2020年を振り返る(前編)

 2020年を10年紀のは始まりとするか終わりとするか。厳密には2010年代の最終年となるが、全世界の多くの人々が新たな10年期の始まりと捉えているだろう。2020年はそれくらい激変の年だった。個人的に私生活も激変したが、それとは別次元で新型コロナウィルスが文字通り世界中の人々の意識と生活を変えてしまった。もう一つ2020年を特徴づける出来事は、アメリカの大統領選挙で現職のトランプ大統領が敗北したことだろう。我が国日本でも在任最長記録を達成した安倍首相が交代しているが、すでに日本人ですらそのことを忘れかけている。この事実をもって安部元首相を凡庸とするか(個人的には憲法改正を成し遂げてくれると期待してました)賢相とするか(実際のところスムーズな政権交代というのは最大限に評価されるべき偉業だと思います)は後世の判断に任せるべきだとしても、日米で政権交代が起きたのはやはり新型コロナウィルスの余波の一つだと捉えるべきだ。ねずみ年のジンクスのせいではありません。私はちょうど新型コロナウィルスとトランプ大統領の始まりの時期にそれぞれの記事を書いているので、今回はそれらへの総括/フォローを2回に分けて行いたいと思う。

 まずは新型コロナウィルスについて。↓の記事を皮切りにいくつか記事を書いた。
https://windmillion.hatenablog.com/entry/2020/04/19/015655
(新型コロナウィルス感染症の謎 ;2020-04-19)
4月中旬、イタリア北部やニューヨークで爆発的感染が生じたのち東京でも第一波の真っただ中にある時期に書いている。その後の予測に関しては
> 今の状況がこれから先どれくらい続くのか。
> 「収束」については専門家や各国当局の予想よりも早く来るのではないかと思う。
> (中略)けれども「終息」については、早期達成の見込みはごく小さいだろう。
としており、この点に関しては実際その通りとなった。

 この記事の主題は「指数関数的な感染拡大が全人口の1%程度で終わる理由が謎」というものであり、この点については今なお謎のままである。アメリカ合衆国ではすでに累計1,900万人(12/29)、全人口のおよそ6%が感染している計算だがまだ感染拡大が続いている。けれども指数関数的な増加ではない。グラフを見ると、今冬の“波”に関しても指数関数的な増加は11月初旬までである。日本、もしくは東京についても、感染は今なお拡大しているとはいえ指数関数的ではない。自然な増加であれば指数関数的な挙動になるはずで、逆にロックダウンやGOTO中止のような対策が奏功すれば感染者数が減少していかなければならない。その中間的な挙動は不安定なはずで、それが長期間続くためには何らかの要素が必要となる。

 と言ってこれは疫学的に特に珍しいことではなく、普通の風邪やインフルエンザで見られる挙動でもある。風邪やインフルエンザの場合、不安定な拡大傾向を長引かせる要因は「人間の免疫力」である。無理をして頑張ったり布団をかけずに寝たりすると風邪をひくのは、それにより免疫力が低下するためである。冬になり気温が下がると風邪やインフルエンザが流行るのも同じ理由である。そして今、新型コロナウィルスの感染症も冬を迎えた多くの国で指数関数的でない不安定な増加傾向を見せている。そこから推測されることはただ一つ、新型コロナウィルスがすでに人間の免疫力によって抑え込まれるようになっているというものである。そもそも健常な若者の多くが感染しても無症状となっている時点で自然免疫(ワクチンを打たなくても病原体を排斥してくれる)の有効性が示唆されている。

 ただし感染症状が軽ければ軽いほど感染予防が困難となり、喜んでばかりもいられない。症状の出ない感染者は隔離等の自主的対策をとることがなく、周囲に感染を広めてしまうためである。昨今英国などで感染力の高い変異種が見つかったと騒がれているが、日本で夏以降に広まっている重症化率の低い新型コロナウィルスも立派な“感染力の高い変異種”と呼べる。

