ベトナム中部旅行記(4/7) ;フエ今昔物語

古都フエは、1945年までベトナムの阮王朝の王宮が置かれていた街である。
ちなみに「阮」は「グエン」と読み、ベトナムに多い「グエンさん」は
漢字で書くとこの字になる。王族との血縁関係があるとは限らないようだが。
「フエはゆったりとした街である」などという説明をしばしば見かけたが、
初めてフエの街を歩いたときには正直そんな風には感じなかった。
街は人であふれ、バイクが途切れることなく走っている道の両脇には
コンクリート製の建物がひしめくように建っている。
そしてそのほとんどは観光客相手もしくは地元住民相手の何らかの商店である。
要するに活気があってダイナミックなのだ。
観光客が少し歩こうものならすぐにシクロ(;自転車の前輪部を車椅子に置き換えた
ような形のタクシー)やバイク・タクシーの運転手から声をかけられる。
 
ただ、後日ハノイの街を歩いてみて、「フエはゆったりとした街である」という
言葉の意味を実感した。それは「ハノイ(やホーチミン)と比べて」という言葉を
前に補って解釈すべき言葉だったのである。
現在政治・経済の中心は北部のハノイと南部のホーチミンに移っており、
それゆえフエは日本で言えば京都のような街であると言える。
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フエで一番の観光名所といえば、何と言っても王宮ダイ・ノイである。
正面の門から入場してまず見える庭園や建物は、北京の紫禁城とよく似ている。
もちろんそれよりは小じんまりとしている。<地球の歩き方>にもそう書かれている。
しかしある意味、ここの見所はその先にある。
紫禁城と同じく、ここも「皇帝一族の生活空間のすべて」、いわば皇帝の私的都市だ。
皇帝や皇后の住居、男女で分けられた廷臣たちの住居、子供達の学校などがあった。
「あった」というのは、今はそのほとんどが破壊されているからである。
土台のみが残り、それも深い草叢にうずもれたその土地は、広大さだけなら
北京の紫禁城にも負けないのではないかと思われるほどだった。
そんな草叢の中を縫うように、修復されつつある回廊がたたずむ。
しかしその進み方は、「ゆったりとした古都」にふさわしい速度である。どうやら
ベトナム人は、自分達の王室や王宮に親しみや敬意をあまり感じてはいないようだ。
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日用的な衣類や外食メニューの価格から計算したフエの物価は、
日本と比べてざっくり5分の1。
(ボタンで止める)開襟シャツが500円程度、(現地人が行きそうな食堂で)定食一食が
150円程度、アイスコーヒー一杯が50円程度である。
中国の都市部やタイなど、多くのアジア諸国で物価が日本の3分の1程度であることを
考えると、フエの物価はそれよりもさらに安い。
ただ、ハノイの物価はそれよりも高く日本の3分の1程度だったことから、
フエの物価もあと数年でそのくらいまで上昇するのではないかと思う。
 
フエの中心部には、スーパーマーケットのフロアを持つデパートが2軒ある。
しかし大部分の市民はそれらではなく「マーケット」で買い物をする。そこでは
狭い通路の両脇に個人商店の小スペースがひしめき合い、食料品や雑貨を売っている。
おそらく公設で一応屋根はあるが、冷蔵庫等の設備はない。それゆえ、基本的に臭い。
最も規模の大きなものは王宮入口の近くにあるドンバ・マーケットだが、
それ以外にも数か所の同じようなマーケットがあった。
なま物(果物含む)を扱う店は、このようなマーケットでしか見かけなかった。
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ベトナム共産国家だからか、街で乞食を全く見なかった。その反面、
平日の昼間から通り沿いのオープンカフェ(というとかっこよく聞こえるが…)には
若い男が集って、将棋のようなゲームやトランプで遊んでいた。
そもそも街で個人商店やホテルは見かけるが、オフィス的な建物は全く見ない。
警官やゴミ収集といった公共の職に就いた人もあまり見かけなかったが、
この国の社会はどうやって成り立っているのだろう?正直よく分からなかった。
 

王宮ダイ・ノイの中に、何軒かみやげもの屋がある。
「王宮の中」というだけあって、置いてある品物は見事なものばかりだった。
絵柄のきれいな陶器のつぼ、螺鈿細工の盆、象牙の彫刻など。
値札も付いていたが、思ったほど高くはなかった。
これらの店は個人経営ではなく国営なのだろう。だったら、
粗悪なガラクタを扱ったり法外な値段でぼったくったりはしないだろう。
陳列棚を見ていると、いい感じの木彫りの盆が目に入った。
螺鈿細工のようなきらびやかさはないが、芸が細かくて「いい仕事」であることが分かる。
値札を見ると、他の同クラスの品物の数倍の値段になっている。どういうことだ?
悩んだ末、その木彫りの盆を250ドルで買ってしまった。
…が、その直後、猛烈に後悔し始めた。
よく考えてみれば、2万円も出せば日本でもそれくらいの工芸品が買えるだろう。
工芸技術の高いバリ島であれば、同程度のものが一桁安く買えるはずだ。
くよくよと考えた「それが高い理由」は、ベトナム人には熟練度の高い工芸が困難で、
それゆえ「いい仕事」の工芸品には高い付加価値がつく、というもの。であるなら、
これはベトナムにあってこそ価値の高さが認められるもの、ということになる。
 
そこまで考えて、ならばこれを別のみやげものと交換しようと思い立った。
同じ店で交換しようというのもいやらしいので、
王宮の近くで古そうな陶磁器を扱っている小さな個人商店に入った。
古そうな絵柄の皿を見つけて店主に話を聞くと、「16世紀の品物で、50ドル」とのこと。
値段は釣り合わないが、仕方がない。16世紀といえば、日本は織田信長の時代である。
私にとっては、この古そうな絵皿のほうが価値が高いように思われた。
そこで、思い切ってこの店主に交換を提案してみた。
日本などであれば、こういう信用のない品物との交換はまず認められないだろう。
最悪の場合、盗品の可能性を疑われるかもしれない。
店主はやはり悩みだした。
が、それは「差額をどうするか」を悩んでいたようだ。
「差額は要らない」と言うと店主の顔は晴れやかになり、交換を快諾した。
聞けば、このおじさんは自身が本を執筆するほどの古物コレクターとのこと。
「12世紀のものだ」という茶碗も見せてもらったが、
これは古すぎて絵柄も何もなく、私は興味を感じなかった。
 
こうして今、私の手元には16世紀のものだという古い絵皿と、
そこそこ価値のある物同士の物々交換の経験が残った。
この絵皿が本当に織田信長と同時代のものかどうかは分からない。
しかし私にとっては、店主の言い値以上の価値がある思い出の品である。