりが重視される共産主義に対して、資本主義・自由主義においては法の下での平等が重視される。ただし言うまでもなく、国民が平等であるのは国や法が関与する領域に限られる。人種・民族や宗教の異なる人々とも平等に付き合わなければならない一方で、国や法が関与してこない領域、例えば企業内部では不平等な人間関係を構築し、それに対応しなければならない。
 そしてこのあり方は、現在日本やアメリカが主体となり世界に広めようとしている国家間の国際関係とよく似ている。違いがあるとすれば、国家を統治する適切な組織や法が存在していない点である。かつては国連にその役割が期待されていたが、現状少なくとも日本やアメリカが期待するような公正で強い影響力を持つことはできていない。公正かつ強力な警察権を伴う統治機構なくして、法規の十分な効力は期待できない。いや、国内で法治が十分に実施されている国がそもそも今日の世界では少数派なのではないか。資本主義・自由主義を世界に広めようと考える国々は、まずこの点を疑ってみる必要があるのではないかと思う。
 もう一つ忘れてならない事実として、資本主義的な経済は社会における分業化と他者への依存を推し進める。それは共産主義の恐れる不安定要素と計画の破たんをもたらすこともしばしばある。それでもなお、分業化された資本主義経済は強く有利であるらしい。かつての共産主義国家の多くが現在は資本主義経済を導入していることがその証しである。そうと分かれば、日本はこの方向、すなわち依存度の高まりを恐れることなく多数国との関係強化を進める戦略を採ればよい。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)による関税撤廃は国際的な分業体制を推進して他国への依存性を高める結果をもたらすであろうが、それを恐れてばかりはいられないということだ。
 さらに、中国共産党政府が本質的に抱えている外交上の弱点を正しく認識し、それをうまく活用してゆけばよい。中国人には本質的に「他者との協調的な利益の追求が苦手」という特質があるようで、これは外国人の目には「中国は自己の利益ばかりを優先させる」と映る。これに「対等の関係構築が苦手」という共産主義に本質的な弱点が加わると、経済的な背景に由来する巨大なパワーをもってしても、外交は傍から見ているほど容易でないはずだ。日本をはじめとするいわゆる自由主義を標榜する国々には、彼らの失点を正しく世界に知らしめて彼らを国際的なヒールに仕立てあげ、エゴイズムの陰に飲み込まれつつあるこんにちの国際社会に法治と自由(非軍事)の精神を広めるべく積極的な活動をしてほしいと思う。