 もう一つの傾向として、春先の第一波では高齢者同士による咳・くしゃみや手等の接触を介した感染ルートが注目されていたのに対して、夏以降は感染現場として若者による会食・会合が相対的に大きな割合を示すようになった。その理由は容易に推測できる。春先の報道や専門家の警鐘によって人前で咳やくしゃみをすることが禁忌となり、また何かにつけて手洗いや殺菌消毒を行うようになったためである。おそらくはこれによって初期に流行した株が絶滅したのだろう。生き残ったのは人間の会話という行為で感染できる感染力の高い株のみだった。いや、その中でも免疫力の高い若者の体内では増殖・発症を抑えられる弱毒の性質を備えたウィルスのみが細々と感染をつなげて絶滅を免れた。その結果相対的に人間の免疫力の低下する冬季に感染速度の緩やかな(不安定な)流行が生じた、というのがこの新型コロナウィルスの進化のプロセスであると考えられる。

 以上を踏まえて、来年以降の動向を予測しよう。会話だけで感染可能な弱毒性のウィルスを根絶することははっきり言って不可能である。できることはワクチンによる獲得免疫の普及しかない。我が国を含む先進国では、ワクチン接種体制の確立および法整備に必要な時間を稼ぐために、会食やイベントの自粛要請(もしくは禁止)が今後も継続されるだろう。

 もう一つ、来年の大きなイベントとしてオリンピックがある。果たして東京オリンピックⅡは開催されるのか。難しいところではあるが、私は開催されると予想する。理由は、ワクチン接種済みの関係者および観客のみによる開催として、ワクチン接種が本感染症に対して有効であることを宣伝し、ワクチン接種を促す絶好の機会であることだ。我が国を含む先進国の状況を見るに、ワクチン接種体制の確立および法整備に要する時間は半年以内と見積もられる。途上国の選手・関係者に接種の援助を行う時間を含めても間に合いそうだ。となれば、IOCとWHOの利害が一致してオリンピックの開催を促してくるだろう。

 この予想が外れる要素としては、ワクチンの有効性が期待されたほど高くない可能性が指摘できる。アメリカで開発されたワクチンでも、大規模治験で接種後に感染した人数がゼロでなかったという。日本のマスコミがこの事実を持ち出してきて国民に恐怖をあおり、世論を扇動する可能性がある。あるいはその他の国で開発されたワクチンで接種者への感染が頻発するようなことがあれば、オリンピックは逆にワクチン接種の無効性を宣伝する機会となりかねず、そうなるとWHOが開催の阻止を働きかけてくるだろう。ワクチンの効かない変異種が発生する可能性もあり、正直なところ上記予想への確信はない。

 では、来年のうちに我が国の中で新型コロナウィルスへの“戦時体制”は終了させられるだろうか。こちらについては予測が比較的容易だ。上記の通り戦略は明確であり、その達成の道筋もすでにつけられている。ワクチン接種が法的に義務化されることはなく、おそらく接種を拒む人も相当数あるだろうと予想される。けれどもそこは問題でない。すべての国民が接種可能な状態となった時点で国の責務は果たされたこととなり、あとは国民の責任と自由の問題となるのである。加えて、上述のように我が国では新型コロナウィルスが進化して無毒化しており、国民保健の観点からも接種拒否が重大な問題となるおそれがなくなっている。4月以降の私たちの努力は、感染症を根絶させることこそできなかったものの、ウィルスを弱毒化させられたという点において無駄ではなかったのだ。

 来年のオリンピック終了後、国民の接種率も上昇してゆき、日々の新規感染者数が激減してニュースも次第に追わなくなるだろう。国は気兼ねなく経済活性化の施策を打ち出し、海外旅行も接種者に対して解禁されるだろう。マスクの習慣は残るかもしれないが、来年の年の瀬には忘年会と帰省ラッシュが復活しているものと、明るい未来を予想する。